仏の顔も三度まで、人の足場は三度から
三度目の投稿です。
三日坊主ということばがあるように、新しいことに取り組むとき、最初の1・2回はやる気があるのですが、3回目くらいからだんだん気持ちが薄れてくることがあります。
「仏の顔も三度まで」ということばもあるのに、その仏門に入るべき人が三日坊主と言われてしまうのは皮肉なものです。
でも、そのハードルを越えると、長く続けられる、習慣化という道が開けてきます。
「小さな習慣」という本では、続けたい目標は、ばかばかしいほど小さくすることを提案しています。
たとえば腕立て伏せを毎日やり続けようとするなら、「毎日10回」ではなく「毎日1回」のように。
あまりにも簡単すぎる目標だからこそ、失敗を恐れずに続けられるのです。
だから、このnoteも、日常に思い浮かんだどんな小さなネタでも、記事にしていこうと思います。
「三」について、もう少し考察を深めてみます。
古今東西、三という数字には特別な意味がこめられていました。
三位一体も、三密も、元々は宗教用語。
三角形というのは直線でできた図形の中でもっとも基本的なもので、かつ、最も安定した形でもあります。
四本の柱でつくった四角形だと力がかかってつぶれてしまうので、斜めの柱を入れて三角形をつくるのは、建築の基本です。
神や仏に近づけない人の身でも、三からはじめることで、力強い足場を得ることができるのです。
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