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私たちは奪われている

速報を見たのはツイッターでした。
多くの人がそう早合点したように、私も彼特有のジョークなんだろうと思って、リンク先をタップ。だって、30周年だし。いだてん出てるし。

それが彼自身も認めた本当なんだと知って、ドラマに彼が出てると安心感な程度の私でも複雑な気持ちになりました。
ああ、これでドラマも映画も見られないものが増えるんだろうか。私は彼の音楽は聴いていなかったけれど、CDとかも回収されて。当然コンサートは中止になってしまうんだろう。もう戻ってこれないんだろうか。
きっと次の日のワイドショーはしたり顔でこのことを語るんだろうと思ったら、いつもついていないテレビも余計に見たくなくて、でも気になってiPhoneを開くとやっぱり。心配は現実になってしまっていました。

この前の俳優さんのときも、映画が公開できなくなってしまったり、クレームを避けるためか、被害者を傷つけない配慮かわからないけれど、その結論が過剰なのか適正なのか。
第一、犯罪に程度はあるのか。今、作品に罪はないと言う方も多くいて、それならばジミヘンとかマイケルとかビートルズとかどうなるんだと言う声も聞こえるけれど、例えばそれが殺人を起こした人の作品だったらどうなのか。薬を買うことによって誰が利益を得ているのか考えなくていいのか。

考えても自分なりの答えが出せなくて、彼の犯罪をジョークにするものや、彼を応援するもの、応援の声を批判するもの、それらをもやもやしながら見ていました。
どうしてこれを書いているのかと言えば、もやもやの理由がわかったからです。

私たちは考える力を奪われているんだ。

正しい答えはきっとないでしょう。立場立場で違ってくるからです。だけど、自分がこうするという姿勢は持つことができるはずだし、それぞれの姿勢を尊重した上で、何が私たちの未来のために最善なのかを考えることはできるはずです。

もし今回CDが回収されなかったとして、私たちは様々なアクションを起こす可能性がありました。「彼のことを応援しているから、CDを買う」「彼の罪を許せないから、CDは買わない」「彼は罪を償うべきだが、作品自体には意義がある」「彼のファンで音楽は聴きたいが、CDはあえて買わない」「作品に罪はないが、彼は利益を得るべきではない」「今まで知らなかったが、この機会に聴いてみたい」などなど。

今回の様々な苦渋の決断が、どれくらい自分たちの姿勢に沿うことを許されたものだったでしょうか?不特定多数の顔も見えないものの意見を恐れて何かが決められたとき、私たちは自分の「姿勢を示す権利」を失います。入り口の扉は固く閉ざされて、その部屋に居るしかなくなるのです。私たちはその部屋に居るのだと自分たちで決めたでしょうか?

なんだかこの部屋に居ると、どんどん考える力を奪われるようです。
私たちは自分たちで答えを探せる。

私の出した答えとして、この署名に参加することにしました。
物を作る人間として、その魂の仕事を奪うことで問題を解決しているような現状に危機感を覚えました。人は間違う。他人事じゃないと思います。

change.org【電気グルーヴの音源・映像の出荷停止、在庫回収、配信停止を撤回してください】

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