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小説・武光と懐良(たけみつとかねなが)敗れざる者③


第一章  豊田の十郎

比叡山からは一方には京の都が見下ろせ、反対側には琵琶湖の風景が見下ろせた。
大比叡(だいひえい)と双耳峰(そうじほう)の二峰からなる尾根の至る所に伽藍(がらん)や僧堂が展開されている。
比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)は天台宗の開祖、最澄(さいちょう)によって開かれた。当時仏教は最高の学問としての地位を誇り、延暦寺は日本最高学府であり、天皇家の保護を受けてきた。今尚、新興の武家権力に対して権威を保ち、一定の不可侵権を持っている。今はそれが頼りの後醍醐帝(ごだいごてい)だった。
一三三三六年 延元元年、深夜である。
比叡山延暦寺内、清廉院の奥では護摩壇がしつらえられ、盛大に炎が燃やされて護摩祈祷が行われている真っ最中だ。
後醍醐帝は早くから護摩祈祷に傾倒して自身調伏の祈祷を行った。
僧侶によって太鼓が打ち鳴らされ、後醍醐帝が自ら護摩を焚き、マントラを唱える。
「オンマリシエイソワカ、オンマリシエイソワカ!」
既に二時間近くも祈りを続けている。
激しい炎と護摩の煙の中、赤々と炎に照らされた後醍醐帝の顔は汗にまみれ、目が吊り上がり、控えてそれに同期しながら祈祷させられる息子である皇子たちには異様に見えた。
皇帝の座にありながら鬼道じみた加治祈祷に入れ込む後醍醐は一種変人であった。
一番幼い懐良親王(かねながしんのう・六歳)は体の震えを我慢するのが精一杯だった。
「朝廷にあだなす足利尊氏を滅ぼしたまえ、打ち払いたまえ、かーっ!」
感極まって見返り、後醍醐帝が凄愴な面持ちで皇子たちを見まわす。
「息子どもよ、朕(ちん)は恨めしい、朕を裏切って政権奪取に走る足利尊氏が」
その顔には涙があふれて火に照らされ、てらてらと不気味に光っている。
討幕を果たすも建武の新政を阻まれた後醍醐天皇は足利尊氏に追いつめられている。
足利尊氏の武家方に比叡山を取り囲まれ、明日にも討ち入られかねない状況だった。
「朕の為にこれまでも皇子たちが命を落とした、したが尊氏は益々勢力を募らせおる、このままでは朕は、朕は!」
と涙を流し、がっくりと手をついて肩で息をされた。
「わしはお前たちに使命を託す、よいか、我ら宮方に味方する有志を探せ、足利尊氏に目にもの見せよ、懐良、懐良はおるか?」
不気味な相手から目を逸らしたいけれど、それが天皇でありわが父であってみれば、そうはいかないことだけはこの幼い親王にも理解できて、必死に座り続けている。
名は牧の宮懐良(まきのみやかねなが)、六歳。
怯えた顔になる懐良の肩を押し、背後に控えた五条頼元がわずかに進みださせた。
怯えながら固くなった六歳の少年の顔を見ながら、後醍醐帝は顔を歪めて言う。
「懐良を鎮西の宮、征西大将軍に任ずる、…分かるか?懐良」
後醍醐帝が懐良の背後に控える五条頼元(四十八歳)親子以下の十社、中院義定(なかのいんよしさだ・四十二歳)、冷泉持房(れいぜいもちふさ)たちを見やる。
「頼元、…皆も頼むぞ、…懐良を守って西へ向かえ、味方を探し出すのじゃ、なんとしても」
懐良親王は後醍醐帝の第十六皇子であり、こんな幼子さえ駆り出さねばならぬほど、後醍醐帝は追い詰められていた。
「智勇すぐれたる武士を探せ、我ら宮方の為に戦ってくれる勢力をだ、頼むぞ、懐良」
いつまでもくどく言う後醍醐帝の気持ちは弱り切っている、と頼元は見た。
おいたわしい、と思い、袖で涙を拭いた。
「懐良、…懐良…」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃな顔の後醍醐帝が這い寄ってきそうで懐良の腰が引けたが、頼元が制して逃がさない。
見やれば思いつめて張り詰めたひ弱な親王の姿に頼元の心は痛む。
背後の院前の外廊下に人影がある。
垂髪に小袿(こうちぎ)姿の二条藤子が涙の目で親王を見つめる。
懐良の母は権代納言三位の局、左中将藤原為道の妹、二条藤子である。
藤子は息子の過酷な未来を思い、胸が痛んだが、これにもなす術はない。

