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関東から九州へ移住して見つけた新しい暮らし②


前回までのあらすじ


さて、東北大震災があって色々考え、ついには仕事を辞めて関東を去ろうと決め、熊本を選んだところまでは前回書きました。

熊本市へ

犬たちの為に引っ越しはキャンカーを使うことになり、旅行気分での車旅を楽しみながら、九州は熊本へ移住し、初めは熊本市内に住みました。


熊本2


家は何度か通って熊本市内に見つけてあり、狭いけれど戸建てで閑静な住宅街です。山の中腹の住宅街で、景色も素晴らしく、車がなければ不便ですが、それは関東に暮らしていた時からそうでしたので、まず満足のいく暮らしが始まりました。

当分のんびりするつもりだったのですが、仕事の整理やしがらみの整理など、やはり簡単には切り上げられず、その上自宅売却が思うように進まず、家族を残していったん関東へ戻ることになりました。

えー、別々に暮らすのかあ、しかも、また関東暮らし?と、めげましたが、この辺、思い付いたら考える前に動いてしまう自分的にはあるあるで、家族からは、今頃またあ、という顔で見られました。

楽しかった鎌倉単身赴任

通いで関東へ、というのでは不便で鎌倉に部屋を借り、鎌倉暮らしを楽しみながら色々整理を進めていきました。それはそれで楽しい暮らしでした。原発爆発さえなければ大好きな三浦半島暮らしでしたからね。あの程度の放射能漏れでは、私ら年寄りには実害はないことは分かってましたから、単身で暮らす鎌倉を満喫しようと思いました。


鎌倉1


鎌倉2


鎌倉3


仕事の整理、家の売却、あれやこれや大変でしたが、3年くらいかかってやっと整理がつきました。しがらみ、完了!

それで晴れて鎌倉を引き払い、家族に合流して今度こそ静かに暮らすことができるようになりました。娘たちはその間に九州で仕事を見つけたり、でもそこで辛いことがあったりと、やはり新しい環境で一からすべてを構築しなおすという事は並大抵ではなかったようでした。

そんな娘たちを励ましたり、叱ったり、向こうからは文句を言われたりとあれこれありましたが、まあ、そんなことどももなんとか乗り越えて熊本の暮らしは落ち着いてきました。

もっと田園風景の中へ

市内でも自然環境に恵まれた地域を選んで住んだのですが、1年もたつと物足りなくなってきました。熊本市内はやはり都会で、住んだ地域も住宅街で関東にいたころとさほど変わり映えがせず、せっかく熊本くんだりまで来てこう変わり映えがしないのもなんだなあ、なんて。

熊本と言えば阿蘇のイメージだったので、阿蘇で暮らすなんて考えないことはなかったんですが、阿蘇は冬が厳しいという事で、冬にチェーンを巻くのが一番苦痛だった私的に阿蘇はないなあ、と、そんなこんなで結局は市内に決めた経緯がありました。


画像6


しかし、毎日暇に任せてドライブを繰り返していたら、だんだん好きなドライブ先が決まってきたんですね。そこは広大な空の広がる美しい田園地帯で、形のいい山々が背後に控え、何といっても私の好物の立ち寄り温泉がそこここにある土地でした。しかも、熊本市内から車で二、三十分。

初めはそこがどこかも意識していなかったのだけれど、毎度そちらへ向かってステアを切ってしまっているので、ああ、俺はあの地域が好きなんだなあ、と気が付いたわけです。気が付いてみると気持ちが膨れ上がり、あ、あそこに住みたい、となりました。

それが今住んでいる菊池市なんですね。

熊本に隣接している地方都市で、人口5万、温泉が豊富で何しろ空が広く、田園風景の美しい土地でしたが、私の育った場所のように狭苦しくなかったんですね。キャンカー旅が趣味で日本中を回ったんですが、北海道を除いてここほど雄大、壮大な景色が広がっている場所にはかつて出会ったことはありませんでした。


菊池全景


菊池市へ

「よし、引っ越そう!」

そう思ったのは娘たちがそれぞれ仕事を見つけ、一人暮らしして人生設計をしていきたい、というような状況になっていたことも影響しました。

娘たちはあまり田舎には行きたくない、熊本市内が気に入っている、と聞いてましたので、ああ、この子たちも自立できるところまで来てるな、そろそろ老後のリタイア生活を視野に入れて生活設計したくなっている私たち夫婦とは暮らしを別にしてもいい頃合いだな、と思ったんですね。

それから家探しを始めたんですが、希望は田園風景の中の農家だったんです。都会のマンション暮らしを経験、郊外の住宅街での暮らしも楽しんだ、で、老後ってイメージした時、生まれ育った日本の田舎、古いうち、ってのが急に膨れ上がってきたんですね。


里山風景2


農家の空き家なんて多分不動産屋さんには出ていないだろうと思ったので、市の空き家バンクを利用しようと思い立ちました。で、菊池市役所を訪ねて相談したんですが、その時、市が今「地域おこし協力隊」を募集しているって話題が出て、年齢制限を聞くと、今年から撤廃になりました、というんですね。「今年から撤廃」あなたは運がいい、そのロジックの流れに、はい、おっちょこちょいが釣りあげられました。いえ、向こうは釣りあげようなんて気はなくて、まさかこの年寄りが応募してくるなんて、と思いながらの世間話のつもりだったんでしょうがね。

地域おこし協力隊志願!

