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好きなものの話その5【一升瓶】

酒飲みですが、日本酒ももちろん好きなんですが、でも特に飲むのが好きだと言うわけではなくて、一升瓶という形というか、存在感が好きです。

一升瓶を買いたいから日本酒を飲むと言うのが正しいかな。と、言っても一升瓶をコレクションしているわけでもなくて(こんな大きなもの置き場に困る)、かといってラベルをはがして持っているということでもなく、ともかく何はなくとも、一升瓶を買うということが好きなんです。

私の中で一升瓶は特別な存在です。

特別というか、いっそ聖別された存在です。

それはお神酒のイメージが湧くから、ということもありますが、もっと具体的な思い出があります。

子どもの頃、お正月には母方のおじいちゃんおばあちゃんの家に新年の御呼ばれに行きました。そのとき、年始の挨拶に両親が必ず持参していたのが一升酒だったのです。

父が持っていった一升瓶はまず床の間に置かれて、食事が始まって大人たちがそこそこビールをたしなんでくると、じゃあ燗にして飲もうかと言うことになり、おばあちゃんが徳利を支度しに行く。そしてすでに出来上がったおじいちゃんと父が一緒に飲んでいる。

私の中で、一升瓶にはその中身を分け合ってみんなで楽しい時間を過ごす、というイメージが付きまとっているのです。


なので私の中で一升瓶という形、あの大きさ、存在感が、平穏の象徴として記憶されています。人生でもっとも安心だった頃の思い出なのです。

今でも大晦日には私は一升瓶を買うのを楽しみにしています。この日ばかりは無礼講で信じられないくらい夜更かしをさせている息子たちが遊んでいるのを見ながら、年末の番組を見ながら、ガラスコップで酒を飲む。
(太宰治の斜陽かぶれなので、日本酒はガラスコップで飲むのが、なんと言うか、ずぼらで様になっていいなと自分では思っているのです)

こういう習慣がここ何年かの私の平和な時間になっています。平和な時間に欠かせないもの、それが一升瓶。

だから、私は心と体に平穏を取り戻すアイテムとして、一升瓶が好きなのです。

今年の年末も買ってきます。いつか息子たちと酌み交わすのを楽しみにしながら。


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