見出し画像

小説「武光と懐良(たけみつとかねなが)敗れざる者」⑥

第一章  豊田の十郎

四、

「美夜受(みよず)の身体を見たか?綺麗かじゃろ?」
「見とらん」
緑川の川べりに止められた小舟に、釣り糸を垂れた均吾(二〇歳)がいる。
均吾の頭巾とすずかけ姿は修験道の行者であることを示しており、武装を解いて破れ烏帽子に一張羅の小袴姿の太郎と合流していた。
「おいも見たかのう美夜受の肌」
太郎が立てた膝に顎を乗せながら思いを巡らす。
黒い人影が来る。
水干姿の十郎だ。
素早く船に乗り込むと、釣り糸をしまった均吾が竿を刺して流れの中に船を出す。
それでもう誰に話を聞かれることもなく、そこは三人だけの天地だ。
十郎が途中で獲ってきた野ウサギを投げ出した。
石礫(いしつぶて)で倒したもので、太郎が喜んで皮を剥ぎにかかるが、十郎は奪い返す。
「お前は不器用で、皮も肉もぐちゃぐちゃになるばいた、わしがさばく」
太郎がむくれて口をとがらすのに構わず、十郎が脇差で皮を剥いでいく。
船底に敷かれた石の火どこに均吾が手早く火を起こしていく。
それへ十郎が言う。
「此度は長かったの、均吾、いや、筑紫坊(つくしぼう)じゃった」
均吾は今は山岳修験者の格好をして筑紫坊と名乗っている。
「色々歩いてきたわい、山伝いなら平地の三倍早く、五倍の土地へ回れるでの、肥前も見てきたし、築後も、博多と大宰府もじゃ、博多の賑わいはすごかぞ」
「賑わうそうじゃのう、ひひひ、よかおなごもおるとか、異人の女はどがいじゃ?」
「太郎、ひっこんじょれ、ぎゃんこつより少弐や大友の動向じゃ、聞かせろ」
「少弐も大友も足利尊氏と密(ひそか)に連絡を取りおうておるようじゃ、やはり修験者の一団をつこうておるな、京の形勢で兵の動かし方が変わるとみた」
最近は大友軍が菊池鞍岳に攻め寄せ、武重の軍が防衛した、話はそんなことにまで及び、十郎は知っておるわと遮った。興味の的が違う。
「わしが知りたかつは奴らの領地経営じゃ、例えば少弐、奴らはどげな風に兵を養い、民を従わせておるのか、いくさをするには地力が要ろう」
「少弐は大宰府を荒れ果てたままにしておる、余計な金を使いたくないのじゃろうな、それより商人どもと連携し、博多からの船運で儲けようとしておるな」
「船運か…」
「対馬(つしま)、壱岐(いき)一円の海洋族は奴らの手のうち、海の衆をつこうて大陸と貿易しよるが、その上がりが莫大じゃ、あの資金力がある限り、少弐は侮れん」
博多港を管理することで領地経営には利があり、少弐はそれを生かしている、という。
「これを見てくれ、船商人どもの尻を叩いて港を整備し、少弐はさらに船便を増やそうと」
博多港や近辺の海の島々まで絵図面に起こして来ている筑紫坊だった。
「お、これが博多か、すごかねえ!」
太郎が目を丸くしたが、十郎は唸って見入り、考え込む。
「…海の取引か、…それが少弐を支える、…海は菊池になかもんじゃ」
ごろりと仰向いて、国を大きくするにはいくさの力と金の力が必要だと思いを巡らす十郎。
「修験者か、銭にはなるのかえ、均吾?」
太郎が目を輝かせた。
「ならんな、…じゃが」
と、肉を木の小枝で串刺しにして火であぶりながら、均吾は十郎を見やった。
「十郎、…おいは親父について英彦山(ひこさん)の修験道場に学び始めた時は、ただ信仰の為かと思うた、じゃが実のところ、山岳伝いに常人の数倍の速さで移動をし、諜者としての力を養うためであったと、つい先だって親父から明かされた、…俺を買え」
