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お金を使う前に考える。「浪費」か「投資」か「投げ銭」か。

お金に興味を持ったのは、会社を辞めることを意識し始めてから。
3年くらい前からです。30歳超えてから。

わたしは、世帯年収200万円みたいな家庭で育ったので
貧乏があまり怖くないというか、何となかるよね、と甘くみている節があり……。
ちなみに実家には家訓がいくつかあります。
「ハウスはなくてもホームがある」「モノより思い出」「本なら買ってもいい」等、
CMとかから聞きかじった言葉から母が勝手に家訓にしただけの、オリジナリティも何にもないものばかり。
今思えば豊かさを金銭に依存しない価値観によるものが多かったのかな。
そのほかには「ナンバー1よりオンリ−1」(世界にひとつだけの花)「幸せはいつも自分の心が決める」(相田みつお)も家訓。
家訓多いね。認定しているのはすべて母。
お金がなかったから、母はそうやって自分に言い聞かせながら、我慢に理由をつけて、暮らしや心を維持していたのかもしれません。
我が家が貧乏だった話は、以前書いたものをこちらの媒体にて掲載いただいています。

お金に無頓着なわたしですが、やっぱり無収入は怖いです。
なんとなく会社員は合わない気がすると思い始めたのは3年くらい前。
会社員を辞めると無収入になる可能性あるなあと思うと、覚悟はなかなかできなかったです。
”独立前に副業的に何かを初めてみて収入の目処立てておく方がよい”みたいなことはよく聞くのですが、そんなの無理くないですか?
「適当に仕事をして体力を残す」って具体的にどういう行動すれば実現できるの?? と思い悩むほど、アホみたいに目の前に全力投球してしまうので、会社員と同時並行で下準備をするとかは、かなり無理でした。

そして、お金に無頓着だからこそ、浪費家でもあり。
けっこうお金使います。
数感覚が皆無なのも手伝って、
未来に残しておこう、みたいな気持ちがあまり働かないんですよね。
大人としてだらしないですよね……。情けないです。
給与明細とか見たことなかったけれど、そこそこがんばって働いていたし、働いた分はちゃんとお給料としていただけたありがたい環境だったからなんとなかっていただけ。どうなの大人として。ヒドイ。


会社をやめて、出ていくお金に敏感になってはじめて
お金を使う前に一度手を止めることが多くなり
これまでも、無頓着なりに「何に金を使うか」の用途に関して、ジャッジをしていたことに気がつきました。
用途を分類すると大きく3つでした。
オリジナルの考え方ではなく、よく語られることではありますが、浪費家だと自覚しているからこそ、今後はより、お金の使途にはシビアになりたい、コスパのよい金の使い方をしたいと思うので、記しておこうと思います。
(お金を使う量を減らす、という反省はないのかというセルフツッコミはいったん全力でおいときます……! 文脈上、文脈上おいとくだけで考えてないわけじゃないよ! たぶんね!!)


■1:投資


本を買ったり、映画をみたり、美術館に行ったり、セミナーに行ったり、オンラインサロンに入ったりみたいな。自分の人生の糧になるものがこのカテゴリー。「自分に役立つかどうか」というのがジャッジポイントです。
美味しいものを食べる、もここに入ります。美味しいものを食べることで元気が出たり、親しい人とお話ができたり、家族の時間が豊かになったりするのなら、それは心の糧になる。
固定費を限りなく0にして始めるのがセオリーな独立・開業で即オフィス借りて固定費出してたりするのも投資だと思っているからですね。当時はそこまで丁寧にジャッジして決めたわけではないけれど、価値ある出費と思っています。
そして、収入安定していないくせに、来年はわりとがつっと、100万円単位でここに使う予定があります。なんだか、勉強したい欲が止まらない。お前は大丈夫なのか、と目先の収支を見るとビビるけど、投資だから必ず自分に返ってくると思うと多少の冒険はできる気がします。


