樗堂一茶両吟/蓬生の巻 26
信長の和睦破れし陣中に
かゝる時しも音楽の声 一茶
名オ八句、時あたかも永禄三年五月十九日の朝なれば。
〇
かゝる
このような。
時しも
<時である>にもかかわらず。
音楽の声
舞い謡いしていたのです。
〇
のぶながのわぼくやぶれし/じんちゆうに
かゝるときしも
おんがくのこゑ
「信長公記」によれば「此時、信長敦盛の舞を遊ばし候。人間五十年 下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。一度生を得て滅せぬ者のあるべきか、と候て、螺ふけ、具足よこせと仰せられ、御物具召され、たちながら御食をまいり、御甲めし候ひて御出陣なさる」と。付け句は、この故事を詠んでいたのでしょう。
〇
近年、この場面が俄に脚光を浴びるようになり、新作の舞と謡が充てられることが多いのですが、本はと云えば、この時代の音楽は幸若舞だったのです。いわゆる「曲舞」のひとつですから、群舞であり<ゆるい>節回しだったようです。陣中には、兵を鼓舞するために、わざわざ幸若の一座を呼び寄せていた武将もいたほどで、戦時には戦時の、平時には平時の音楽があったのです。
あまり難しいことは分りませんが、泰平の世のなかに、戦時の音楽を句にしていたのが滑稽だったのでしょうね。
■画像は、信長の幸若舞。
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