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小説「武光と懐良(たけみつとかねなが)敗れざる者」59


第十二章   落日



四、

 
今川了俊は西海道を攻め下るのに、十分な時間をかけている。
一年近い年月をかけて西海道の武士団を自分の哲学に巻き込み、報酬と圧力で自在に操れるよう仕向けた。そしてじっくりと作戦を練った。まず息子の義範(よしのり)に国東(くにさき)から来た九州北朝の将、田原氏能(うじよし)をつけ、豊前、豊後の兵を率いさせ、尾道の津から豊後高崎城へ向かわせようと考えた。そこから義範に大友勢と呼応させて太宰府の菊池勢を後方から襲わせる計画だった。さらに弟頼秦(よりやす)を肥前に派遣して松浦党と組ませ、西方から大宰府を伺わせようと計画した。
了俊自身は最後に中央豊前から九州に侵入し、併せて三方向から大宰府を抜こうと狙ったのだった。あとは武将どもの自発性に任せた。それこそが了俊の最大の戦略だった。
大友弘世と息子義弘、岩見の周布士心、備後の山内通忠、安芸の毛利元春、吉川経見、永井貞弘らは、露払いを務めるように派手に動いて見せながら、今川了俊が悠然と関門海峡を渡るのをカバーする予定となっている。
「道ゆきぶり」という紀行文をものしながら、今川了俊はゆっくりと九州入りを進めつつ、支配下の軍勢を思うさま操った。文芸作品をものしながらのいくさは片手間のようだが、それでも権勢をフルに用いた圧倒的指揮ぶりで九州へ迫ろうとしていた。
この時、惟澄亡き後の阿蘇大宮司家は惟村と息子たちがとりまわしていたが、了俊の手に乗せられ、いいように使いまわされて征西府攻撃の走狗を務めている。それが阿蘇大宮司家の南北朝時代、最後の光明となった。それらの情報が鬼面党からもたらされ、いよいよ来たか、との思いで武光は迎撃態勢を固めた。
 