じろりと均吾の筑紫坊を見やった十郎。
「仲間の修験者と組んで、鬼面党という間諜の組織を作る、雇え」
均吾は博多合戦のあの時、十郎と共に豊田へ帰った後、父に連れられ英彦山の修験道行者となった。九州の修験道は豊前の求菩提山(ぐぼだいさん)に始まり、英彦山、筑豊の宝満山(ほうまんやま)があり、耳納(みのう)も阿蘇の修験道者の修行場だった。
山に入った修験者は擬死再生を目指し、十界行の荒行をこなし、即身成仏を目指す。
しかし山岳地帯を縦横に駆け巡って修行するという性質上、その神出鬼没性で情報収集の力をつけることになり、役小角(えんのおづぬ)が日本の忍者の祖であるとされるように、忍びの役目を負わされることが多かった。
各地に山岳修験の地はあり、中央から地方から、修験者たちは自然にネットワーク網を築くことになり、情報収集とその売買で副収入を得る道を持ってしまった。
彼らは派閥の違う誰それの配下となるという事も少なくなかったが互いに不問に付し、情報を交換し合った。その為様々な形で各地の武装勢力の情報源となれたのだ。
さらに情報面だけでなく、実地にテロ工作もしたし、偽情報を流したり、誰かを狙う工作なども行った。そんな諜者として世に立とうとしている均吾、改め筑紫坊だった。
「買う」
「本当か?よし、役に立つぞ」
「が、…今は金がない」
「ないなあ、…豊田の庄からの上がりは大半が菊池本家に収められる、からっけつじゃ」
と、太郎が主人を見やって苦笑した。
金吾が小枝に刺してあぶった肉が焼けてきて、真っ先に太郎が手を出して食い始める。
十郎と金吾も半焼けのまま食いだした。
太郎は相変わらず十郎の屋敷の奉公人で、十郎の身の回りの世話に追われている。
いくさとなれば轡(くつわ)取りで十郎に随身するが、よほどの手柄でもたてぬ限り、家持ちの侍にはなれず、なれなければ嫁は取れない。目端が効くなら女をたぶらかせて抱くことはできるが、力自慢が取りえで口下手な太郎ではそれもかなわず、うだつの上がらない日々だ。
「掛にしておく」
という均吾はいずれでかい山を当てて、報えと笑う。
「ふふ、わしを信用するのか?…金を手にする前に、途中で死んだら取りっぱぐれるぞ」
「お前ならやれる、気がする、…お前は何かでかい、そんな気がするのじゃ」
十郎、笑って肉を食い終わった串を投げ捨てた。
「楠木正成(くすのきまさしげ)様のことを知りたか、…あんお方は山城(やまじろ)の使い手じゃった、…多勢に攻められた時、山城に籠ればわずかな手勢でも張り合えるという、 見当はつくが、実際の理屈が知りたか、なんとかならんか?」
「こりゃあ軍学や経済学まで仕込んでこねばならぬな、お前は要求がおおか」
と閉口するが、笑う筑紫坊。
魚がはねた。
「…菊池の周りに敵勢は多く、それぞれに強い、今のままではいずれ菊池は滅ぶ」
と十郎、苦い顔を見せた。
「えらいこと言うな、菊池が滅びたら、ぬしもわしらも生きてはいけんじゃなかか」
太郎が身震いするが、十郎は鋭い眼差しとなって船底の石ころを拾い、魚を狙った。
「…今の菊池は無様たい、…出るべき棟梁が出ぬなら、滅びればよい」
と、つぶてを魚に向けて放った十郎。
魚はぴしゃりと尾びれで水面を叩いて姿を消した。
十郎は苛立つように何かに焦れている。
筑紫坊には十郎の鬱屈が理解できる気がしている。
そこに期待感もあった。
太郎は一人でほとんどの肉を平らげた。

