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独断専行の奈良案内 (1)


朱雀

日本有数の観光地である奈良については多くの案内が氾濫している。

しかしここに恒常的に住民の立場から書かれたものはそう多くないようだ。

奈良に住んで40年あまり。
根付いた暮らしをベースに綴っていきます。

朱雀(1)
 まずは、自分の住居のある「朱雀」からはじめよう。

 「朱雀」は古い中国の四神のひとつで南方を意味するのは良く知られている。

奈良の朱雀はでたらめもいいところで平城京の真北3kmに位置する。何のことはない、70年代中ごろから始まる平城ニュータウンの開発にともなって、奈良らしい名前をということで付けられた。

 千里や泉北ニュータウンの街区が、個性のかけらもない○○台という呼称を次々に持たされていったのを、後発として反面教師にした面もある。

しかし、名前をいじったところで街づくりのポリシーは全国にあまねく作られた○○台と変わるところはない。

 かくして都の位置から見ればこれまた正確に正反対の「右京」と「左京」、それに加えて「神功(じんぐう)」とともに、それぞれが1丁目から数丁目までを画一的に持つベッドタウンを構成している。

 「ならまち」や大仏のある奈良旧市街へは直線距離で5kmほど。

しかし両方の住民相互には同じ奈良市民であるという自覚(アイデンティティ)は、当然のことながらあまりない。

 平城宮跡にある奈文研(奈良文化財研究所)の資料館に1950年代に撮影された奈良市の航空写真のパネルがあった。

それを見れば平城宮のすぐ北の佐保、佐紀に点在する農家とウワナベ・コナベ古墳の北側は、近鉄の線路だけが横切る全くの山林であって、樹木以外何も見当たらないのである。

 そこに忽然と出現したコンクリート・ジャングルは、古代より歴史が堆積する旧市街からみれば、全国あちらこちらから流れ着き、毎日大阪や京都に勤めに出るよそ者の街だし、逆にニュータウン住民は観光客として旧市街に出かける。

買い物はタウン内のスーパーで済ませるし、済まなければ観光土産屋は多いがデパートひとつない旧市街は用をなさず、大阪・京都に出るだけのことだ。

 ともあれ朱雀を含むニュータウンはこの40年を経る中で成熟期に入り、公共施設やショッピングモールも整い利便性のいい落ち着いた街になってきてはいる。一度立ち寄ってみてはいかがでしょうか。


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