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分かるところから進めるしかない

(昨日の続き)

「統計検定・準1級」を独学するにあたって八方塞がりの中、
結果的に落ち着いたのはこういう考え方だった。

じつをいえば、統計検定の受験へ向けて一歩を踏み出した理由も、皆目意味不明な統計検定の世界の中に、理解可能な部分が一部見えたからであり、それまでに関してはやはり、問題文の意味不明さに取りつく島をなくし、なすすべをなくしていただけだったのだ。

それは、範囲が広大で内容のめっちゃ細かいテキストの、ごくごく一部分に過ぎなかったのだが、着手できる部分が「ある」というだけでありがたいものだった。まるでそれは解読不能な異国の文面の中にわずかに自国の文字を見出したようなものであり、未踏の洞窟の入り口をようやく見つけ出すことができた瞬間と言ってもいいくらいのものでもあったと思う。

ちなみにこの状況を経営学ではセンスメイキングというらしい。暗中模索の状況の中で、進むべき道がまるでわからなくても、進め「そうな」方向がわかるということが、実際上重要なのだという。

ただ、まるで意味不明なその文面の中に、一部でも解明可能な部分を見出せるようになるまでにも、自分の場合にはそれなりの時間を費やしている。線形代数、微分積分、大学で単位は取れていたはずのこれらの分野が、実際にはまるで理解できていないことがわかり、これもまた独学で、やむなく復習をする羽目に陥ったのだが、それはまた別の物語としたい。

ともかくも自分は、テキストの中に理解可能な部分を見つけたということ。依然暗がりの中で意味不明に近い部分は多く残されているが、ひょっとしたらものになるかもしれないという感覚を得たこと。

そして次に具体的に何をやったのかというところから、次回の話としたい。

(続きは少し先になります)


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