豊田の荘の自宅は武家屋敷というにはあまりに粗末な家だった。
周囲を堀で囲んではあるが、母屋と納屋の大きさは村長(むらおさ)の家より小さい。
奉公人が三名いるが、郎党は太郎一人で、家族はいない。
菊池氏へ納める年貢からわずかな取り分を割り当てられているが、その収入の大半はいくさの度に伊右衛門や弥兵衛たちに報酬として支払ってしまうので、残りはいくらもない。
母親は十郎を生んですぐに産後の日立ちが悪くて死んだ。
戻った十郎の仕事はまず颯天(はやて)の世話だった。
川で汲んできた水できれいに流してやり、布で丁寧に拭っていく。
この仕事だけは太郎にも誰にもやらせない。ひずめの様子を見てこれからじっくり治してやる段取りを考える。摘んできて貯めてあった稲の干し草に穀類を混ぜて与える。いっぺんにやると下痢してしまうので、わずかずつを何回にも分けて与えるようにしている。
貴重な穀類を自分が食わなくても颯天には与えた。
武士にとって太刀より鎧より、一心同体になれる馬こそが最大の武器だった。
世話をしてやりながら、目で颯天に語り掛ける十郎に、颯天もまた目で意思疎通をしてくる。
「太郎、飯はできたか?」
颯天の満足を見届けてから、太郎相手にやっと飯を掻き込む十郎だった。
弾む話があるわけでもなく、太郎は飯を食いながら舟をこぎ始める。
「太郎、納屋に上がって寝てしまえ」
「そうはいかぬわ」
太郎は納屋に部屋をあてがわれており、いくさのあとは十郎の刀や鎧の始末があって、眠れない。十郎は奥の板の間の居室へ引き取るが、一旦破れ布団の寝床に入ったものの、いつものことで寝付かれず、起きだしてしまう。
太郎がやっと全部の仕事を終えてわらの寝床に入って間もなく、そのわらの中へ何かが投げ込まれた。投げ込まれたものが三つ四つ、くねくねもがきながら太郎にまとわりつく。
眠い目で怪訝にそれをつまみ上げた太郎が、ぎゃあーっと悲鳴を上げて跳ね起きた。
烏蛇(からすへび)の若いのが慌てて逃げ惑う。
けたけたと笑う声が響いて、太郎が泣き声で叫ぶ。
「十郎、いたずらはたいがいにせえ!」

十郎が笑いながら駆けてくる。
眠れない腹いせに太郎をからかった後は緑川沿いの岩の上に出て座り込む。
十郎は毎夜座禅をしていた。
眠れなかったからだ。一〇代にして不眠症だった。
博多合戦以来、父の死んだ夜のあの恐ろしい地獄絵図を忘れたくて、博多聖福寺の大方元恢(たいほうげんかい)の言ったことを頼りに、すべてを忘じよという座禅に救いを求めていた。しかし座れば脳裏にあの日のことがよみがえる。

「首がさらされておる!」
聖福寺内で作務(さむ)をしていた十郎と太郎が見返った。
使いから戻った均吾が駆け込むなりそう叫んだからだ。



《今回の登場人物》

〇菊池武光(豊田の十郎)
菊池武時の息子ながら身分の低い女の子供であったために飛び地をあてがわれて無視されて育つ。しかし父への思慕の思いを胸に秘め、菊池ピンチの時救世主として登場、菊池十五代棟梁として懐良親王を戴き、九州統一、皇統統一という道筋に菊池の未来を切り開こうとする。

〇緒方太郎太夫(おがたたろうだゆう)
幼名は太郎。武光の郎党。長じては腹心の部下、親友として生涯を仕える。

〇筑紫坊(つくしぼう)
幼名を均吾という武光の幼友達で、後に英彦山で修業した修験者となるが、その山野を駆ける技を持って武光の密偵鬼面党の首領となり、あらゆるスパイ工作に従事する。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?