花荼-ハナダ 13

 結局最初にもらって、銭湯に入るのに使った残りで充分だった。僕はキャンプ場から元の日雇い労働者街に戻って、そして一か月、いたるところの工事現場で働いた。休むのが惜しかったので一日に二時間くらいしか眠らなかった。そんな僕に、何故かいつも誰かが食べ物を分けてくれた。おにぎりとか、焼きそばパンとかをだ。
 僕は働いた。稼ぎが少ないからだ。働かないと、金が溜まらないからだ。もう一度彼女の山に戻るまで、一か月のリミットの間に、働けるだけ働かないと、金が無い。車をレンタルして高速料金を払うための金が。
 出来れば免許の更新をしたかったのだが、時間もないし、金ももったいなかった。警察が寄ってこないことを祈っていた。僕は土嚢をリヤカーに入れて必死で運んだ。世界中の土嚢を一人で運んでやる、と思って運んでいた。金が必要だった。彼女の所に戻るために。工事現場の監督が時々うどんを食べに連れて行ってくれた。女性が一人で切り盛りしているスタンドのうどん屋だ。
「お前、ずいぶん仕事してるみたいだが、何か金が要り様なのか」
 頼めば、貸してくれそうな不安げな顔でそう尋ねられたこともあった。お金を溜めて、故郷に帰ろうと思うんです。飛行機代とか、服とか揃えるお金が要るんです。僕は適当に答えておいた。
 一か月働いても、三万円にしかならなかった。仕方なく僕は、同業者のテントを漁って金を盗んだ。全部で十万円ほど。これで車を借りて、高速に乗って彼女の所に戻ることが出来る。
 
 ハイエースはマフラーが錆びていた。雨が降ったか、朝露で錆びが浮いたんだろうか。一か月で?
 いや違うな、それ以上ここに停めっぱなしになっているのだ。車も手入れしてやらないとあっという間に駄目になる、と僕は思った。
 彼女はうつ伏せになっていた。灰の中で。せっかくきれいにしてやったのに、あの時の綺麗な身体のままで居ればよかったのに。再び灰にまみれて、そしてきれいなまだら色になっていた。
 冷蔵庫で豚肉の塊を腐らせたことがある。カビは生えなくて、色が灰色や紫やまだら色になったことがあった。彼女の身体も同じようになっていた。灰色だったり、緑色だったり、いろんな色になっていた。体は干からびてミイラの様になっていた。きっと、あのまま、ここで寝そべったまま、ずっとそのままでいたんだろう。夜の間中。
 二人きりで。
 夜の間中。全裸で灰の中に寝そべっていたんだろう。あのまま。僕と終わった後で、僕が一か月前の夜、暗い中を強いて、ロッジを後にして山を下った、そのままで。そのままの姿が今ここにある。間違いない。彼女の時間は、そこで止まったのだ。
 広場には黄色い、背の高い花がいっぱいに咲いていた。僕は片っ端からそれを抜いてきて彼女の体の上にかけた。その花は寝っこが強くて茎も強くて、刈り取るのが難儀だった。僕の手は茶色くなって、血も出てきた。でも、花を集めなくては。
 僕は花を集めなくてはと思ったのだ。花で埋めてあげたいと思ったからだ。花じゃないとだめだと思ったのだ。この体には、それ以外は似合わない。
 黄色い花を全部詰んでしまって、これだけじゃ足らない。もっと必要だ。僕は、また森に入って行って、花が咲いている枝を探した。赤い、いや桃色の名前の知らない花をつけている大きな木があった。僕は、その枝を片っ端から折った。渾身の力で幹を掴んで上まで上り、花の付いている枝を折りまくった。みんな折ってしまおうと。この木から花を全部へし折って、みんな彼女にあげようと。
 折った枝は、地面にぼたぼた落ちた。僕は木から滑り降りて、叩き落とした枝を拾っては彼女の元へ運んだ。既に黄色い花で見えなくなった彼女の身体の上に、折り取った花を乗せて、乗せて、かぶせて、どんどん乗せた、もう彼女がどこにいるのか分からなくなっても僕は花を運び続けた。たくさん咲いていて良かった、と思った。あとは、ガソリンがあれば大丈夫だろう。
 僕は、手洗い場に残っていたホースを喰い千切って、ハイエースのガソリンタンクの中に片方を入れた。そして息でガソリンを吸い上げた。中身をバケツの中にあける。ハイエースの中にはまだガソリンがたくさん入っていた。時々飲み込んでしまって、指を突っ込んで吐いた。僕は肺が焼けそうになりながら、バケツの中につばの混じったガソリンをどんど汲んだ。このバケツ、一杯分は必要だ。長い作業になったが、僕はどうにかやり遂げた。バケツの中は車から吸いだしたガソリンで、やっと満たされた。少し休んだ後それを彼女の所に持っていく。
 山盛りの花は、彼女のために咲いた花だ。彼女の肉体のために、この世に咲いた。そのためだけに。
 僕はガソリンを撒いて、さっきの作業でガソリンを被った恐れのある上着とシャツを脱ぎ捨てて、ついでにズボンも靴も下着も脱いでしまって、彼女の上にかけるのはどうかと思ったけどやっぱり花の山に積んで、それからライターに火を点けた。
 既に気化していたか。ばん、と火が熾ってぼくはあわててのけぞったけど、髪の毛の火が燃え移ってしまった。額を地面にガンガン叩きつけて、土をこすり付けて、火を消す。花の山はあっけなく燃え上がった。
「どうだい。これで二人きりだよ」
 もう君と君の大好きな言葉の残骸は、見分けが付かないよ。まじりあって、誰にも選り分けることなど出来ないよ。火が消えたら、念入りにかき混ぜてあげよう。
 僕は裸で火の傍に座っていた。燃えてくれ。きれいに燃えてなくなってくれ。粉みたいな小さな灰になってくれ。でなければ、悲しすぎるじゃないか。そう、祈りながら、揺れる美しい火をずっと眺めていた。

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