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小説「武光と懐良(たけみつとかねなが)敗れざる者」47


第九章     大保原の戦い


七、
 
武光に続くべく、城隆顕や赤星武貫も率いた兵士たちに叫んだ。
「突撃!」
こうなるともう武光には棟梁指揮者であるとの自覚がなくなったかのようだった。
颯天が青い韋駄天と化して走る。
その目に殺気が漲り、ひずめが地を蹴り、泥をはね上げた。
伊右衛門達武光親衛隊がそれに続いている。
飛来する矢はすべて青い鎧兜が跳ね返した。
先頭の武光が打突して騎馬武者を討ち転ばし、蛍丸を抜いて斬りたてた。
蛍丸は相手の鎧を立ち割って血をしぶかせ、肉を切り裂いた。
棟梁としては問題なしともしないが、一度血をたぎらせてしまうと最早止まらない武光だった。青色の縅の鎧が陽に映えて、一個の青い閃光と化している。
そしてその鬼神のごとき勢いは戦場の者共皆の勇気を奮い起こした。
伊右衛門も暴れまくる。
いくさ神ここにあり!との思いが戦意を駆り立てる。
このいくさ神と共に戦う限り、勝利はこちらのもの。
そんな風に皆の血もたぎって勇壮な兵士が誕生してしまうのだ。
もっとも敵兵は違う。
震え上がらされるのだった。
常識外の狂気を見せて突撃してくる武光に矢を射ても、なぜかはじき返される。
挙句何騎も打突されては転がる武者が続出。
それへさらに蛍丸を振るう武光だった。
蛍丸は獲物を求めてあたかもそれ自体が血に飢えた生き物のように空中を踊りまわる。
額を割られ、腕を落とされ、顎を割られて武者たちが転がりまわり、のたうち回る。
そこへ菊池の騎馬武者が押しかかってきて蹄(ひずめ)にかけて肉塊にしてしまう。
伊右衛門も親衛隊士たちも鬼神と化している。
生き残った者がいてもそこへ今度は雑兵どもが襲いかっていく。
その流れが奇麗に出来上がってしまい、敵はもはや勝てる気がしないのだった。
矢合わせ、槍衾、騎馬の打突、そして殲滅の地獄である。
 
同じころ、怒号のような声が境内に響き渡っていた。
熊耳山正観寺(ようじざんしょうかんじ)。その境内に千人以上の菊池の人々が集って、観音経を読み上げている。
今日あたりに筑後平野で北朝南朝の軍勢が激突するであろうことが予測され、菊池の人々が夕べから次第に集まり始め、朝ごろから誰からともなく祈り始めたのだった。
それに気が付いた僧たちが管主の大方元恢を呼びに走った。
民衆を見て驚いた大方元恢は皆の想いを察した。
皆の想いを受けて僧たちを呼び集め、僧たちを民衆の間に散らせた。
そして自分は大きな声で観音経を唱え始めた。
僧たちがそれに相和して経を唱え、民衆を導いた。
その間にも人々の数は増えていった。
武家の娘や奥方、後家たちも参加し始めた。慈春の尼や重子の姿もある。
やがて唱和が整っていき、観音経が果てしなく繰り返された。
 
「世尊妙相具、我今重問彼、仏子何因縁、名為観世音、具足妙相尊、偈答無尽意、汝聴観音行、善応諸方所、弘誓深如海、歴劫不思議、侍多千億仏、発大清浄感、云々」
 
百姓の年寄りや女子供の集団だった。若い者はみんないくさに出ている。
このいくさには菊池の命運がかかっている、誰もがそう思っていた。
ここには支配層としての侍と被支配層の百姓という構図はない。無能なら見捨てて逃散してしまうべき豪族としての菊池一族だったが、そこには稀代のヒーローがいた。
宮家の皇子を迎え入れ、日本統一の可能性を示し、そのための大いくさを挑んでいる。
百姓の男どもがみんな参戦している。これは自分たちの戦いだ。
皇統統一の先に菊池幕府開府の話はもはや菊池のそこここで囁かれている。
幕府を開くには血筋や系譜が条件としてあることまでは誰も知らない。
資格はあると信じていた。菊池一族は藤原一門の末だと信じられている。この菊池が日本を統べる。そこには富もついてこよう、夢も生まれよう、栄光に包まれた未来があろう。そんな大事業に一人の若武者が挑んでいる。親王さまも一緒だ。やれるかもしれない。いや、やらねばならぬ。心を合わせるのだ。祈りを届けるのだ。そんな熱気と高揚が境内に満ちている。尼の姿となった美夜受も加わった。誰もかれもが一心に祈っている。
必死に祈る美夜受。そして大方元恢和尚。
慈春尼や重子、菊池の民百姓たち。
観音経が読み上げられる。
 
