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関東から九州へ移住して見つけた新しい暮らし①


初めまして。いぞうさんです。

前職では物書きをしてましたが、60歳を機にリタイアして九州は熊本、菊池市に移住しました。

その移住記を書いてみたいと思います。

もう世の中に創作物を発表するなんてしんどいことはやらないだろうな、と思っていたのに、リタイアしてから10年経ったらいつの間にか何かを書きたくなってきてしまっていました。
FBやインスタ、ブログもやってますが、若い人から「長い」「もっと短く」と言われてなるべく簡潔にキャッチ―に書こうとしてますが、長く書くのが癖になってたのか、なんだか欲求不満になってしまうんですねえ。

思うように書かないと何か澱のようなものが溜まってきてしまって精神衛生上良くない気がして、それで今回noteに手を出してしまった訳なんですが、とにかく気負わずに書こうと思っています。
今更世に出たい訳じゃなし、老後の楽しみの1つって感じにしたいので、あんまり読み手さんを意識せず、好き勝手に意味もないことを書き散らしていこうという腹です。

とはいえ、田舎に移住してみたら次から次へと新しい出会いや発見があって、滅茶苦茶感情が揺さぶられてしまい、誰かにそれを聞いて貰いたい気持ちもあるので、何かメッセージめいたことを書いてしまうかもしれません。

関東で仕事していた頃の最後の方は、代わり映えしない毎日で新しい発見や出会い、感動が少なくなっていたようで、知らず知らず淀んでいたみたいですね。
だから移住後は興奮や感動が一気に押し寄せてきた感じで、何もかもが新鮮で、色々体験して感じたことが沢山あって、誰かに伝えたいんですね。
読まされる方はいい迷惑かもしれませんが。

年配の方のブログとか小説とか読んだことありますが、大体年寄りは今という時間軸から取り残されて、自分だけの脳内感覚で考えたり書いたりしてるので、他人からは読むのがしんどい文章が多いようで、私のこの書きたい欲求も「歳よりあるある」ではた迷惑かもしれません。

だから初めに「この年より、くどい」「独りよがりだ」と思われることが多々あるでしょうとお断りしておきます。
年配者を憐れんで、付き合ってやろうじゃないの、と慈悲、いたわりのお心をお持ちの皆さんだけ、お気が向かれたら呼んでくださいませ。
よろしくお願いします。

と、最初に駄文の言い訳をしておいて、まず初回は簡単に熊本移住までの経緯を書いておきますね。


横浜辺り

移住のきっかけは東北大震災と原発爆発でした。

当時神奈川県の葉山町に住んでいたんですが、TVから地震速報が伝わってきて映し出される映像がそれまで何度もキャンピングカーで旅していた東北地方だったので、「おお、馴染みの場所が出てくるなあ」なんて気軽に見てたら、あれよあれよという間に大惨事となっていきました。

「嘘だろう!?」
それから先は自分の暮らしまでが非日常と化してしまい、人生の予定が「一切合切変更」、となってしまいました。

「まじか!?ええ!?」
なんてあっけにとられているうちにさらに事態は新たな展開に。
音声なしの画像で原発が吹っ飛んだ様子を見せつけられた時は呆然としましたね。
あれが核爆発かどうか、当時は皆さん喧々諤々の言い合いになってたのを思い出します。
ツイッターでね。

原発が爆発してからはツイッターウオッチャーとなり、毎日情報を取り続けました。
関東全域が機能マヒしてしまったので、TVの情報速度が置いてけぼりにされてしまいました。

「TVおっせー!(唖然)」
私たちTVが絶対だった世代には衝撃的な事でした。

その時ツイッターでは現場の人から救援要請などの即時発信がなされて、訳知りな人々からも発信があり、政治やお役所やマスコミの人たちがかえって情報弱者で、自分の部屋でツイッター見てる自分の方がはるかに事情に通じてしまっていたのが驚きでした。

原発は紛れもなく危機的状況で、腹の底から恐怖感がせりあがってきました。
原発に水を注水できないとTVで言ってるけど、注水できるキリンという機械を持ってて役に立てて欲しい社長さんがこっちにはいて、私は知っているのに政治家もTVの司会者もそれを知らない、原発の危機はどんどんつのっていく、というウソみたいな世界。

「やばい、やばいぞ!」
なんて手に汗握って、という状況から、今度はやがて時間経過と共に世の中のありようがどんどん見えてくる事態となっていきました。

経済が回らなくなる、というお題目の前には原発が爆発しようが誰が犠牲になろうが知ったこっちゃない、という空気が世の中には蔓延してることが明確に見えてきて、あ、世の中狂っとる、と感じられてしまったのでした。

その時、自分自身さえそんな空気にマヒして生きてたことにボンヤリとではあるけど気が付きました。

原発爆発のお陰で総括原価方式とか、新聞社とTV局の系列の在り方、上の方の人たちがどう仕組みを組み立てて税金を吸い上げるのかとか、大企業がどう守られるのかとか、色々気になりだしたんですね。
経済という至上の価値観。

