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雨の国、王妃の不倫 3

“しかし皇后と太后に嫌われるというのはなかなか骨の折れる仕事だった。 今、この瞬間に榮妃というものは、居ないのである、皇后にとって榮妃等という妃は存在していない。存在しないものを嫌いになることなど誰に出来るだろう。
 榮妃は虚ろが居座っている鏡の中で着飾って死んでいる女を見つめ、溜息をついた。皇后は榮妃など歯牙にも掛けない。紫皇貴妃だの徳妃だの尤嬪だの許捷余だの亮答応だの、目の上のたん瘤は山ほどいるのである。
 それは皇后の身内である太后にとっても同じことで、彼女らをなんとかして皇帝の興味から引き剥がすのに日夜歯ぎしりしているような二人に、後宮入りしてまだ一度も訪れのない榮妃など、居ないも同然なのであった。
 居なくて同様なら何故私はここに居なくてはならないだろうか。
 鏡を見ている女は声に出さず独りごちた。”

「貴方はそのままでいいよの。このままでいいわ。そのまんま行きなさい。」
「でも先生。このままで行くと私は確実にしあわせにはなれないんですが。」
「しあわせになることだけが人生の好運ではないのよ。」
 私が先生の元で働くことに成ったとき、一応私は自分の行く末について先生に“精査”してもらった。その結果言われたのがさっきのことである。
「はあ。」
 しあわせになることだけが人生の好運ではない。
「貴方はね、もう充分自分の道を自分の速度で進んでいるのよ。」
 先生はテーブルの上のカードを撫でながら言った。
「これだけしっかり道すじが着いているひとも珍しい位だわ。」
 と一枚のカードを手にして感慨深げに言う。
「でも先生、私は出来ればしあわせになりたいんですけど。」
「だってなれないの分かってるでしょ、自分で。」
 事も無げに言われた。
「貴方の道すじは余りにも完璧なの。これ以上の物を求めようとしたら、
私は貴方が通るための無駄な橋やら線路やらをこしらえてあげなくてはならなくなる。いいのよ?、そうしてあげても。でも整った道をねじ曲げていくんだから負担が掛かるのは結局貴方なのよ?」
 と言われた。
「私の心には雨が降っています。」
 ぽてりと、水滴が落ちるように愚痴ってみた。
「誰しも道に何かを抱えている。貴方は雨を抱えて生きているのね。嫌なの? 雨を手放してしまうのは。」
「いえ、手放してしまいたくないんです。」
 と私は反論した。
「なら仕方ないじゃない。このまま自転車にでも乗ったつもりでお行きなさい。」
 と先生は私の精査を終わりにした。占いは本来学問で、科学のような物なのだ。じゃが芋にヨウ素液を垂らすと紫色に変わるからデンプンがあるのが分かるかる。そういうものであるらしい。
 生れた日の星の位置とか名前の漢字がどう使われているかで、その人のある瞬間に何が起き、それがさらにどんな出来事をもたらすのか。化学式を読んでいくみたいに学習できるものなのだそうだ。
 そういうタイプの占い師の方には。
 先生はそれと全く違っている。先生の占いはインスピレーションタイプである。本当だったら超能力でも何でもない占いを、インスピレーションだけで彫り抜いていく。先生はそんな風にしてひとの運命をアウトソーシングしていくのだ、これは先生に直接言われた言葉。
「だからね、これ、カード自体に大して意味は無いのよ。これは私が自分のイメージを引き出す為の単なるアイテムなんだから。」
 と先生はカードをいちいち見せてくれながらこういった。先生がタブレットと呼んでいる一連のカードは、タロットを基本にしているが細部は完全にオリジナルなもので、おそらく扱い方は先生にしか分からないんだろう。
「困ったわ。こんなところでストーンが出てきて欲しくないのよ。と言うか出るはずがないのよ。でも出てるのだから。さあその理由は何かしら。」
 先生はテーブルの上に並べたカードを見ながらこめかみを押さえて苦吟してるみたいにぶつぶつ言っていた。
 結婚相談をしたきた女性の運命はよい道をたどるはずなのに、道すじをどうしても曲げようとしている要素があるらしい。どうしてかしら、どうしてかしら。
 とぶつぶついっているときの先生は集中している。私はジャマをしないようにお昼ご飯を外に食べに行こうとした。
“しあわせというのはいったいなんなのかしら。
私の国ではそんなことを聞いたこともなかったわ。”
 と榮妃が語りかけてくる。そんなものは私にだって分からない。
 でも
「しあわせってね、絶対に手に入らないから、だからしあわせって言うと思うの。」
と私は彼女に答えた。
しあわせは自分のものにならないならしあわせなの。

“あなたってほんとうに面白いことを考えるのね”
と、榮妃は不思議そうにそう語りかけてくる。見えるものなら、きっと首を傾げているだろう。でも、私は。
 自分のものにはならないあの人のことが、 その人を想うことが、しあわせでならないのよ。

榮妃は直ぐに答えた。
“ああ、そういうことだったら良分かるわ。”
と彼女は言った。

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