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僕の経歴


1.前置き

Twitterでは160文字という限られた文字数のなかでプロフィールを

書かせていただいた。

だが、ハッキリ言って僕は文章能力は良い意味でゴミだ笑。

今はあらゆる文章をリトライトし練習をしている毎日だ。

補足でここにプロフィールを記載しておこう

2.経歴_宮崎編

    1988年1月4日 満32歳 宮崎県宮崎市出生の男だ笑。

  ・高校生の時に"頭文字D"という走り屋の漫画の影響で車に目覚めた

  少々というか頭が悪かった為に工業高校でわなく水産系の高校に

  通いながら船舶機器の学を学びながら次第に自動車のメカニズムに

  ついて興味を持ち始める。

 2006年3月- 2008年4月  自動車整備士を目指す専門学校に入学&卒業

卒業後は約6年程整備士として働いたが、24歳の時に離婚を経験し仕事に打ち込む気力がなくなり地元である宮崎から長野県へ行くことになった。


僕にとってこの長野県の出来事が大きな人生の変化だったと思う

長野県に行くことになったきっかけは整備士としての仕事を辞めてから翌日に走り屋時代の先輩から「太陽光パネルの取り付けの仕事」を依頼されたからだ。この時の僕の年齢は25歳だった。


3.長野編

 宮崎の当時の日当は良くて6000円とかそうゆう時代だった

 今でも宮崎はそれくらいが普通なんじゃないかな?

 先輩から太陽光パネルの話を持ち掛けられた時の報酬が1日15000円だった

   おおげさではなく、当時の僕からしたら衝撃だったのだ

  何も迷うことなく長野県へ旅立った

  当時は離婚直後でお金もなく車もなかった為、宮崎から長野まで船と深夜の夜行バスを使って旅立った

映画にしたらそこそこ味のあるものになるのではないかと思うくらいの出来事が起こるとは知らずに長野に向かった

長野に着くと岡なんとか駅(うろ覚えで申し訳ない)というところで待ち合わせし、紹介元の"先輩"の父ちゃんが車でお迎えにきてくれた

それはそれは今にも壊れそうな穴が空いている軽トラックだったのだ。

そこにも"衝撃"を受けた笑

その時の長野県は冬でとても寒かった記憶があるがその寒さを打ち消すくらいの"衝撃"だった

そして一番の衝撃がそう遅くもないうちに次々に巻き起こることになった


当初の話では"寮"もあるし"ご飯"も無料で出るとのこと

このときタダほど怖いものはないと実体験で学ぶことができた

4.長野編_真実

 

 おんぼろの穴あき軽トラックで向かった先は寮と言われる建物だ

 そこはまるでプレハブ小屋みたいな部屋だった

 そして驚いたことにトイレ&お風呂がなかった

 企業のオンボロ寮とは別次元だった

     僕 > あの、トイレはどこですか?

