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小説「武光と懐良(たけみつとかねなが)敗れざる者」46


第九章   大保原の戦い


六、
 
青い鎧(よろい)を着こんだ武光が自分の本陣の部屋で携帯してきた不動明王を前に一心に祈っている。乱れる心を鎮めようと努めながら、鎮めきれない。
勝利や自分の命を心配したのではなかった。息子のことでもない。
武光がこのいくさを無事にのりきれるのかと案じ、無事で生き延びてほしいと願って不動明王にすがっているのは牧の宮懐良親王のことだった。
懐良は吹っ切れたようにこの戦場に臨んでいる。命を捨てることも辞さないつもりなのは分かっている。だが、武光には失ってはならない人だった。
征西府も菊池の行く末も、親王なしでは成立しない。このいくさに勝ってもここが終わりではない。先がある。いや、それは無理につけた理屈に過ぎないのかもしれない。
武光には今や懐良親王は特別な想い人となっていた。
美しい都から来た貴種、重い枷(かせ)と重圧に悩まされながら、一途にそれを乗り越えようと必死に戦っている若者。いつしか武光にとって、懐良は血を分けた弟のようにかわいい、いや、それ以上の存在となっていたのだった。親王からはいつもはかない印象を抱かされてきた。陽の光を浴びれば間もなく溶かされてしまうのではないかと恐れ、月の灯かりの下に立てばいつか見た夜の蛍となって飛び去ってしまうのではないかと不安になった。
切なさに胸がかきむしられた。
(このいくさを生き抜き、無事でいてほしい、不動明王よ、牧の宮様を守りたまえ!)
般若心経を何十回となく唱えて祈り終わり、武光はやっとまなざしを上げた。
 
馬が水を蹴散らせ、月の光に水しぶきがきらめいた。
月光の下、筑後川を渡河していく武光と従う菊池軍だった。
月の光が武光と颯天の鎧の金属部分をきらきらときらめかせる。
青色に光る武光の鎧は夜の中でもはっきりと目立った。
これがのちの鉄砲の時代であれば、武光の軍装は違うものになっただろう。
だが、この時武光は味方からどこにいようと必ず視認されることを念頭に置いた。
矢は跳ね返せる。敵が武光めがけて押し寄せるリスクは考えないでよいと思った。
敵が押し寄せる以前に武光は先頭に立って突撃する気でいたからだ。いくさ神としての存在感は敵も味方も十分意識しているだろう。であれば味方は励まされ、敵は恐れる。
問題は武光が突撃していく先に少弐頼尚がいるかどうかだった。
頼尚が本陣を掴ませぬ細工をしている以上、それはいくさの中での成り行きに任せるしかあるまい、と思った。引き寄せる、と武光は思っている。
声を出すものは誰もいないが、鎧や武具の擦れ合う音が辺りに満ちた。
そこへ背後から一騎駆けしてくるものがある。
武光が猿谷坊だと視認して全軍に止れの合図を出した。
猿谷坊が突っ走ってきて馬を飛び降り、水の中、颯天の足元にひれ伏した。
長い木箱を抱えており、武光に差し出した。
伊右衛門が下馬してそれを受け取り、中から一振りの太刀を取り出して武光に差し出した。受け取り、抜いてみればそれは蛍丸だった。
月光を受けて美しく光る蛍丸。
武光が猿谷坊を見下ろし、目で報告を促した。
「鬼面党のものが浜の御殿のある阿蘇から早馬で駆けつけてまいりました」
「浜の御殿じゃと?」
「鬼面党のものが筑紫坊の復讐のため、惟澄さまを探り御船城を伺いおりましたところ、阿蘇大宮司家、浜御殿へ向かわれ申した、いよいよ惟澄様の本心が見えるかと考え、そやつが惟澄様を追って御殿内へ潜入したところ、惟澄様は惟村殿に刃を向け」
「惟村に刃を?」
「お二人はじっと座っておられ申したそうな、やがて床下に潜みおりましたそのものに出て参れと、そやつは驚きましたが出てまいったところ、この佩刀を投げ渡され」
「託されたというのか?」
「武光様に渡せと仰せられて、それ以上は何も言われず、行けと」
武光はじっと蛍丸の刀身を見つめて考えた。惟澄は何を伝えようというのか。
やがて、惟澄の想いが分かってきて顔がほころんだ。
「…これを使って戦えという事じゃな、…おのれの佩刀を渡してよこすという事は、阿蘇大宮司家、味方はせぬが敵対もせぬという意思表示に違いあるまい」
と察した。惟澄の苦衷を思い、蛍丸を鞘にしまい、掲げて頭を下げる武光。
「蛍丸、…幾人の血を吸うたこつかのう、…筑紫坊の血をもじゃ、…共に地獄へ参ろうわい、…とにかく、阿蘇大宮司家は敵には回らぬ」
猿谷坊を見下ろして問う武光。
「筑紫坊の恨みは良かかい?」
「いつか、必ず」
「そうか」
武光は佩刀の延寿国久を外して箱に入れて伊右衛門に渡し、代わって蛍丸を腰に下げた。
采配をもって全軍に進めと号令し、菊池軍は静かに前進を再開した。
 
