推しになりたい
推しを推したい。その魅力を少しでも多くの人に知ってほしい。……うん、うん、わかる。わかるんだけど、どうしてもわたしは推しをうまく推せない。
SNSで布教したり、魅力を語り合ったり、あらゆる露出をチェックしたり。もちろん、単に時間がないっていうのもある。仕事と子どものことと家のことで毎日が瀕死だから。でも同じような環境でもめちゃくちゃ濃厚に「推し活」しているひとはいるし、熱量の問題でもあるんだろうけど、やっぱなんか違うのだ。
で、導いた結論が、わたしは「推しになりたい」んだということ。
推しを推すことは対象化することでもあるから、すなわち推しは自分ではないと認めることになってしまう。推しは推し自身を推すことはないし、だから推しになりたいわたしも推しを推すことはない(?)
我ながらバカバカしい理論だとは思うんだけど、そうなんだから仕方ない。推しを推してしまうと、わたしが推しではないことを認めてしまうことになってしまうじゃないか!!!!!
はるか昔に愛読していた雑誌のrelaxに写真家の佐内正史氏の「君になりたい」っていう連載があったのだけど、まさにそれ。君になりたいんだ。
ところで「推し」ってめちゃくちゃ便利な言葉だなと思って便宜上ここでも使ったけど、正直なところ、そんなポッと出の概念にわたしの愛や欲望や嫉妬を注ぐ対象を絡め取られてたまるか、みたいな気持ちもあることを最後に記しておきます(便利だから使うけど!
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