■2:投げ銭


モノやサービスには必ず「中の人」がいる。誰かが生み出したからソレがココにある。「これ好き!」ってモノやサービスに出会ったら「作ってくれてありがとう!わたしの好きって気持ち届け!」と思ってお金払います。投げ銭。役に立たないなあと思っても「好きだから買う」みたいなもの、けっこう多いです。わたしがお金を払うから、コレがこの世に存在することができる……と思うと尊い気持ちになります。推しに課金する的な? そういうのを無駄使いと思いたくなくて正当化している言葉なのかも。投げ銭めちゃ多い。
美術館行くと図録とか買っちゃうし、謎にJOJOの一番クジとか何度もやっちゃう(ピストルズの弾丸リップがどうしてもほしかったが結局手に入らず涙)。服とかもめちゃ買う。だからモノが多くなりがちで……。好きだから。好きなものを着ていたいから。
もうちょっと投げ銭ジャッジシビアにしたほうがよいかなあ。一月の投げ銭上限決めたほうがいいのかなあ? 買ったもの1つ1つもちゃんと大切に愛でられる量、管理できる量じゃないとダメですね。
本や映画でも、好きなものだったら投資というより、投げ銭的にお金使ってることも多いです。投資でもあり投げ銭でもあるときは財布の紐ゆるゆるになりますよねえ。
「自分への投げ銭」もあります。頑張った自分へのご褒美というか、証というか。自分への応援。例えば、社会人5年目のときにけっこういい時計を買いました。そうやって、モノと思いを結びつけるお金の使い方もわりと好きです。ただ、自分への投げ銭は自分次第すぎて、やりすぎると麻痺してきちゃってありがたみなくなるから、ここぞというときに。
人へのプレゼントも「応援」という意味での投げ銭ですね。「付き合いであげとくか〜」みたいなプレゼントはしない。当たり前だけど応援したくない人に投げ銭はしたくない。”お付き合い”的なやつで金使いたくない……!(浪費家のくせに酷いケチ!)


■3:浪費・消費


これまで、2「投げ銭」でお金を使うことは多くでも、3「浪費」はあまりしないように無意識に気をつけていた気がします。
実家が貧乏だったから、浪費や消費には厳しかったことが染み付いてるからなんでしょうか。無駄使いは悪みたいな。母の怖い顔が浮かびます。
「単なる贅沢」と思えたら、つまり、これに金を使うことが1「投資」2「投げ銭」に当てはまらないな、と思えたら、500円でも使わない。いや500円くらいならいっか! と思ってなんとなく使ってたこともたくさんあるけど、これからは控えよう!! 社会人になって自分で稼いだお金を手にしたことが嬉しくて、いろいろお金を使ったりもしたけれど、この分類でお金を使っちゃうと「あー無駄使いしちゃったなあ」みたいな気持ちになって、あまりよい気持ちにならなかったです。お金払った分だけのリターンがない。コスパ悪い。
栄養にもならず好きでもないのにただただ脂肪にだけなる高カロリーな食べ物みたいな。
20代の頃は温泉旅行が嫌いでした。友達に誘われても断ってた笑 あてもなく四国を旅する1週間の旅とかは大好きだったんだけど、たぶんそれは「投資」分類に入る旅行で、温泉旅行は当時のわたしのなかで「浪費」だったんだと思います。
年をとり、温泉で癒されてゆっくりすごすことが「未来の自分への投資」「心のメンテナンス」という分類に入ることがようやくわかってきて、今では温泉旅行も、ナシじゃないなって意識が変わってきました。仕事がくっそ忙しくてイライラしていた時期はとにかく温泉でぼーっとしたかったなあ。今はそうでもないので、今のわたしにとって温泉はやや浪費かな。
あとは、別にスポーツすることは好きじゃないのでスノボ旅行とか、拒否し続けてたらさすがに誘われなくなるね。夫はスノボに行くために車を持っているような人だけど、一度もスノボ行ってない。頑なに。(応援は好きなので甲子園には行く)
大好きな服も、セール時期は「浪費」分類になりがち。そこまで好きじゃないけどなんとなく50%オフなら買っちゃう! みたいなのは「投げ銭」でも「投資」でもなく「浪費」なのでやめたいです。(割引かれるとすぐ買うのはほんとやめよう。反省。)

***

何を「投資」「投げ銭」「浪費・消費」と捉えるかは人それぞれなので、例えば美術館が浪費になる人もいるだろうし(美術館に何目的で行けばいいのかわからないという先輩がいた。それはそれでひとつの価値観だし、その人がそこにお金使うのもったいない)、わたしが嫌いだった温泉旅行が「投資」や「投げ銭」になる人もたくさんいることも知っています。
お金の使い方で人の価値観を評価するのではなく、自分に対してちゃんと意識してお金を使っていきたいです。お金を使う前に、果たしてこれは「投資」「投げ銭」「浪費」のどれだろうか、と少しだけ立ち止まって、価値のあるお金の使い方、納得のできるお金の使い方ができるように。さて、節約できる気配がないな。どうしよう。それはまた考えよう。

そして、こうやって書いてみて改めて思ったこと。
わたしの仕事に価値を感じてくださり、「投資」や「投げ銭」としてギャラを支払ってくれる方の気持ちは、裏切らないように、答えられるように、プライドを持って仕事をしていきたいな、などと、いい感じに締め括ります。

聖なる夜にお金の話でした。


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