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こわいままで進め!
荷造り作業をしていたら、昔々に書いたノートが出てきた。
ご丁寧にどんなに乱雑で稚拙なノートも残してある。
いろーいろブラックなことも、たくさんの感情が吐き出されている。
もともとわたしは、悲しさとか寂しさとか悔しさを感じないようにしているうちに、感情を抑えることがデフォルトになってしまっていたひと。
”感情は感じてもいい。むしろしっかり感じたほうがいい”って言われて、すごい衝撃で、わざわざ自ら過去に遡って、感じなかったふりをしていた感情たちを感じ、ノートに書いていたあの頃。
字を見るとけっこう冷静に書いてあってw
まあ、感じる初心者だったので、そこまで感情に没頭できなかった様子w
でも今は、他人事のように「へー、そうだったんだー」「そうだよねー、そうだったよねー」と見ることができるので、その頃の感情は成仏してくれているのだろう。
とにかくあの頃はいろんなことが怖かった。
すげーこわいこわいと書いてある。
親が過干渉の心配性だったからかなーと思ってたんだけど、占い的な観点から見ても、わたしの質として、怖がりというのを持っているらしい。
だから、無自覚だったけど、判断基準が『自分を守れるかどうか』だったんだよね。自分を守れる範囲でしか行動しないし、自分を守れる範囲でしか人と関わろうとしていなかった。なのに、人との距離が遠いのを寂しいと感じていた。自分の中で矛盾と葛藤があって、それがコンプレックスだったし、苦しかったの。
今も怖がりだし、オープンハートのくせにチキンハートだしw
あんまり変わってないんだけど。
ここ数年でわかったのは、怖いままでいい、ってこと。
怖さをなくそうとか、怖くなくなってから行動しようとか、そういうのは無理。
どんどん行動して新しいことにチャレンジしている人たちも、内側では怖さを抱えている。
怖くて行動しない人は怖さと戦っているけど、怖くても行動している人は怖さに寄り添っている。
チャレンジの大きさによって怖さの質は違うのかもしれないけど、怖さがあるのは同じ。
そういうことがだんだん腑に落ちてきた。
だったら、怖さをパワーにしたいと思える。
「怖いものは怖いよね。だけど、ほんとうはどうしたいの?がんばりたいんだったら、怖くてもやってみよ!」って自分に明るく聴いてあげられる人でいたいと思う。
まあ結局は、大丈夫しかないのだから、怖がるのも地球のエンターテインメントでしかないんだけども。
Enjoy your life!
イズミ
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