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とくとくの水麦士一茶/梅の木のの巻

Berjaln-jalan, Cari angin.
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 烏帽子引さく思ある哉
調伏のわら人形のあゆむ時        一茶

名オ九句、趣向を凝らした工夫の一句で急展開。

     〇

調伏の でう・ふく、ぢょうぶく、怨敵を降伏させること。格助詞「の」。

わら人形の 藁・ひとかた、藁で拵えた人形が。

あゆむ時 歩む・とき、歩んでゆく、その時のこと。

     〇

 えぼし ひきさく おもひ あるかな

ぢょうぶくの
      わらひとがたの
             あゆむ とき

戦乱の世のこと、ふううと、映像が奧山の山人たちの姿に変わり、そこで鉦・太鼓を叩いて虫送りが行われていたのです。

     〇

なぜ、虫送りなのか。幻影のなかで立ち上がる人物が斎藤別当実盛だったのです。

 南予地方では虫送りをサネモリオクリと称している。この呼び方は南予地方の特色でもある。また稲祈祷と呼ぶ所もある。日は一般に旧六月一日で、昔はかなり盛大に行っていた。
 南予地方の実盛送りは、一つの川筋単位で隣村地域と一体になって実施しており、川上から川下へと順次送り下げて行くなどスケールが大がかりであり、またサネモリサマと称する藁人形を作って送りついで行くなどの特色がある。

森正史「防災儀礼ー稲祈祷・雨乞い・風祭り」『愛媛県史 民俗』上

     〇

一茶は、この民間伝承を句に詠み<虚>を突いて驚かせたのです。

だって、実盛=サネモリの語釈がいかにも滑稽だったからです。<うそっぽい>ところがおもしろかったのです。まして、修行中とは云え一茶の力量であれば、謡曲「実盛」あたりから幽玄の世界に誘い込めた筈なのですが、それをしないで、迂遠にも民俗の世界からサネモリの姿を見せようとしたのです。

 城川町田穂・魚成・今田では「稲株に足をとられて転倒し討たれ「これも運か」と非業の死を遂げ、その無念が「ウンカ」に乗り移り、稲を食い荒らし農民を悩ませるとの言い伝えのある「斎藤別当実盛」の霊を慰めるために始まった」と云い、城辺町僧都では「斉藤別当実盛、稲虫を送るぞ」と叫ぶ。

うふふ、これ、嘘のような本当の噺なのですから、、、、

     〇

さらに、嘘のような本当の噺をもうひとつ、ふたつ。

 二歳の義仲をその母とともに木曽に逃がしたのは実盛、その実盛が義仲軍に討たれるのが北陸での合戦でのこと。このあたり「平家物語」「源平盛衰記」に詳しく。
 それから、ややあって、諸国を廻る遊行上人の前に実盛の霊が現れる。これを取材したのが謡曲「実盛」、どうやら時宗の僧侶たちの肩入れがあったらしいのです。
 さらに下って、加賀市片山津温泉のすぐ近く、ここに「実盛首洗いの池」があり、芭蕉の句碑、「むざんやな甲の下のきりぎりす」(おくの細道)があったのです。

謡曲 実盛(終曲)

シテ    上 その執心の修羅の業。めぐりめぐりてまたここに。
        木曽と組まんとたくみしに。
        手塚めに隔てられし。無念は今にあり。
地     上 つづく兵たれたれと。名のる中にもまず進む。
シテ    上 手塚の太郎光盛。
地     上 郎等は主を討たせじと。
シテ    上 かけ隔たりて実盛と。
地     上 押し並べて組む所を。
シテ    上 あっぱれ.おのれは日本一の。剛の者とぐんじょうずよとて。
地     上 鞍の前輪に押しつけて。首かき切って。捨ててげり。
        その後手塚の太郎.実盛が弓手にまわりて。
        草摺をたたみあげて。二刀さす所を.むずと組んで二匹が間に。
        どうど落ちけるが。
シテ    上 老武者の悲しさは。
地     下 軍にはし疲れたり。風にちぢめる。枯木の力も落ちて。
        手塚が下になる所を。郎等は落ちあいて。
        ついに首をばかき落とされて。篠原の土となって。
        影も形もなき跡の。影も形も南無阿弥陀仏.
        弔らいてたびたまえ.跡弔らいてたびたまえ。

と。

10.11.2023.Masafumi.

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