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樗堂一茶両吟/蓬生の巻 25

   小サキ棺送るむら雨
  信長の和睦破れし陣中に         樗堂
 名オ七句、市井の人事から群雄割拠の歴史絵巻へと。
     〇
  信長の
   織田信長、天文3年(1534) - 天正10年(1582)戦国武将。
  和睦
   和議。
  破れし
   和議整わず。となると、即ち、戦火は免れません。
  陣中に
   風雲急を告げるその最中。
     〇
 ちいさきひつぎ
 おくるむらさめ
 のぶながのわぼくやぶれし/じんちゆうに
 「子を質に取る」そんな戦乱の世時のこと。歴史絵巻に見立てられた句は<信長の陣中>に置かれていたのです。
     〇
 戦国武将の雄、信長のことですから、その生涯のうちに、幾度和議を結び、何度戦火を交えたことか ?
 そうしたなか、ここでは「濃姫」こと「帰蝶」のことを思い描いてみました。
 樗堂の亡妻が「とら女」こと「羅蝶」。その「蝶」つながりという理由以外、何の根拠もありません。歴史物語を読み解けば、この句の解釈も、きっと、他にもさまざまなことが云えることでしょう。
■画像は、濃姫。

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