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心がちぎれてしまうまえに

小学校へ行かない選択をしたわたしたちは、「プリントがたまっています。」と連絡がくると、たまにプリントを取りに行くことがあります。その日は息子の気持ちも学校へ向いて、一緒にプリントを取りに向かいました。

しかし、学校の玄関で、泣き叫ぶ男の子と、男の子の腕をひっぱりながら大きな声で叱り付けているお母さんがいました。

「いやだぁーーー!いきたくないーーー!!」と、泣き叫ぶ男の子。
「行きたくないならきちんと理由を言いなさい!いやだけじゃだめ!」
と怒りながら、逃げようとする男の子を抑えつけるお母さん。

これはまずい・・・と思って息子を見ると、もう目がうるうるしていました。「帰りたい。」と言うので、自宅に引き返すことにしましたが、帰り道で息子がわたしに言いました。

「 ママ、あの子を助けてあげられない?きっとね、こっちがいいんだと思うんだ。あの子のココロちぎれちゃうよ。 」

「こっち」とは、不登校を選ぶ道のことを言っていたのだと思います。心がちぎれてしまう・・・確かにそうかもしれません。あの泣き叫んでいた男の子のために、わたしにできることはあるだろうか・・・。戻って、「うちに遊びにきませんか?」と声をかけてみる?あのお母さんは、仕事へ行かなくてはならず、追い詰められているのかもしれない。「お子さんをうちの息子たちと遊ばせてもらえませんか?」と、声をかけ一日お預りしてみる?

頭の中をぐるぐると色々なことが駆け巡りました。しかし、どれも本質的な解決にはなりません。

この大きな社会問題を動かすことのできる方法とはなんだろう。元・麹町中の工藤勇一校長先生の様に、内側からの改革を目指す?今から教員免許をとって、小学校に在籍し、校長先生になれたら改革開始!・・・時間がかかりすぎるなぁ・・・あれもこれも現実的ではないことばかり。どうしよう。

迷ったときは行動あるのみ!まず何かしてみます。なんでもいいので気の向くままにやってみます。そして、行く先々で「不登校」の話題を誰かに振ってみます。何かひっかからないかなと期待を込めて。まさに、植松電機の植松社長の「思うは招く」戦略です。

そして、ビジョントレーニング講習で出会った東洋医学の先生から、「ユニークな活動をしている人を知ってるよ。」と、教えていただいた活動こそが、和歌山県にある「きのくに子どもの村学園」という体験学習をメインとする私立小学校を、北海道にもつくろう!と活動している【北海道に自由な小学校をつくる会】でした。(以下、「つくる会」とする)

つくる会は任意団体で、高校教師である細田孝哉さんが代表を務め、その活動を、認定NPO法人北海道自由が丘学園・ともに人間教育をすすめる会(長いっ!)の代表 吉野正敏さんが支える形で行われていました。

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↑ 9/18のラジオ収録でリクエスト曲をノリノリで口ずさむ代表細田 笑

吉野さんは、まだに日本に「フリースクール」という言葉さえ無い1986年から、北海道大学名誉教授 故 鈴木秀一さんとともに、「日本の教育に改革を」と訴え声を上げ続けていました。1991年に、つくる会代表細田と出会い、1993年にフリースクールを開設。現在も、札幌市豊平区月寒にて、多様性を認め合える子どもたちが主人公の学び舎『北海道自由が丘学園月寒センター』にて、たくさんの子どもたちと毎日を過ごしています。

代表細田は、30年以上前に「日本の教育を変えよう!」と、教員になりました。札幌清田高校にグローバルコースを開設するなど、精力的に子どもたちの個性を活かせる教育を現場に取り入れる活動をしており、様々な現場からオファーがあり出前授業も行っている現役の高校教師です(来年定年退職予定)。現場にいながら、「学校というものは、子どもたちが、子どもたち自身の生き方を生きられることが何よりも大切で、それを見守りながら大人も子どもも一緒に考え、一緒に成長していける場でなくてはならない」と、教育現場の内側から改革を起そうと、ずっと努力し続けてきた人でした。

できるだけ小さいうちから、自然に湧き上がってくる興味関心に沿った学びを大切にし、仲間の個性を認め合い協力し合うことを学ぶことで、自分で考え行動できる人間へと成長するのだと言います。

本来は、みな平等にそんな教育を受けられる状態でなくてはならない。しかし、現実は違い、そんな現実に一石を投じる意味でも、「認可」を取得した小学校を設立したい。一刻も早く日本の教育を変えたいんだ!・・・と、切実な願いを込めて活動していました。

この話を聞いて、学校の前で泣き叫んでいたあの子を救える方法はこれだ!と思いました。そして、この活動を多くの人に知ってもらい、賛同してもらうことで、若者の自殺者が世界で一番多い国日本を、変えられるきっかけにもなると思いました。

つくる会」は、学校設立を目標とするだけでなく、開校後も学校経営を支えながら、学校と地元とを繋げるパイプ役となり、地域全体で子どもたちを見守ることのできる環境を整えていきますが、それと同時に、日本のどこへ行っても子ども主体の教育が当たり前に受けられる環境になることを目標に掲げ、活動拡充と、校舎無償貸与の協定書を結んでいただいた長沼町との連携をさらに深めるため、「まおい学びのさと」と名称を改め、仲間を集め、NPO法人への申請手続きを行いました。(NPO法人まおい学びのさとHPは準備中)

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現在、まおい学びのさとメンバーは自分たちの活動を通し、互いの多様性を認め合い、それぞれの持ち味を活かし、全力で楽しみながら前進し続けています。

あの日、泣き叫んでいた男の子はどうなっただろう。度々思い出します。既存の学校システムの中から、楽しさややりがいを見つけ前向きに登校している子どもはたくさんいます。それはそれで素晴らしいことです。しかし、自分の感情を必死に押し殺し、耐えきれなくなってしまう子どもはどんどん増え続けています。

どうか、一日も早く、日本の教育現場に変化が起こるよう、一緒に声を上げていただけないでしょうか。現場の中からなんとかしようと、毎日必死に尽力してくださっている先生方にも届くように。学校へ行けずに自分を責めてしまっている子どもたちに届くように。あの日泣いていた男の子の心が壊れてしまわないように。

明日こそ、何かが変わりますように。

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