地域おこし協力隊がどんなものかはよく知りませんでしたが、頭に浮かんだのは、この街に知り合いはいない、もし家を見つけてこの土地に住んでも住んでるだけで何もすることがないだろう、誰とも交流できないだろう、熊本市内に住んでた時と同じで、毎日ドライブして暇をつぶししかなくなるだろうなあ、という事だったんです。

地域おこし協力隊になればミッションを与えられ、仕事を通じて市の人たちを知ることができる、この街を深く知ることができるだろうと思いました。その上お金ももらえる!一石二鳥、いや、空き家バンクで家も見つけてもらえれば一石三鳥じゃないか、とね。

まあ、生来のおっちょこちょいで走り出してからいろいろ考えるというたちなもんで、これっていい考え!と思い込んでしまうともう歯止めが利かないんです。それで面接試験を受けたら、めでたく採用という通知が来ました。

4月から働いてくれというんで、娘たちにはそれぞれ部屋を借りて貰って自活してもらい、自分とかみさんは菊池市へお引越し、という段取りとなりました。

ところが空き家バンクにこれ、という物件が見つからなかったのは計算違いでした。当面熊本から通うことにしましたが、採用条件は菊池市内に引っ越すこと、です。もちろん菊池に住むのが本来の目的だったんですが、肝心のその住まいが見つからない。早いとこ何とか住まいを見つけないと、と焦りました。


ちゃーこ米刈り入れ寸前小


しかし、住まいにはこだわる方なので、当面アパート住まいでとか、出来の悪い農家で我慢、なんてことはできないたちです。

そこで必死にいろいろ考えたら、思い付いたんですね。

熊本へきて入会させてもらった某絵画クラブ。東京に本部があり、熊本市部には数十人の会員さんがいて、油絵を切磋琢磨して勉強しておられます。そのお仲間に入れて貰って絵画制作を楽しんでいたんですが、そこにその町に住むという姉御肌のお姉さんがおられたんです。そのお姉さんのご主人は菊池市(正確には合併前の泗水町なんですが)で町議をしていたという実力者で、町では顔役という事でした。

そこでこの人だ!と思い立ち、さっそく相談してみました。案の定姉御肌の彼女は「分かった、任しときない」と2つ返事で引き受けてくれ、間もなく数軒見つけたから見に行こう、と言ってくれました。

あたり!と思いましたね。見込んだとおり、あっという間のことで姉御の行動力、実行力は素晴らしいものでした。連れて行ってくれた一軒目で、あ、ここ!となりました。そこには家の持ち主さんも呼ばれてきていて、その場で「お願いします!」と、頭を下げて話は決まりました。

家見つかる!

多少古ぼけてはいましたが、築七,八十年の敷地面積が広-い農家さんで、持ち主さんが近くの畑の世話をするのに使ったり、家の庭の手入れをしに通っておられるために無人の空き家ではなく、十分そのまま使える状態でした。最高にラッキーな物件にいきなり出くわしたんです。当面は賃貸でお借りして、持ち主さんのお気持ちが譲ってもいい、という事になるのを待ちながら住まわせて頂くことになりました。


菊池渓谷2小


さて、家が決まり、一方で「地域おこし協力隊」としての活動も始まり、私は張り切っていました。菊池市はよそ者の私から見ると素晴らしい環境で、自然が美しく、田園風景が穏やか、山々は深く静かで厳かでした。

でも、 町の方々からすると「何もない土地」、人は因循姑息で、高齢化が進み、何も取り柄がない、という事のようなんです。何か仕掛けて地域おこししないとこのままではじり貧、いずれ消滅の危機が避けられない下り坂の真っ最中、という自嘲が耳に入ってきます。

そうかなあ、と思いましたが、一応町の人たちからの声にそういう内容が多いので素直に、であるならまず何か始めてみよう、と思いました。

市役所の商工観光課に配属され、観光的な面から地域おこしを考えてくれ、何をやるのかは指示しない、あくまでよそ者の目で見てこの街にはこれがよかれ、という筋道を見つけてそれに向かって行動してくれ、と言われました。

今から考えてみると、私くらいわがままで人の言う事には耳を貸さず、どこどこまでも勝手を貫き通してしまう、という変人にはこれでいいのでしょうが、他の隊員たちは三十代が主で、普通に生きてきた若者たちばかりなので、結構気負わなくてはならず、大変な条件じゃなかったかと思います。


蛍のイラスト


ともあれ、さあ、何をやらかしてみんなを驚かせてやろう、どんなプロジェクトを仕掛けたら楽しいだろうか、なんて虎視眈々色々考えながら、まずは菊池市を知ることだと、市内を歩き回り、図書館で情報を取りしていたんですが、やっと、よし、これかな、と思い付いた頃、起きてしまったんですね。大事件が!

それが2016年4月14日の熊本大地震でした。

しかも、やっと色々準備が整い、さあ、明日熊本市内から菊池市へ引っ越しだ!というまさにその前夜のことだったんです。

てなとこで次回へ続きます。

誰か読んでくれる人探さないとな。でも、周りの人に宣伝するのは恥ずかしいし、まあ、当分読者なしでいいか。とりあえず備忘録的に書いておこ。




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