征西府の御殿内、幹部たちによる寄合が開かれている。
「武光様、直ちに反撃に移らねば」
城隆顕が言い、菊池武義が応えた。
「南九州の南朝勢力を秘かに菊池へ呼集し申そう、たとえ北朝軍今川了俊の噂に怯えるものありといえども、棟梁の号令がかかれば、気持ちを盛り返しましょう」
「うむ、総員を呼集して迎え撃つばいた」
武光が言うが、力ない。猿谷坊が言いにくそうに報告を追加する。
「北朝勢が南方より菊池に迫っており申す」
猿谷坊から思いがけない敵の働きが報告された。
「大友勢も島津勢も、ひそかに軍勢をまとめ、西海道を下り来る諸軍と合流するために動きおるのは間違いござりませぬ」
「なに!?」
島津、渋谷、日向、土持、相良、海賊小代氏までが寝返ったというのだ。
今川了俊の徹底した勧誘工作の結果だ。
「身内のはずの小代氏までが!?」
武政が信じられぬという表情を見せ青ざめた。今川了俊というのはとてつもない権力を持った、とてつもない策士であると全員が認識した。
西国武将どもの動きと合わせて、もはや敗北間違いなし、とみて動揺する武将の一人が口火を切った。
「こたびの北朝勢の勢いはすさまじいものがござる、もはや降参しかなかではなかろうか、武装解除して恭順の意を表し、親王の助命を願い出ようではござらぬか」
その言葉に弱気派が顔を見合わせ、うなずきあった。
神経をピクリと逆立てた懐良親王が口を出しかけた時、叫んだものがある。
「なん言いよっとか!ふやけたことをぬかすな!」
十二歳と若い賀ヶ丸(ががまる)が激怒していた。
「征西府に、いや、我が菊池に降参などあり得ぬわい、どぎゃん形勢であれ、敵の大将を取ればよかたい、おいがとってみするわい、爺様、親父様、おいに手勢を任せてくいやい、今川了俊の首を取ってくるけん」
息子のはねっかえりに武政は苦い顔をしたが、武光は笑った。
菊池賀ヶ丸は武政の子、武光には孫にあたる。先日菊池から着倒した。
武光の十郎時分によく似た気性で向こう意気が強い。
武光は思わず相好を崩してなだめに回った。
「賀ヶ丸、その意気しばらく取っておきやい、いずれおまんがいくさの先頭に立つ時が来るばいた、じゃが、今川了俊の動きは抜け目がなか、各軍を目くらましにつこうて己は戦線からはるか後方で指揮を執る、こやつはそう簡単には討てぬよ」
それへ日和見派の武将がしたり顔で言う。
「左様、簡単ではござらぬ、分別されたし、あれだけの大軍、あれだけの策士の軍略、こたびばかりはさすがの征西府でも太刀打ちはできますまい、なにしろ九州の武将諸族どもが裏切りおるのでござる、何としても牧の宮様のお命は守らねばなりますまい、とにかく恭順の意を示し、助命嘆願の願いを」
と、命が惜しいのを隠して牧の宮の助命嘆願を口実に言い、それらの意見が武政を怯ませていた。武安もまた知性の悪く勝った意見を述べる。
「…助命嘆願、あながちない策でもないかもしれもはん、北朝には我ら南朝征西府の勢いは脅威であるはず、助命嘆願をきっかけに条件を付け、折り合いを探り合う、少しも好条件で折衷案を編み出し、休戦に持ち込む、いかがでござりましょう」
武政が救われたようにその案に賛成した。
「うむ、上策じゃ、武安、早速使者を立てて交渉にかかろうではないか」
賀ヶ丸がじろりと父親を睨みつけた。
武光は懐良の目を見やった。
その視線の先で、懐良は強張った顔で座っている。
その顔には怯えの色が浮かんでいる。懐良は征西府の先行きに希望を失い、足利幕府からの強烈な攻撃を予測し、敗北を予感しているのだろうと、武光は見た。
懐良が無気力なままに武安の口車に乗せられてしまえば、この場の結論が決まってしまう。そもそも助命嘆願はあり得ない、と武光は思った。この土壇場で今川了俊に対する親王の助命嘆願、条件闘争など、付け入られて征西府が道化になってしまうことなど自明の理だった。征西府は泥田の中で土下座させられる事態に陥る。
そうなってしまえば、懐良の最期はどれだけみじめなものになるだろう。
「使者の口上が問題でござる、助命嘆願の筋を直截に述べながらも、引けぬ条件ということで、南朝側の立場を少しも強く主張し…」
言い募る武安に対し、武光が口を開きかけるが、それより早く、瞑目していて誰もがまた居眠りをしているのであろうと思った中院義定(なかのいんよしさだ)が言う。
「助命嘆願は無理じゃな」
武安や武政が見返った。
「ここまで北朝を苦しめてきて、今更それは虫がよかろう、宮さまは誇り高き道を歩まれた、そこな武光殿もじゃ、道を全うすべし」
髪は白く薄く、すでに老境に入って枯れ果てているようだが、気迫は衰えていない。
その重い言葉には誰もが言い返せず、座は沈黙した。
武光は武時の首がさらされている光景を思い返していた。
博多のあの日の打ち首、さらし首をだ。父の首がさらされてある!
そのとたん、腹の底からとてつもない気力が沸き上がってきた。怒りだったかもしれない。懐良が二人の夢をあきらめたのだとしても、武光は親王をあきらめたくはなかった。武光がゆっくりと立ち上がった。
皆がはっと武光を見やった。
かつての決然たる意志の力が久々にその目にみなぎっていた。
「…征西府に降伏の道はなか、…今川了俊を討つ」
武光は懐良に目を据えて話した。
懐良が見つめ返した。
「…離脱したきものは遠慮なく去れ、だが、おいはあきらめぬ、助命嘆願は論外、迎え撃とう、討ち死になぞはせぬぞ、今川了俊をおびき寄せ、もつれあおうとも奴の首を狙う」
と、武光が決然と言った。
懐良はじっと見つめている。懐良には武光の気持ちがずばりと分かった。
武光は守りきる気なのだと。牧の宮懐良その人を、命に代えても守りきる気だと。
「それがかなわぬなら良きところで菊池へ引き上げる、菊池から反撃の機会を狙う、どこまで転戦しようとも、必ず奴の首を上げる」
「お待ちくだされ、おいの考えは違い申す!」
武政が強い口調で言うが、武光はぴしゃりと押さえた。
「菊池の棟梁はおいじゃ、なまなかな交渉なぞはせぬ、…我らに敗北はない」
武光の全身に殺気がみなぎっている。
城隆顕は久しぶりにかつてのいくさ神を目の当たりにした思いだった。
「城隆顕、策を巡らせよ」
ぎりぎり土壇場の賭けとなろう、しかし、初めからそうやって生きてきたおれたちだ、との思いだった。城隆顕がにやりと笑った。武光の蘇りを感じ、満足している。
武政と武安が視線を交わした。悔しさを押し殺し、耐えた。
武光が気力を回復したことで、場に力がみなぎり始めていた。
真のリーダーに気迫がみなぎる時、総員にとてつもない力が生まれてくる。
瞑目した中院義定が、んがっ、とイビキをかいた。
それで場が和んだ。どっと笑い声が起きた。
十歳ばかりのあどけない良成親王が退屈してあくびをし、にっこり笑った賀ヶ丸が仲良く遊んでやる。子供たちは無邪気で恐れを知らぬありさまだった。
その姿を好もしく微笑んで武光が見やるが、懐良も笑った。
今はまだ幼き彼らに征西府を託す、次の世代を支えて見せる、と武光の目が燃えている。
武政は武光を憎む、越えられない壁であると思った。どこまでいっても土壇場で逆らいきれない。だが、菊池が滅びては意味がない、武光は間違っていると思う。
武政の武光への絶望と怒りは絶頂を過ぎて、自虐への内向を始めている。



