休むことが苦手です
離脱症状が現れてから1週間。
イフェクサーは医師の指示通り1錠に減らして服用しており、
手の震えやシャンビリ感などの目立った症状は出ていません。
発症の翌日は派遣のお仕事を半日休ませていただき、
週末に予定していた従妹のお姉ちゃんとのランチもキャンセル。
なぜか夜中に泣き出してしまった日もありましたが、
それはフェイスブックを見て前職のとある人たちのことを
考えてしまったからだと振り返りの結果わかり、今は落ち着いています。
文字の羅列になってしまうけれど、今日書き出したいことは2つ。
表題の通り、何もしないことが苦手だと改めて気づいたことと、
なぜか「辞めたことを振り返る文章を書きつつ、
前職の役職者たちに責任を感じさせたい」と思ってしまうこと、だ。
誰かに届けたいわけでもなく、
15時からの仕事までの時間つぶし、
そしてタイピング練習を兼ねて書いてみようと思います。
休むって難しい
適応障害になってから、自分は休むことが苦手やと知り、
休職中や退職後の日々を通して『休み方』を見つけたつもりやったけど
それでも休むことが苦手で、まだ休み方をわかってなかった、
ということに気が付きました。
え、休むってなにすんの?笑
ずっと寝てばっかりは何となく心が落ち着かない。
かといって布団の中でSNSや動画・漫画を見漁るのも
私は何となく罪悪感と自己嫌悪感を抱いてしまう。
ThinkTraderでチャート見るのもなんか気乗りしない、、、
大好きな読書も、何となく気が乗らない。
お菓子ばっか食べてるのも、栄養バランス気になって不安になるし、
ぼーっとすることは好きやけど、家の中ではつまらん。
床掃除はすぐ終わっちゃうし、結局時間が余る。
家事は楽しいけど「なんで私ばっかりやってんの?」と
身勝手に思い途中でやめてしまう(笑)……ほんまに身勝手。
休むって、みんななにしてるんやろう、、、
今日は15時から仕事で、今は13:45やからあと一時間。
勤務は24時までやから寝ればええのに、と自分でも思うけど
別に寝たくはないのよ、、、、
休むって、難しい。
一日一日を無駄にしたくない思いが強すぎるのか。
そもそも無駄って何なのか。
がむしゃらに仕事を頑張る人が偉いのか、幸せなのか、そうではない。
ほな私は今日1日を無意味にゆっくりとすごしていいの?
でもやりたいことはたくさんある、
けれど詰め込みすぎたらしんどくなってブレーキがかかる。
……という風に、ぐるぐると考えてしまうのです。
頭が勝手に回って、思考に言語が追い付かなくなって
ついさっき考えたこともすぐ忘れてしまう。
(ちなみに私はたまに思考に追いつけず呂律も回らなくなります)
人にわかりやすく説明する訓練を大学生の時からしてきたけど、
私って未だに言葉足らずで説明が下手なんやろか。
他の人が何を考えているかはわからんけど、
私の思ってることを理解してくれるくらい
思考回路が似ている人って少ない気がしてしまう。
あるいは私が少数派で、説明が下手で、物分かりが悪いのか。
正解も答えも何もないけど、こういうことをぐるぐると考えてしまう。
そうすると、脳が疲れてしまって、やっぱり休んだ感じがせんくなる。
この感覚、わかる人はいるのかな。意外とみんなそうなんかな。
思考の羅列やから支離滅裂やけど、
言いたいことは、休むって難しいってことです。
なぜ前職の上司たちに罪悪感を感じさせたいのか
これってめちゃくちゃ無駄なエネルギーやと自分で思ってる。
意味もないし、なんなら私が前職を辞めたことは私の責任。
他責になんか、ぜtttttttttったいにしたくない!
それでも、どこかで思ってしまう自分がいる。
「もっと早くに辞めていたら適応障害にならず治療に苦しまんかった」
「もっと早くに頑張ることを諦めたら愛想笑いしなくてよかった」
「テレアポなんか研修内容に無かったら、
もうちょっとあの場で尊敬する社員さんたちから学べていたかな」
などなど。
すっごく他責的なのはわかっている自覚している。
私が適応障害になったのはあの人たちのせいではない。
愛想よくして気を遣うのも私の元々の性格。
自分でストレスをコントロールできなかった私が招いた結果。
それでも、、、。
これまでの友達や恩師たちに「あんたはどこ行っても大丈夫」と言われ
知り合って1か月の派遣の職場先でも、ありがたいことに
「○○さんは賢く気も利いていて安心感がある」
「適応しすぎの適応障害やから安心して」などといってもらえる私が、
会社でうまく活かされずに挙句精神疾患を患ってったしまった現状を、
前職の上司たちに知ってもらいたくなってしまうのはなぜだろうか。
「あなたたちは私を使いこなすことができなかったね」と
暗に伝えてしまいたくなるこの気持ちは何なのだろうか。
こんなしょーもないことで自己肯定感を高めたいわけでもないのに、
なぜか考えてしまう。
Facebookににそんな趣旨のことを投稿して、
彼らの目について何か感じてと願ってしまう。
自分が適応障害になり(自分の責任で)離脱症状にも悩まされたことを
そもそもその根源はあなたたちだと暗に伝えたくなる。
本来であればこんなことすっかり忘れたいのに、
こんなマイナスな感情にリソースを割きたくないのに、
一般的に見ればそんなに劣ってもない私を使いこなせなかった前職に
何か感じてほしいと、たまに考えてしまう。
これが間違っているのももちろんわかっている。
被雇用者である限り、会社の方向性や指示に従うことが求められるとも、
合う合わないは誰にでもあり、たまたま1社目が合わなかったことも、
そもそも私はそんなに優れた人材ではないかもしれないということも、
わかったうえで、それでも思ってしまうのはなぜか。
こんなことをぐるぐる考え、自己否定してはまた考え、
そうしているうちに何もする気が起きなくなって夜中に泣いてしまった。
これは何だろうか。誰か教えてほしい、と思ってしまう。
否定しなくてよくても、なんで私はこうなってしまったん?て思てまう。
誰か助けて。
でも、人生に正解はないから、
いつか自分で自分が納得する解を見つけるまで、
忘れたり逃げたり向き合ったり超えたりしていかなあかんのやろうなぁ。
そもそも向き合う必要もなく、
こんなことを考える自分を受け入れてあげることが、
本当に必要なことなんやろうなぁ。
自分を認めて受け入れるって、わかってるつもりでも凄く難しい。
人にこんな話をすると、「でも~~だと思う」などと諭されたり
アドバイスをいただいたりする。
ありがたいことやけど、そんなことはとうに考えており
それを踏まえたうえで、こう思うからどうしようか相談してるんや、
とこれまた身勝手に思ってしまう。
難しいね。
と、長ったらしく、ぐるぐるとめぐる内容に
付き合ってくださった方はいるのでしょうか。
もしいたら、最後までお読みいただきありがとうございます。
ここ数日は、今からでも薬に頼らず自分でセロトニンを制御できるよう
(現実的かはさておき、気持ち的なところで、、、笑)
朝に体を起こすストレッチをやったり、
日光浴を兼ね隣町の森まで散歩したりして過ごしています。
さぁ、明日からも生きますか。
2020/10/27 泉水子