一三五九年 正平一四年八月七日、夜明け前。
もはや辺りは熱気をはらんでいる。
真夏の炎天下が予想された。持久戦では兵の体力も意志も保(も)たぬ。
敵は筑後平野のあらゆる場所に陣を展開している。
少弐頼尚の居所は知れないが、全軍の気勢が高まり切っている。
これを外しては勢いを失う。
武光が脇に控えた城隆顕を見返った。
「よかな?」
城隆顕が機や良し、とうなずいた。
颯天馬上で武光が号令をかけた。
「かかれ」
ほら貝は控えられて旗による命令が伝達され、城隆顕が「飛燕の陣」を進言したままに、菊池軍は軍勢を展開しつつ、索敵を開始した。
全軍が打ち合わせ通りの陣形に散開していく。
鳥が集合しては離散する形を取り、それぞれの武将が散開し、敵を見つければ戦い、見つけられなければ集合する事を繰り返しながら前進するというものだ。
まとまっていれば奇襲をかけられる場合があるが、この進み方ならそれぞれの部隊の危機に気が付くことができ、互いに庇い合いながら総体としては進んで索敵できる。
そうして他部隊の動きを見ながら少弐頼尚の位置を測り、分かればその時点で攻撃にかかる。分からねばそれなりにその時点の判断で行動を決める。
南朝勢は総員が腕に赤い布を巻きつけている。敵味方を判別するためだ。
北朝軍はいつもの通り青い布切れだろう。
自軍の先頭で颯天を進めながら、武光は動中の静を保とうとした。
「恐れは汝が作り出す幻じゃ、父母未生以前本来の面目に恐れなし!」
秀山元中の言葉が脳裏に浮かぶ。
「お前はなぜ戦う?いくさで勝ってもいつかは敗れる、敗れなくとも滅ぶ、永遠はない、だが、お前はいくさをする、武将はいくさで大勢を殺す、敵も味方もだ、大勢の喜びや悲しみを奪いつくすのが武将だ、答えを持て十郎、わたくしの為にいくさをしてもよいのか、なんのために戦うのじゃ?」
大方元恢和尚の言葉も武光をからめとろうとした。だがこれを脳裏から振り払う。
いずれにせよ、この一戦を勝って生き残れるのか。生き残らねば先はない。
それぞれが打ち合わせ通りの動きを展開し、菊池軍は敵を求めて進軍した。
出会えばそのまま攻撃開始の手はずだ。
同じ頃、先行して別動する菊池武政勢は宝満川(ほうまんがわ)沿いに横隈に入っていた。
菊池武政は三百騎を散開させつつ進軍させている。
そのわずか後方から「飛燕の陣」は静かに進みゆく。
菊池武明三郎率いる二千余騎は日月を打った旗を押し立てて進んでいる。
その武明隊の右翼には名和顕興勢、玉名の大野勢、筑後の溝口勢など五千余騎が進む。
左翼には新田勢一千余騎が進んだ。
それより少し遅れて、菊池竹次武信、赤星掃部助武貫の一千五〇〇騎が行く。
その背後を行く武光の四千余騎が進んだ。
さらにその背後を三千余騎を率いる懐良親王が五条頼元たち侍従に守られていく。
しんがりは新田勢二千余騎。
山隈原に向かう島津、渋谷の八千騎も進んだ。
 
