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なぜ自分科を広めたいのか

「自分科を広めたい!」ってずっと言ってるけど
なぜ広めたいのか。

自分の脳内整理のためにも
書いてみようと思う。

写真を撮っている時に感じた自分科の魅力

最初は撮影スタッフとして参加していた。
撮影は記録や宣材の意味もあったけど
撮った写真を参加者さんに見せ
表情の変化を伝える役割も大きかった。

自分科って、やると子どもに戻る。
それは、表情にも顕著に出る。

強張ってた表情が緩んで
子どもみたいな笑顔や泣き顔や真剣な表情になる。

それを撮るのが、めちゃくちゃ楽しかった。

人って美しいなぁって
素直に思った。

容姿の美醜とかではなく
作り込まれた輝きでもなく
その人が持つ命の輝きのような
美しさ。

人をこんなふうに変えてしまう
(正確には変えるというより戻すカンジだけど)
自分科ってすごい!って思ったし

大人も子どもも
みんなこんなふうになったら
すごく素敵だよね
って思った。


自分を知って受け入れる

自分科をやると、自分を好きになる。
自分を好きになると言っても
「あぁ、いいんだ、これで」
って
自分を受け入れられるようになるカンジ。

元々自分嫌いで
他の誰かになろうと
頑張って頑張って頑張って頑張ってきた私が
(今でも時々そんな自分も顔を出すけどw)
すごく楽に生きられるようになったのは
自分科で自分を知って
それを受けていったからだ。

自分科のワークって
自分らしさが
遊んでるうちに
気づいたら出ちゃってました
みたいな感覚で
そのナチュラルな感じも魅力だと思う。

私みたいな他の誰かになろうとしてる人は
全員受けた方がいいよねって思う。


違いを知る

自分科では自分を知るのと同時に
周りの人との違いも知る。

同じモノを見ても
私とあなたで
見てるところが
こんなにも違うんだって気づく。

気づいて、それを受け入れられる。
それもまた、ナチュラルに。

「受け入れなければ!」
じゃないんだよね。

子どもに戻るからなのか
ジャッジがないからなのか
当たり前みたいに認め合える。
いやまぁ、そもそも当たり前なんだけど。

でも、今は
その当たり前なことが
できない社会だよなぁって思う。

今もだけど
子どもの頃から割と精神や発達障害と言われる方々と過ごすことが多い私にとって
このナチュラルに違いを認め合うカンジにすごく惹かれた。

社会全体が
こんなふうに
ナチュラルに認め合えたらいいのに
って思う。


繋がりに気づく

自分科では共通項を見つける。
講師講座ではこの共通項探しが
難しいってみんな言うんだけど
(多分頭で考えすぎちゃうから難しくなっちゃうんだよ)

同じ場に集うということは
必ず何かしらの共通項がある

その共通項を知ると
親近感が湧いたり、仲良くなったり、思い込みを外せたりするんだけど
何より、繋がりを感じることができる。

自分は1人ではない。
自分は誰かの役に立っていて
誰かまた、自分の役に立っている。

繋がりに気づくと
そこが腑に落ちる。

違いを知りながら
同時に繋がりも感じる。
自分科ってすごくね?って思う。


大切って知ってるけど蔑ろにされがち


自分を知って受け入れて
人との違いを知って認め合って
人との繋がりを知って1人じゃないって気づく

これって、人として生きていく上で大事なことと言うか
教育の土台
土となる部分だよなぁって思う。

土に栄養がなければ育たないし
土台がしっかりしてなきゃ
上に何乗せたって傾いてしまう。

でね、こんなこと
みんな知ってるし
みんな大事だよねって思ってるし
なんならそんなん当たり前でしょ
ぐらいの感覚だと思う。

だけど実際は結構蔑ろにされてるよね。

だからこそ
自分科を広めることで
その大切さを伝えて
再認識してもらいたい。

だからやっぱり
家庭とか、教育関係の場で
自分科をやってもらいたい。

流行りとかブームみたいに
消費されるモノなんじゃなくて
しっかり根付かせていきたい。


いきたいんじゃなくて
そうしていきますよ。



ということで
自分科を体験してみてください

半分くらい終わった?かな?
私は明日月曜日に担当しまーす。

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