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最初のそれほど面白くない記事

社会の上の方の人々というものと遭遇して最も衝撃的であったことのひとつは、この人たち、少々のことでは驚きもせずクスリとも笑わないということ、権益の獲得や身内の利益に紐づかない限りは、基本的に「それがどうした」というスタンスを見せ、しかも皆の手前そうしているのではなくて、どうやら本心のところで思っているらしい、そしてまた、それがかっこいいのだとさえ、思っているらしいということであった。

魅力的な旅行体験記というものは、新鮮な驚きに隅々まで満ち溢れているもので、私たちがそういったものを見て感動するのは、彼らの新鮮な驚きを、彼らの肩越しに追体験できるせいではないかと感じる。ここ最近ハマっている、韓国人日本旅行者のVlogを見ていても、カメラを向ける対象や編集の細部、表情、ナレーションに至るまで、発見と喜びに満ち溢れており、見る人を飽きさせないのはそうした、作り手自身の感動とその共有があるからだと感じている。その意味では・・・

こうした「上の方の人々」には、本当の意味での感動を作り出せるのか? この点については、疑問を感じざるを得ない。あのクリエイターが著名だと聞けば使い、このプロダクトが人気だと聞けば取り寄せ、配下で回してやれ「感動」を作り出そうとはするものの、見た目はともあれ実際には、全く作り出せていないのが、本当のところのような気がする。

コドモではないのだから、生きていく上では、権益も身内も大事なのはわかる。でも、時に人は、思いもしない風景や事象との邂逅に、利害など計算するヒマもなく心揺さぶられるものなのであり、作品とはその感動を受け手と共有するためのすべなのであるから、そのことを忘れて日々生きている人がその延長に考えることのできるものではない気がするわけである。

  • 続くのかな?

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