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小説・武光と懐良(たけみつとかねなが)敗れざる者②

序章  博多合戦

二.

これから襲撃するはずの鎮西探題方の待ち伏せにあって、菊池軍は狼狽していた。
激しい乱戦の中で、大勢を立て直そうと必死の菊池軍だった。
十郎たちが立ち尽くして息を呑む。
まさに、その時だった。
突然新たな軍旗が翻った。それも二種の軍旗だ。
姿を現した少弐、大友が背後から菊池に襲い掛かる。
驚き狼狽する菊池軍。
均吾が思わず叫ぶ。
「少弐軍の旗印!」
「あっちは大友!?」
「探題軍と少弐、大友の新手とで、挟み撃ちされよるじゃなかか!」
「共に探題館を攻める手はずじゃろうが!?」
少弐、大友は後醍醐派と幕府方との優劣を観じて、間一髪幕府方についた方が身のためだと判断、態度を翻したのだった。
彼らが内通したために襲撃が露見し、待ち伏せを食らったのだ。
両軍は示し合わせて探題軍の支援に駆け付けたのだ、と十郎にも分かった。
少弐、大友の旗印を見やって、武時も、さすがにはっと悟った。
少弐の指揮者は少弐の入道妙恵貞経(にゅうどうみょうえさだつね)、大友の指揮者は大友の入道具簡貞宗(おおとものにゅうどうぐけんさだむね)。
探題の北条に媚びて報奨を狙うか、お家の安泰を図るか、いずれにせよ、卑怯!と、武時は思った。この正直で裏のない男はしばし呆然と虚仮(こけ)になった。
その利害得失に敏感な変わり身の早さは武士の風上にも置けぬ節義廉恥(せつぎれんち)のなさだが、今それを言ってもどうにもならない。
やっと正気を取り直し、怒りで顔を満面朱に染めた武時。
「おのれ裏切りおったつか、みな、ひるむな!打ち返せ!押し返せ!初志を通すぞ、狙うは北条秀時が首、探題館へなだれ込め!」
武時が喚きたてるが、並び鷹の羽の旗印が踏みにじられる。
それでも勢いで探題軍を押し返し、次第に探題館の方向ににじり寄る菊池軍だった。
十郎と均吾、太郎がなすすべなく立ち尽くして見つめるその目の前で、菊池軍としては死に物狂いで暴れる以外に道はなかった。
こういう不意打ちのいくさの場合、皆が興奮の坩堝に陥るから意識は飛び、ひたすら血を逆流させ、喚きたてて暴れまくる狂気じみた事態となる。戦術もくそもない。
十郎も均吾もあまりにも激しい戦闘に、茫然自失した。
血がしぶき、肉が飛ぶ。
体が震え、すくんだ。
十郎も均吾も、もう菊池軍を追えなかった。
太郎はどぎゃんすると!?と見返る。
三人は顔を見合わせ、恐怖に捕まえられてしまった。
十郎も顔を歪めた。
気が付けば博多の街を逆方向へ走り出していた。
逃げながら十郎はその時、脇手、視線の先に気を引き付けられた。
炎を背に、いくさの状況を冷酷に見据える騎馬武者の姿があった。
少弐貞経(しょうにさだつね)の、口ひげを蓄えて残忍そうな(十郎の目にはそう見えただけのことかもしれないが)横顔がそこにあった。
「貞経さま、最早菊池の者共、一兵たりとも逃がしはいたしませぬ!」
との声が耳に入ってきた。
十郎も貞経の名は聞いていた。少弐の棟梁入道妙恵貞経(にゅうどうみょうえさだつね)。
それが菊池を裏切った敵の総大将であると、十郎は瞬間的にそう思った。
父を追い詰め、故郷の人々を叩き殺していく敵。
その時、少弐貞経は笑った。
「!」
十郎の内部で血が逆流した。
立ち尽くす十郎の腕を太郎が引いた。
だが動けず、十郎は菊池軍を追って馬を進めていく少弐貞経を見つめていた。