博多合戦から三年の後、鎌倉幕府は既になかったが、世の中は落ち着かなかった。
後醍醐帝と足利尊氏が仲違いして争い合っていたからだ。
後醍醐帝と足利尊氏がなぜ戦い始めたのか、簡単にいえば、共に鎌倉幕府を倒したものの、いざ政治を始めようという段になって、両者がトップ争いを始めてしまったのだった。
その間の流れをできるだけ簡略化して説明すると、博多合戦の後、後醍醐帝の討幕の動きは進み、護良親王(もりながしんのう)と足利尊氏の力で北条の鎌倉幕府を討幕でき、一応後醍醐帝の新政権が発足した。しかし、後醍醐帝が自分の思う政治を行おうとするや、今度は内部の派閥争いが表面化、護良親王も足利尊氏もそれぞれ征夷大将軍の地位を争って画策しあい、護良親王は足利氏の支配する鎌倉で不審死を遂げた。
その後、足利尊氏が鎌倉に居座り、武家による幕府再建の動きを見せたため、後醍醐帝側の新田義定が討伐軍として鎌倉の足利尊氏に向けて放たれた。
ここに後醍醐帝の宮方と、足利尊氏の武家方という対立構図が生まれた。
「朝敵」の烙印を押されて追われた足利尊氏は不利な情勢となった。
その後宮方が鎌倉を占領、足利尊氏はいったん九州へのがれるも、多々良浜の合戦で宮方と対戦し、この時は武家方尊氏勢の勝利に終わった。
宮方軍には菊池一族も参加して敗北している。
その勢いを得てすぐさま東上して宮方勢、楠木正成(くすのきまさしげ)らと戦った足利尊氏は以後勝利を重ね、湊川(みなとがわ)のいくさで楠木正成を倒し、京を制圧した。
楠木正成、名和長年という忠臣を失い、後醍醐帝は切羽詰まって今に至っている。
延暦寺の寺域は広大で、そのどこに後醍醐帝が匿われているのかを足利勢はまだ探知できていなかったが、足利直義は尾張、美濃、伊賀、伊勢の尊氏党を呼び寄せており、尊氏は根来衆(ねごろしゅう)を引き連れて延暦寺を遠巻きにしている。
発見されて捕縛されるのは既に時間の問題と思えた。
そんな中での後醍醐帝の苦し紛れの策が、幼い親王たちを日本各地に派遣することだった。

数日後の比叡山中の闇の中、未明のこと。
世の中は切羽詰まり、この暗闇でさえ不穏な空気に満ち満ちている。
木立の中の道を懐良親王と五条頼元以下お供の公家たちが逃れ落ちていく。
六歳の懐良の手を、頼元が引いて足元に注意しながら歩いた。
松明などの明かりを用いるわけにはいかない。
総勢でも一〇人に過ぎない一行だ。これが天皇に命じられて派遣される征西将軍と家来たちの姿なのである。
皆声もなく進みゆくが、早くも周囲に警戒して物音を立てまいとさらに息をひそめた。
(わしがこの子の後見人だ、守ってゆかねばならない、…この子に使命を果たさせるのがわしの責務だ、…守らねばならぬ)
頼元が思い詰めて何度も自分に言い聞かせ、自身に使命感を刷り込んでいく。
頼元は後醍醐帝に長く仕えた役人で昇殿を許され、勘解由次官(かげゆじかん)を拝官し、深い信頼を得てきた人物だ。五条という名も賜り、征西将軍懐良親王の後ろ盾として全権を委ねられている。
今、征西将軍となって当てもない旅に出る親王の運命はかかって頼元次第と言えた。
その責任感で生真面目な頼元は張り詰めている。
今、敵に襲われればひとたまりもない、そうなればこの剣にものを言わすしかない、そう思い定めて張り詰めているのは中院義定(なかのいんよしさだ)だ。
貴種でありながら武辺の漢(おとこ)、中院義定は刀に手をかけ、油断なく周囲を警戒する。その義定がはっとなって身構え、手振りで皆の足を止めさせる。
頼元がさっと懐良をかばったが、すぐにおお、と緊張を解いた。
木陰から二条藤子が小袿に長袴の姿を現してきた。
「お母さま!」
懐良が頼元の手を振りほどき、駆け寄ってその懐に飛び込んだ。
「懐良、…牧の宮さま、…お父上のお心はシカと受け止めましたか?」
母から聞かされたいのはそんな言葉ではなく、懐良は苦しい顔で母の体にしがみつく。
それを感じてさらに涙を流し、藤子は紙のひな人形を取り出し、懐良に渡した。
「一緒に作ったお雛様(ひなさま)、男の子なのにおかしいと私が言ったのに、あなたはせがんだ、覚えていますね?」
母手作りのひな人形。それを見つめながら懐良が頷く。
「これをお持ちなさい、私との思い出に、…私を忘れないで」
あまりに悲しい母の言い草に、懐良は抗議の気持ちを込めて母の顔を見上げたが、そこに我が子と引き離される母の涙を見て、自分もこらえきれず涙を溢れさせ、お雛様を見下ろした。
「宮さま」
心を鬼にした頼元にせかされ、懐良は再び歩き出し、皆もそれに従った。
細長を着用して旅装束とした懐良のその後ろ背に、もう一度藤子が声をかけた。
「祈っていますよ」
何をとは藤子は言わなかった。
だが、使命を果たすことをではなく、ただ無事でいてくれることだけをであることは、懐良以外の一同皆にも痛いほど分かっていた。
藤子はそこに立ち尽くしていつまでも見送った。
一行は琵琶湖の水面の方角へシルエットとなって遠ざかっていく。
懐良は数度見返った。
母の方角は森の木立に覆われて闇となり、その姿はもう見えなかった。
母をしっかり見おぼえておくことはできず、それが懐良が母を見た生涯最後の時となった。以後、両者がまみえることは二度となかった。



《今回の登場人物》

〇懐良親王(かねながしんのう)
後醍醐帝の末子。南朝巻き返しの最後の希望となって征西将軍とされるも流浪の果てに菊池武光に迎えられ、やっと希望を見出す。武光の支えで九州を統一、やがて東征して皇統を統一するか、九州王朝を開くかの岐路に立たされる。

〇後醍醐天皇
南北朝動乱のきっかけを作った悲運の皇帝。
懐良親王の父親。

〇五条頼元
清原氏の出で、代々儒学を持って朝廷に出仕した。懐良親王の侍従として京を発ち、親王を薫陶し育て上げる。九州で親王、武光の補佐をして征西府発展の為に生涯を尽くす。

〇五条頼氏
頼元の息子。

〇中院義定(なかのいんよしさだ)、持房親子
公卿武士、侍従。

〇池尻胤房、坊門資世
侍従たち。

〇二条藤子
懐良の母。




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