日本は全体がブラック企業化して、稼ぎがないのに派手に回さなきゃ繁栄が維持できない、だからあらゆるインチキを駆使して原発なんか推進し、企業は売るために新しい価値観を無理にでも作り出し、商行為を成立させる。
売れないもの、必要のないものに、必要だという錯覚を生じさせて売り抜ける。

そんな高度成長の果ての汚れ落ちた日本がありありと見えた気がしました。
そんな時代に仏罰が下って原発が爆発したのだと。

わたしはTVや映画でご飯を食べてきてたので、それはつまり、そんな歪んだ商行為のすそ野の方で、広告費というやつのおこぼれに預かってた、ってことになるんですよね。

そう感じてしまうと最早虚しさしかありませんでした。
他人を押しのけ、俺の才能を見ろ!と上昇志向だけであくせく生きてた自分。
でも、若者でなくなってきたら、今度は押しのけられる番になってました。

ケータイネイチャーの若い人の胸を打てる作品書ける人は本当に才能があります。わたしにはしんどかった。
そんなこんなで、つっかれるなーこの生き方、なんて感じてたんです。

そしてそれを全部原発の爆発が吹き飛ばしてくれた訳です。

それで、なんかいやんなった、リタイアしちゃおう、ってなっていったんですね。

娘たちが世田谷に住んで、都心に勤めていたので、娘たちを関東には置いとけない、逃がさないと!と思ったこともファクターとしては大きかったですね。

放射能は子宮にたまり、出産で赤ちゃんに移行し、母体は奇麗になるという話を聞いて、そりゃたまらんと思いました。
もし赤ちゃんに何かあって、赤ちゃんに放射能を押し付けて自分の身体が奇麗になったなんてことになったら、自分が親なら耐えられない、と思いました。
娘たちにそんな思いはさせられないと。

娘たちはまだ独身で、いつかは子供を産みたい気持ちを持ってたみたいなので。
だから娘たちを誘って九州移住に踏み切ったんです。


根子岳遠景サイズ小


とはいえ、これが私が現役バリバリで、上り坂にある作家だったらどんな選択をしたかは定かじゃないです。
60になって、やることはやり切ってもう時代に影響を与えられる才能は残っていなかったし、お金の為に惰性で仕事を続けていたようなもんだったから決断できたのかもしれません。

それでも移住までにはあっという間に1年経過していました。

どこへ移住しよう、家はどう始末しよう、仕事を整理もしなきゃならない、なんてあれやこれや課題難題が山積みでしたからね。
原発爆発直後に関東を逃げ出した人たちの決断の速さが眩しいです。

で、移住先ですが、生まれ故郷の島根県には帰る気がしませんでした。
ふるさと、なんて言いますが、中国山脈が迫り、寂しい日本海に挟まれた狭い土地柄が、なんとなく昔から好きじゃなかったんですね。

島根の人、ごめんなさい。

私には手塚治虫の「火の鳥」以来、火の国熊本に対する憧れがありました。
火の鳥が阿蘇の火口に住んでいるというエピソードがありましたよね。
そこから這い出す主人公が次の物語にエピソードをつないでいたと記憶してますが、描かれた風景の雄大さが心に残っていたんです。

それで熊本、阿蘇の近くに住みたいと思い、下調べに通いました。
そして「熊本だ!」ってなっていったんですね。


豊かな実り

広い大地、豊かな農産物、阿蘇が見せてくれる雄大な生命力。

当時関東には安全な食べ物が枯渇してるような気がしてました。

地震直後の流通マヒで食料が手に入らなくなったり、出回り始めても放射能汚染の為に安全なものはない、西からの安全な食べ物は関東にはなかなか出回らないって状態でしたからね。

そんな時、熊本のスーパーには安全安心な食べ物が溢れて、なんて豊かで贅沢な土地なんだ、と感激してしまいました。

光輝いて見えたんですよ。

何より、今後またどこで原発が爆発しようと、偏西風の関係から一番安全なのは熊本だ、との判断がありました。

かくして、私はかみさん、娘2人、犬2匹を伴って、関東から熊本へ車2台に家財道具を積み込んで移住してきた訳なんです。


里山風景3



初回としてはこんなところでしょうか。

予告的に書くと、熊本市内に住んで間もなくお隣の菊池市に転居し、そこで新しい経験、新しい交友、新しい生きがいに出会うことになります。

かつて日本の中央に出るしかビビッドに生きる道はないと思い込んでた私たち世代の常識から、一歩歩みを進めて、田舎暮らしを新発見する旅路ともなった私の移住体験。

色んな事を感じ、色んなことを考えながら今日までやってきました。

そんなことどもを取りとめもなく書いていくつもりです。

ゆったり、のんびりとね。

もし、お嫌じゃなければお時間ある時、お付き合いください。
よろしくお願いします。


菊池氏全景


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