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言語を考えるー「世界初のネパール人小学校」後編

 阿佐ケ谷にはもともとネパール人が経営する料理店が多く、小規模ではあるが、ネパール人コミュニティーがあった。この「エベレスト・インターナショナル・スクール・ジャパン」は開校当初、通学する児童はわずか15人だったが、3年足らずで135人に増えた。14人のネパール人教師が、日本で言う保育園児から小学6年生までの授業を教えている。2016年4月には荻窪のビルも借りて、小学校3年生以上から荻窪校舎に通っている。将来的には高校のクラスまで設置する予定だという。これまで在日ネパール人の子どもたちは日本の小学校に通うケースが多い。しかし、この学校には日本の小学校に通ったが、日本語がついていけないために、転校してきた児童がいる。その一方で、日本語が習得できても、母国の文化や歴史を学ぶことが疎かになってしまう。そこで、ネパール人コミュニティーの有志が資金を集めて学校を設立することになった。この小学校ではネパールの教育カリキュラム「CDC」(Curriculum Development Centre,Nepal)を基本とし、英語、ネパール語、日本語のほかに、数学や科学、社会科学、コンピュータの授業を行っている。学習教材にはICTも積極的に導入している。日本にはない先進的な学校と言える。ネパール以外にもインドやバングラデシュなどネパールの近隣の国からきた子どもたちも通学している。また、幼稚園には国際交流ができるという期待から日本人の子どもたちもいる。しかし、日本人の子どものほとんどは幼稚園を卒園したあと、一般の小学校に進学する。なぜかというと、この学校はNPOが運営していることから日本の学校教育法で認められた正式な課程ではなく、塾として見なされているからだ。また、学校ではボランティアを常に募集していて、彼らが日本語教育を担当している。設立から7年が経過しようとしている世界初のネパール人小学校について、設立時に考えた目的は果たせているのか。初のネパール人小学校は日本に定住、長期滞在する外国人労働者の子どもの教育を支援する役割を十分に果たすことができているのか。学校を運営していくうえでの障害は何かなど、社会言語学をかじっている私としては、いつか詳しく調査してみたいという思いを掻き立てられる。
 日系ブラジル人やペルー人の場合、就労目的で3世や4世が日本で暮らしている。こうした日系人の場合、同じコミュニティーの中で生活することから、日本語学習の必要性を感じない人たちも多く、様々な問題が生じている。ネパール人の場合は、親たちはほとんどが一世である。その点において、日系人の滞在者とは違う考え方を持っている。阿佐ケ谷で始まった独自の母国教育の取り組みは今後、どのような形で継続されていくのだろうか。応援したい気持ちとともに、今後の行く末をやや心配している。今のような「コロナの時代」は世界中で渡航の自由が奪われている。実際、日本から出国したあと入国ができなくなり、いまだに日本に戻って来られない外国人も多い。ネパール人の多くは自分たちの子供たちをいずれは母国に帰したいと考えている。ネパール人は日本各地で重要な役割を担ってくれている。それはサービス業や製造業での労働力であったり、美味しい料理を提供してくれたりと様々だ。日本の経済を支えている在日パール人が自分たちの力で作った世界初のネパール人小学校。この学校は「コロナ禍」にも耐えて、いつまでも続いてほしいと祈るばかりだ。(終)

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