《今回の登場人物》

〇菊池武光(豊田の十郎)
菊池武時の息子ながら身分の低い女の子供であったために飛び地をあてがわれて無視されて育つ。しかし父への思慕の思いを胸に秘め、菊池ピンチの時救世主として登場、菊池十五代棟梁として懐良親王を戴き、九州統一、皇統統一という道筋に菊池の未来を切り開こうとする。
 
〇懐良親王(かねながしんのう)
後醍醐帝の末子。南朝巻き返しの最後の希望となって征西将軍とされるも流浪の果てに菊池武光に迎えられ、やっと希望を見出す。武光の支えで九州を統一、やがて東征して皇統を統一するか、九州王朝を開くかの岐路に立たされる。
 
〇城隆顕(じょうたかあき)
菊池一族の別れで城一族棟梁。抜群の軍略家で有能。最後まで武光に夢をかける。
知的な武将。

〇中院義定(なかのいんよしさだ)、持房親子
公卿武士、侍従。
  
〇菊池武政
武光の息子。武光の後を受けて菊池の指導者となる。
 
〇賀ヶ丸(ががまる)
武政の子で武光の孫。のちに菊池武朝となって活躍する。
 
〇良成親王(よしなりしんのう)
後小松天皇の皇子で、九州が南朝最後の希望となって新たな征西将軍として派遣され、懐良親王の後を継ぐ予定の幼い皇子。

〇今川了俊
北朝側から征西府攻略の切り札として派遣されたラスボス、最後の切り札。貴族かぶれの文人でありながら人を操るすべにたけた鎮西探題。
 
〇菊池武安
征西府幹部。

〇猿谷坊(さるたにぼう)
筑紫坊の相方で、鬼面党の首領の座を引き継ぎ、武光の為に諜報活動にあたる。
 
 
 
 

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