その時は突然来た。
先行、索敵していた武政の軍が警戒中の北朝側偵察隊に発見されたのだった。
「敵じゃ、敵がそこに!」
にわかに少弐軍に騒ぎが起こり、対応行動をしようとして慌てるさまが見て取れる。
北朝側偵察隊の一騎が駆け戻っていく。
その奥には数万の大軍が陣を張ってたむろしている。
武政が恐怖にかられ、全身を総毛立たせたのは一瞬だった。
武光に命じられて武政の副将についていた弥兵衛が武政の腕を掴んだ。
父の幼馴染でもある古強者の弥兵衛がにこりと笑いかけて、武政は目を閉じた。
「南無春日大明神!」
藤原の末裔としてその守護神の名を口の中で唱えて目を開けた時、武政はすべてを吹っ切っていた。武政が丘に駆け上がり、その有様を的確に見て取った。
「おるな、彼方にざっと二万、武明殿に知らせよ!」
武政に代わって下知を飛ばした弥兵衛の命を受けて母衣武者が馬を駆った。
「敵勢発見!」
母衣武者からの知らせを受け、菊池武明がとっさに攻撃の号令を発する。
「真っ向から行くぞ、すすめ!」
この間、すでに北朝勢は武政の遊撃隊に襲い掛かっている。
兵力がわずかとみて一気に押し包もうと突撃してきた。
「受けて立て!引き付けよ‼」
弥兵衛が叫び、武政の軍は囮と化して敵に立ち向かい、相手を引き付ける。
だが圧倒的な劣勢であるため、青い布を腕に巻いた北朝勢に、赤い布の菊池軍の兵士がどんどん打ち取られていく。それでも武政と弥兵衛は一歩も引かない。
「ねばれ!そいがわれらが役回りじゃ!持ちこたえよ‼」
壊滅寸前か。そう思われた時、武明の軍勢が駆けつけた。
武政の軍勢に襲い掛かった敵勢を脇手から襲った。
菊池武明の手勢に攻撃されて北朝勢は慌てた。
「えらい数が来ておる、もうこげなとこまでか⁉」
すさまじい緒戦となった。
双方激しく戦い、三百余の死者を出して大混戦となった。
「物見じゃなかぞ、菊池勢本隊が押し寄せて来ておるのじゃ!」
少弐側がやっと事態を把握した。
少弐軍は菊池軍と出会い、開戦したと後方の本隊へ母衣武者を駆けさせた。
その知らせを受け、小郡原にいた少弐新左衛門武藤は二万騎の兵のうち、六千余騎に武明軍を迎撃させた。間もなく六千の軍勢が押し寄せてきた。
兵の数で圧倒し、取り囲んで討とうとする。
菊池武明勢が苦戦となるも、そこへ名和勢が支援に駆け付けた。
以降は一帯すべてに展開する大乱戦となった。すさまじい殺し合いだ。
だが、ここが勝負どころの局面ではないと、背後で見て取った武光は各部将に母衣武者(ほろむしゃ)の伝令を発し、進撃の指示を与えた。
菊池軍は敵の勢力を求めて前進、大保原に散っていき、間もなくあらゆる場所で戦闘が開始された。
「行き会う敵を皆殺しにせよ、少弐頼尚をしとめるまでは終わらぬいくさと思え!」
武光は三千の軍勢を擁して一直線に敵の本陣味坂の荘を目指した。
そこここで始まった乱戦を横目に、少弐頼尚を求めて三千の兵がひた走る。
やがて味坂の荘に達し、襲撃した。
が、少弐頼尚はやはり撤退しており不在、敵の本陣は不明のままだ。
わずかな敵勢を蹴散らした。捕らえた部将を責めて少弐頼尚の居所を吐かせようとしたが、何も知らされておらぬようで、情報はない。
予測はしていたが、少弐頼尚の居所を手繰る手掛かりはまだない。
その武光勢に新たな敵勢が迫った。
太宰筑後の守親子、朝井但馬、綾部修理の亮などの合同軍だった。
武光の青色の鎧兜と軍旗の並び鷹の羽で武光ここにありと知った敵が総司令官の首を上げようといきりたっている。弓と槍の専門部隊を投入する時だ、と武光は思った。
「城隆顕!」
武光が叫び、城隆顕が百姓や雑兵軍団に号令した。
「弓隊、前へ!」
九州で徒歩の弓兵が大量投入されたのはこの時が初めてだったかもしれない。
武光の指示で大量生産可能とされた矢は腕のない百姓衆にも簡単に扱え、いくらでも補充が効き、ある程度の距離ならまっすぐ飛んでそこそこに相手を傷つけた。
それが大量に達成できれば相手の戦力を膨大に削ぐことができる。
「まだまだ、引き付けよ‼」
突撃してくる敵軍を射程距離内におびき寄せるため、城隆顕は弓兵たちを抑えた。
「まだじゃ、射るなよ」
敵の大軍が迫りくる恐怖に弓兵たちは耐えに耐えた。
「よか、水平射撃、射よ‼」
その声を待ちかねたように矢が放たれた。とてつもない数の矢がほぼ水平に飛び、前面の敵を次々と倒す。
「次、山なり射撃!」
斜め上空に向けて第二隊が射撃する。
山なりに飛んだ大量の矢が奥の敵勢の上空から降りかかった。
バタバタと敵勢が倒されていく。
その攻撃をかわして辛うじてこちらの軍勢に到達した敵兵がもうすぐ眼前に迫る。
「槍隊、前へ!」
矢の下を潜り抜けて突進してきた騎馬兵に対し、槍衾(やりぶすま)が作られた!
「槍、上げ!」
号令一下、槍隊が地面に槍を立て、斜め前方に突き出した。
矢合わせが終わったとみて突撃してきた相手の騎馬武者は騎馬同士の打突戦だと思い込んでいたのに、菊池側騎馬隊がさっと脇手に逃れて槍衾が姿を現すも、すでに近接しすぎていてかわせず、馬の首や胸が串刺しにされていった。
槍が折れ、こちらの兵士も跳ね飛ばされた。
血がしぶき、悲鳴や絶叫が満ち満ちていく。
長刀(なぎなた)で馬が足を斬られ、騎馬武者はもんどりうって転がり落ち、それへ雑兵が駆け寄り好き勝手な得物で打ち据え、突いて殺した。
先方隊の武者たちが総崩れとなり、続こうとしていた北朝の騎馬武者がうろたえてたずなを絞る。それで突撃の勢いがそがれ、後は乱戦に持ち込むばかりだ。
「ようし、者どもかかれ、打ち殺せ!敵をせん滅せよ!」
武光が将士に叫んだ。
次の瞬間、武光が真っ先に飛び出していく。
「行こう、颯天」
颯天がその言葉の終わらぬうちに駆けだしている。
青い閃光となって、武光と颯天は駆けた。
 