 先輩の父親 > ああ、向かいのコンビニだよ。

衝撃が走った


ここにきて2回目だ

僕は普段は冷静で温厚で衝撃など走らせることなく物事に対して対処していくことを当時からもっていた

しかし、これはもう対処とかそうゆう次元ではなかった

そこからは毎朝毎晩コンビニにトイレをお借りする日々が始まった

お風呂は近所のおばさんからお借りするというシステムで洗濯も洗濯機をお借りして使わせてもらうというある意味、自給自足の生活だった。

当時のことを思い出すと良く生きてこれたなと本当に思う

そして仕事の内容だが結局は太陽光パネル設置ではなく"鉄筋屋"の仕事だった。

もうなにも驚かされない自分がいた

短期間で精神が大幅にアップデートされていたことを褒めたい

そして肝心の報酬だが1日当たり"15000円"がそもそもの狙いだったのが研修期間だということで"1日5000円"だった

これは衝撃というより、残念というか、日本政府が良く言ってる

大変遺憾であり断固として反対しますに近い感情が溢れた

そして当然そんな仕事をしている人たちなので表の人間ではなく完全に裏の人間だった。

僕はそうゆうところに関わりたくなかったので"兄者"といわれていた偉い人に、辞めることをしっかり伝えた

ぶっちぎらなかったのである笑

筋を通せば大丈夫、わかってくれると信じて伝えた

しかし、漫画のようにうまくはいかない

結果的に1日で辞められたんだがとても長い1日だった

辞めると告げたのは早朝で、長野県を出るその日の夜に"生かして帰さない的"なことで取り囲まれてしまったのだ

しかし今までの衝撃や経験をフル導入することによりこれは乗り越えることに成功した

四方に取り囲まれたが僕は一人だけ突き飛ばして穴をあけ交番まで裸足でダッシュした

靴など履いてる場合ではなかったのだ

当然、追手がくるから僕は人の家の塀をお借りして隠れながらダッシュした

そして無事に長野の警察の方々に確保してもらいその日は一晩泊めて貰うことになり車で駅まで送ってもらいこの件は無事に終了した

嘘のような話だが僕はこの日を忘れることはない

5.東京編_上京初日

僕は限られた現金で高速バスを使い長野県から東京都新宿まで向うことにした。 幸いだったのがスマホが使えていたことだ。

警察署に泊めて貰った日に僕は高速バスの予約をすることに成功したのだ

残り現金5000円で高速バスが3800円くらいだったと思う

行くしかなかった

地元宮崎に帰るよりは何か絶対あるであろう東京にコマをすすめた

そして午前中のうちに東京にたどり着き新宿に入った

所持金が残り1400円くらいだった

新宿に入ると田舎者の僕はテンションがあがった笑

信じられないくらい高いビルと人の群れで感動した

そして絶望が襲い掛かるまでそう遅くはなかった

新宿に入り30分後には食い逃げで金がなくなる状態になった

僕が食い逃げしたのではない、今でいう"パパ活"の悪質バージョンの

女性に食い逃げされた笑。

僕が歩いていると小銭を財布から落として困っていたから拾うのを手伝うとお礼にお食事へ行きましょうといわれた

僕はお金があまりなかったしドリンクだけ飲んで帰ろうとおもった

しかし、お店に入った瞬間にその女性の常軌を逸した食事に東京ではじめての衝撃が走った・・。

ハンバーグ、ステーキ、サラダ、ワイン、、、まるでパーティーのような食事光景にビックリした。

ざわざわ感が止まらなかった

僕は恐怖で話を聞くのが精いっぱいで一口も食べられなかった


そして、ちょっと電話してくるからまっててー!と女性は席を外した。

それから4時間近く待ったが帰ってこないのだ。

そう、帰ってこない・・・・。

やられたと思った。

これが東京の闇か・・・笑。

お店のオーナーが気にかけてくださり実はそのオーナーも上京してきて似たような経験があるから今回は"大丈夫だよ"と言ってくださり助かった。

そして全額を払えないがせめて全所持金のお金だけでも払いお店をでた。


お金が底を付き仕事を探すことにした


目に留まったのがホストの看板だ。いつの間にか昼間の歌舞伎町に入っていたのだ。

"体験入店で5000円!" という看板が当時はうじゃうじゃあった。

そして僕はホストの世界に入り自分の人生を見詰め直す期間をもらいながら

働かせてもらった。とても感謝している。


6_愛知編

そして今に至る愛知県だ。

ここ愛知県に入ったきっかけになったのが求人案内しに掲載されていた期間契約社員の募集だった。

トヨタ系の会社でとても素晴らしい企業だった。

僕は元々が自動車整備士で機械いじりが超大好きで得意だった為、仕事も楽しくやることが出来たし日当15000円もようやくもらえることができたのもここからだ。

僕にとって宮崎の正社員よりもこっちの契約社員のほうがとてもよかった。

そして同時に今の妻と愛知に来て2日後に出会い半年後に入籍することになった。

僕はもう少し余裕を作ってから結婚を考えたかったが妻の押しに負け再婚することにした。

だから僕はもっと上の仕事をしたいと考えた

僕は中学生の頃からパソコンを触っていた。インターネットにつなげると料金が今の様に定額ではなく加算されていく時代だった。

タイピングには自信があったしネットワークについてもそこそこ知見があった為、プログラミングやITパソポート並みの勉強を毎日実施した。

そして半年後にIT企業でお世話になることになり今は客先請負だがあらゆる企業でお世話になり某自動車メーカーで勤務している。

ここまで僕が取ってきた経験&スキルを以下にまとめてみた

【飲食店のアルバイト多数】

【自動車整備士】

【ホスト時代に培ったコミュニケーション術】

【プログラミング&ネットワーク構築】

【Amazon転売から学んだ物販スキル】

そして今Twitterの技術やマネタイズについて学んでいる日々だ。

Twitterの素晴らしさ、フォロワーを獲得していく大変さも毎日学び成長

している日々を送っている。

たまに"せどり"の話をつぶやき、今は"マインド" = "日常"を重点に発信はさせて頂いている。

そして見て頂きたいのが僕の日々のフォロワー数だ

万垢を目指している僕を見ていてほしい


そして一緒に成長していこう



   



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