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森と雨 20

「ごめん、迷惑かけちゃったのね。レアンから聞いたの?」
 ゲンゴが頷く。
「お前が突然気絶して全く反応しなくなったって言って、レアンがパニくって先ず俺に電話かけてきたんだ。それで、たまたまむいも一緒にいたからあわてて二人でおまえんちに行ったら、レアンはもうバカで使い物にならねえし、確かにお前は呼んでも殴ってもぴくりともしねえ」
「ちょっと、殴ったの」
「比喩だ。でも、突っ込みが入れられるなら大分まともになったんだな。それで、これは絶対に普通の状態じゃない、と思った俺が救急車呼んで、病院に運んでもらって、お前はまる一日何にも反応せずに寝てたってわけなんだ。心配させやがってこのやろう」
 とゲンゴにでこぴんをされた。痛くなかったけど。
「おまえらは何がしたかったんだ」
「そうそう。だから、レアンは?」
 ゲンゴとむいちゃんについては分かった。でも、レアンはどこにいるんだろう。
「そう。レアンがなあ…」
 難しい顔をし出したゲンゴ。頭の中が灰色になるのを自覚する、私は。
「…レアンが。お前を暴行したってことになってしまってな。今警察にいるんだ」
 私はゲンゴの隙をついてベッドから降りると、
「ありがと!」
 お礼は言わなくちゃと思った、迷惑をかけてしまったから。でも急がないと。どこにいるのかは分かった、じゃあ、会いに行かないと。私は走り出した。
「おい雨!」
 廊下を走って看護士に怒られて、ナースステーションで変な顔をされて、病院の中で少し迷って、玄関を飛び出したまでは良かった。なのに、丸一日も横になっていると、人の体はこんなにも弱るもの、知らなかった。私は最寄の電柱の所であっという間にばてて、ぜえぜえ言って座り込んでしまった。
「お前も大概バカなやつだな」
 むい、おまえのコート貸してやれ。ゲンゴの声がすぐ後ろをついてきて、肩に温かいものがかかった。
「分かる。お前のやりたいことは分かる。でも落ち着け。気絶して起きて走り出しやがって、忙しい奴だ。タクシー呼んでやるし、医者には一緒に謝ってやる。だから、ちょっと落ち着け」
「行かないと」
「雨先輩」
 むいちゃんが両手を掴んでくれて、私はおもいっきりげほげほと咳き込んだ。
「ああ、ああ、そうだろうよそうだろうよ。だったらもっと分かりやすく動けばいいんだこのばかっぷるどもめ」
「あんたには言われたくない…」
「げぼげぼいいながらしゃべるなって。おい、タクシー来た。立てるか」
 ゲンゴが通りを走ってきたタクシーを止めて、私はむいちゃんに支えられて後部座席に一緒に乗った。ゲンゴは助手席に座り、
「県警の支所まで」
 と運転手に告げる。無言で運転手はメーターを下した。
 
 ゲンゴとむいちゃんがいなかったら、本当に私は何をしていたか分からない。入院着を着て、靴も履かないまま。走って警察に行って、そのまま病院に送り戻されていたことだろう。ゲンゴが冷静で救われた。そして、一緒にいてくれたむいちゃんにも救われた。私は今まで一人で生きてきたんだと思っていた。
 兄の同志にはなれなかった。両親は、話にならなかった。親戚たちからは疎まれて過ごしてきた。私は自分が幸せになってはいけないと思って。幸せになるのがいやで。そういうことに全然気づいていなかった。
 レアンがいると、幸せだから。
 だから逃げたかった。
 私は兄に認められた、同志だったから。だから兄と同じ道をたどらないといけないと思っていた。
 そのためにレアンが邪魔だった。でも、もう兄は、大丈夫だと言ってくれた。私は兄と深く繋がっていたことを初めて知った。
 不機嫌な顔しか思い出せない兄。ほとんど会話もした事のない兄。でも、兄はずっと私の事を見てくれていたのだ。そして、限界を迎えて一人行ってしまった。いまこそ思う。私は兄のようになるわけに行かない。兄のために。
 私はタクシーの中でむいちゃんに救われた。私はずっと一人だと思っていた。でも、むいちゃんは後部座席の隣でずっと無言のまま私を見ていてくれたし、ゲンゴは助手席に座って、妙な格好の学生三人が、警察に何の用なんだという運転手の質問(詰問ね)を適当にごまかしてくれていた。私は一人じゃない。
 そして、悲しくてかなしくて仕方がなかった。

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