少弐軍と大友軍に追い立てられて、菊池軍は探題館に討ち入り、激戦となった。
もはや誰の頭にも死ぬも生き残るも意識になかった。
鎧直垂(よろいひたたれ)が切り裂かれ、兜(かぶと)が割られ、草摺りが引きちぎられる。興奮と狂気が理性を吹き飛ばし、アドレナリンの噴出のままに荒れ狂う。
「秀時はいずこぞ!出会え!」
武時が喚きたてたが、やがて結果がはっきりし始めた。
武時の弟二郎三郎は中庭で激闘の末、配下七十人もろとも討ち死に。
武時の息子三郎頼孝も探題館傍の犬射(いぬい)の馬場で壮絶な最期を遂げる。
それを見て、武時は馬ごと炎の中に突撃していく。
「うおおおおおーっ!」
古式の大鎧に身を包んだ武時は大鍬形の大兜をかぶっている。
剛強な膂力(りょりょく)が自慢であるとはいえ、かつての一騎打ち時代のいでたちでは今日のような身も蓋もない数を頼んでの何でもありの集団戦闘では動きが取れない。
陣に控えているなら自軍のシンボルとしてその姿でも良いが、この博多合戦ではいかんともなしがたい。矢を雨あられと浴びながら、虚しく太刀を振るばかり。
ひたすら突っ込んでいくしかなく、たちまち飛来する矢でハリネズミにされてしまった。
それでも獣のように吠えながら鬼神のごとく馬で探題館に突入していく武時だった。
炎に飲み込まれてその姿は見えなくなってしまう。

武時討ち死に小


十郎と均吾、太郎はもはや正常な判断を失い、悪夢に追われるように走り続けていた。
「うわあああああーっ」
すでに泣きべそをかいたただの子供三人だった。
顔中を涙でぐしゃぐしゃにして博多の街を突っ走る。
行く手に軍勢が現れれば、引き返し、逃げ惑う人々に鉢合わせすれば、方向を変えて走った。博多の街を右往左往して際限がなく、悪夢に追い立てられる思いになった。
博多宿営中の九州各豪族たちが何事かと慌てふためきながら軍を動かし、どこまで走っても、そこここで誰何(すいか)しあったり、何事かと怒鳴り合ったりしている。 
やがて逃げまどう女子供や町人、異人達が新しい情報をがなり合い始めた。
「大門が封鎖されたぞ、探題軍が逃れ出るものを押し戻しておるそうじゃ」
「賊軍の探索が始まった、怪しまれれば捕らえられるばい、気を付けろ」
そんな声が聞こえてきて、十郎たちは焦った。
反対側から来る人並みにもみくちゃにされ、三人は押し戻された。
「逃げきれん、子供だけのわしらでは、いずれ怪しまれて捕まるぞ」
と、太郎が泣き声を出す。
均吾がアッと思い出して、聖福寺(しょうふくじ)へ、と言い出す。
「菊池の侍が坊さんになって、修行しておるそうな!」

