高校受験

障害とひとことでいっても児童は様々。

今回は主として知的障害 中学2年生だが学校での学習は小学3年生レベルの男児Qくんについて考える

Q君は2歳時検診で発達に遅れがあると診断され今でいうASD(自閉症スペクトラム障害)とADHD(注意欠如多動性障害)の診断があった。

多動や乱暴が小学校で目立ち、小学3年生で友達や担任の先生とぶつかり不登校がスタートし小学6年生まで続いた。

自宅でも自分の思い通りにならないと壁や物を壊していた。学校に行かないので自宅過ごす時間も多かったこともQ君のストレスだったのだろう。

中学進学の際に小学校で支援学校を勧められた。学校に行くと自分を責めるような児童がいないことが1番安心だったようで、支援学校を選択。

Q君は不登校と軽度知的障害と合わせ学校の勉強がわからなかった。

Q君は安全な学校生活をスタートしたが、支援学校はその人に合わせた?学習をするため、ほぼ1年間同じ勉強で終わった。Q君のクラスメートも同じ軽度知的障害だった為に違和感なく過ごした。

1年の終わりにQ君から高校に行きたいといい始めた。理由は不明だが地域の中学の友達と高校の話があったようだ。Q君はさっそく担任に相談した。そこで担任が言ったひとことでQ君は愕然とした「支援学校は中学部から高等部に行くのが普通よ」『普通?』Q君は高校に行けないと思い支援学校に来たということは普通の高校には行けないことだったと知った。

Q君には小学校の時に不登校の友達がいた。その友達は少し離れた少人数の中学の支援学級に在籍し休まずに行けている情報も知っていた。


Q君は中学校に行けば良かった・・・・・・・・・・・

ただそれだけを思ったがもう後の祭りだった

Q君は福祉の人や親に普通の高校に行きたいと相談したため、学校との話し合いになった。話し合いで学校は同じように『普通は』を連発し支援学校の高等部しか選択が無いことを言った。

保護者もあの時の選択がこんなことになるとは思っていなかったと親が判断したことを後悔し、Q君に悪かったと思っている。

支援学校の在り方について考えさせられる


次回に続く


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