《今回の登場人物》

〇菊池武光(豊田の十郎)
菊池武時の息子ながら身分の低い女の子供であったために飛び地をあてがわれて無視されて育つ。しかし父への思慕の思いを胸に秘め、菊池ピンチの時救世主として登場、菊池十五代棟梁として懐良親王を戴き、九州統一、皇統統一という道筋に菊池の未来を切り開こうとする。
 
〇懐良親王(かねながしんのう)
後醍醐帝の末子。南朝巻き返しの最後の希望となって征西将軍とされるも流浪の果てに菊池武光に迎えられ、やっと希望を見出す。武光の支えで九州を統一、やがて東征して皇統を統一するか、九州王朝を開くかの岐路に立たされる。
 
〇五条頼元
清原氏の出で、代々儒学を持って朝廷に出仕した。懐良親王の侍従として京を発ち、親王を薫陶し育て上げる。九州で親王、武光の補佐をして征西府発展の為に生涯を尽くす。
 
〇五条頼氏
頼元の息子。
 
〇中院義定(なかのいんよしさだ)、持房親子
公卿武士、侍従。
 
〇池尻胤房、坊門資世
侍従たち。

 〇城隆顕(じょうたかあき)
菊池一族の別れで城一族棟梁。抜群の軍略家で有能。最後まで武光に夢をかける。
知的な武将。
 
〇赤星武貫(あかぼしたけつら)
赤星の庄の棟梁。菊池一族の重臣で、初めは武光に反感を持つが、後には尊崇し、一身をささげて共に戦う。野卑だが純情な肥後もっこす。

〇猿谷坊(さるたにぼう)
筑紫坊の相方で、鬼面党の首領の座を引き継ぎ、武光の為に諜報活動にあたる。
 
〇少弐頼尚(しょうによりひさ)
北朝軍総大将。武光の宿敵。

〇菊池武政(きくちたけまさ)
武光の息子。のちに菊池第一六代を継ぐ。

〇大方元恢(たいほうげんかい)
博多聖福寺の僧だった時幼い武光をかくまい逃がした。
後、武光が聖護寺を菊池一族の菩提寺として建立した時開山として招かれる。
 
〇秀山元中(しゅうざんげんちゅう)
聖福寺の高僧、後に大方元恢と共に正観寺開山として菊池に招かれる。
 
 


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