聖福寺は建久六年(一一九五年)、鎌倉幕府初代将軍源頼朝公より栄西禅師(ようさいぜんじ)を開山として創建されたわが国初の禅寺であり、山号を安国山、寺号を聖福仁禅寺という。元久元年(一二〇四年)、後鳥羽天皇より日本初の禅寺である「扶桑最初禅窟」(ふしょうさいしょぜんくつ)の勅額を賜っている。創建当初は方八町、七堂伽藍を建立して丈六の釈迦・弥勒・弥陀の三世仏を安置した。塔頭(たっちゅう)は三八院。五山十刹制度の十刹第三位に叙せられた。
その名刹の総門前では多くの僧たちが暁天打坐(ぎょうてんたざ)を打ち切って駆けだしてきて、開け染めていく空の下の博多の火の手を見やって騒いでいた。
「なんごつじゃろか」
「ありゃあ、兵火じゃな」
「風の具合じゃ、まずかぞ」
火事がやってくるのなら、大事な仏様やお経を運び出さねばならない。
そこつものは鍋窯(なべかま)を持ち出そうと慌てふためいている。
そこへ三人の子供たちが駆けてくる。
僧たちの脇をすり抜け、駆けこんでいこうとする均吾、太郎、十郎の三人を一人が見とがめた。首根っこを捕まえられる十郎たち。
「おんしら、どこへ行くとか!?」
「わしら、菊池のもんです、こちらに菊池のお坊さんがおらるるって聞きました、お会いしたか!」
と、均吾が喚いて、僧たちは顔を見合わせ、誰のことじゃ?分かるか?なぞと言い合ったが、やがて背後からのっそりと一人の坊さんが進み出てきた。
「そん菊池の坊主というは、大方元恢(たいほうげんかい)和尚のことかいの?」
「は、はい、そうです!」
均吾が駆け寄った相手はまだ若い修行僧で、筋骨隆々たる体の上にごつごつとした顔を乗せていた。明らかに酒気を含んでおり、顔が赤く、足がふらついた。
酒くさっと均吾が後じさったが、酒飲み坊主がニヤッと笑った。
「おいがその大方元恢じゃ、何ぞわしに用かい?」
相手の異様さに、均吾が思わず口ごもった時、十郎が睨み付けて叫んだ。
「おいは菊池武時が一子、豊田の十郎じゃ、わしを探題館に案内せい、親父様と共に討ち入る!」
「なんてや!?」
坊さんたちが集まってくる。
「ち、違う、かくもうてほしかとじゃ、討ち入るなぞと、十郎、狂うたか!?」
均吾は慌てるが、元恢は彼方の火の手を見て、おおよそのことを瞬時に理解した。
「坊主、グズグズすな!わしを探題館に連れていけ!分からんか!少弐貞経を打ち取る、あ奴だけは許しておけんばい!行くんじゃ、おいは行くたいっ!」
唖然たるお坊さんたちの真ん中で、十郎はどんどん興奮していってもはや理性でものを言ってはいない。のぼせが募って瞬間的に錯乱していた。
十郎の頭には悪魔のように笑った少弐貞経(しょうにさだつね)の顔がある。
少弐、許さじとの激情が燃え盛っていた。
その十郎をじっとみて、おもむろに大方元恢は当て身を食らわせた。
均吾と太郎が、えっと大方元恢を見上げた。
意識を失って倒れた十郎を見下ろし、大砲元恢は、げっぷした。
「皆、かまうな、こやつは気狂(きぐる)いしておる」
と、肩に担ぎあげた。
見やれば博多の街は盛大に燃えている。
陽が昇ってくる。



《今回の登場人物》

〇菊池武光(豊田の十郎)
菊池武時の息子ながら身分の低い女の子供であったために飛び地をあてがわれて無視されて育つ。しかし父への思慕の思いを胸に秘め、菊池ピンチの時救世主として登場、菊池十五代棟梁として懐良親王を戴き、九州統一、皇統統一という道筋に菊池の未来を切り開こうとする。

〇菊池武重
菊池一三代棟梁。武時の息子で武光の兄。箱根の戦いでは菊池千本槍を生み出す契機を作るが、後に病没。

〇菊池武時
菊池十二代棟梁。後醍醐帝の討幕ののろしを受けて博多の九州探題を責めるも敗北して首をさらされてしまう。その事実が武光に強烈な影響を与える。

〇筑紫坊(つくしぼう)
幼名を均吾という武光の幼友達で、後に英彦山で修業した修験者となるが、その山野を駆ける技を持って武光の密偵鬼面党の首領となり、あらゆるスパイ工作に従事する。

〇緒方太郎太夫(おがたたろうだゆう)
幼名は太郎。武光の郎党。長じては腹心の部下、親友として生涯を仕える。

〇大方元恢(たいほうげんかい)
博多聖福寺の僧だった時幼い武光をかくまい逃がした。
後、武光が正観寺を菊池一族の菩提寺として建立した時開山として招かれる。


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