味坂の荘で武光たちが少弐頼尚を発見できず、次の行動をどうすべきか逡巡している時、わずかな後方では懐良親王の軍勢が前方遥かにその状況を認めていた。
武光の軍勢や親王の軍勢に対して敵が迫ってきている。
親王は武光があくまで少弐頼尚を求めて自在に活動できるよう自分は動くべきであると思い定めている。懐良は血をたぎらせていた。
「武光の軍勢を補佐すべきじゃ、ここは我らが引き受けて正面の敵を打ち砕くべし、われらは行くぞ、かかれ!」
懐良親王が全軍を率いて向かってくる敵に突撃していく。
「武光、もはや後醍醐帝のご無念を晴らすために戦うのではない、私はお前と見る夢のために戦う!お前と京へ攻め上る、その為に今日を勝つ!参るぞ!」
決然たる表情に迷いはない。
乱戦のただなかに親王たちが飛び込んでいった。
飛来する矢は特別製の黄金色の兜や鎧の前に無力だった。
親王が太刀をふるう!
親王の脇にぴたりと張り付いて馬を駆る中院義定が親王に向かい来る敵を大薙刀(おおなぎなた)で狩りはらう。七十歳の五条頼元は懐良に出陣を止められ、留守居をしていた。
父に代わって五条頼氏が親王を守るために騎乗してきている。
親王の背中を見据え、お守りする!との一念に三昧となり、大波のごとく押し寄せる怒涛の殺気に突き進んだ。だが、間もなく頼氏は親王を見失った。
敵味方が入り乱れ、乱戦となり、必死に敵の刃を払い、斬りつけようとするうちに訳が分からなくなった。敵に組み付かれ、落馬した。
相手を鎧どおしで刺して退けたが、肩を斬られた。
太刀を落として倒れ伏し、その上に遺骸が倒れこんできて、起き上がろうともがいた。
中院義定も親王を見失っている。
「親王さま!懐良様っ!」
と寄せかかる敵兵を切り倒したが、すでに親王の姿は見いだせない。
馬の手綱を引いて周囲を駆け回る。だが乱戦の中に親王の姿はない。
「宮様―っ!」
それよりわずかに離れた位置で、親王は行く手を阻まれている。
懐良は矢を射られ、斬りつけられ、打突で跳ね上げられたが、必死に太刀を振り、馬のたずなを引いて打突を返し、暴れ回った。
何人かを斬りつけて負傷させたが、次々に敵が迫る。
矢も太刀も鎧は寄せつけはしないが、黄金色の鎧が目立ちすぎて格好の的になっていた。
その背中が背後から切り付けられ、そこへ次の打突を食わされて、懐良は落馬した。
それをたまたま宇都宮隆房(うつのみやたかふさ)が目撃した。
「親王さま!」
宇都宮隆房が駆け寄り、親王をお守りしようとしたが、敵に斬り苛まれて絶命した。
「宇都宮、すまぬ!」
隆房の死を視認したが、懐良には駆けつけることができない。
そこへ飛来した矢が黄金色の鎧からわずかに覗いた胸元に刺さった。
矢を引き抜こうとして抜けず、懐良はよろめいて踏ん張った。
そこへ襲い掛かった敵の突き出した太刀に鎧のわずかな隙を突かれて深手を負った。
肩の付け根に刃が通り、筋が断ち切られた。
「くそっ!」
太刀をふるって相手を退けたが、首筋を斬りつけられて血をしぶかせた。
さらに草刷りの上から振るわれたなぎなたで足にも重傷を負った。そこへ味方の雑兵が駆けつけて敵に切りかかったので、懐良は辛うじて窮地を逃れた。
だが長くは歩けず、人の背より高く生い茂ったあしの原に逃げ込んだ。
親王は意識を失いかけながらも力を振り絞って草むらの中に身を隠そうとした。
だが、追われて上から太刀で串刺しにされ、反射的に跳ね返って太刀を一閃、相手を殺した。しかし、そこで力尽きて倒れた。意識を失っている。
その眼前に真っ黒な泥で顔も体も塗りたくった一個の生き物がいた。
草むらから倒れた親王の顔を覗き込み、大きく目を見開いて見つめた。
そして思わず親王の体に覆いかぶさっていった。
居合わせて親王を救ったのは野伏せりの娘、やえだった。
やえは思わず親王を自分の隠れた茂みに引きずり込んでいた。
目の前に傷を受けて倒れ込んだ親王を見て息を呑んだ。
戦傷を受け血にまみれてはいても、その美しさには陰りがなかった。
やえは自分のいた溝に親王を引きずり込み、覆いかぶさって敵の目を逃れようとした。
やえは大いくさがあると知って戦地に先回りした野伏せりの一団の賄いとして大保原に紛れ込んでいた。野伏せりたちは隠れていて、いくさが始まったら誰でもいいから大物らしい殺された武者の首をかっさらい、後で自分の手柄として申告し、報奨金をもらったり、正式に雇い入れてもらうことを狙う。それがうまくいかなければすぐさま死体から鎧兜をはぎ取って逃げるのだ。ところが今回、野伏せりたちはあまりにも桁外れな戦闘が始まり、そのすさまじさにこのいくさは手に負えないと思った。狼狽して逃げ散っていった。誰もやえに構うものはなく、やえは置き去りにされていた。あしの茂みで震えているより手がなかった。そしてそこでやえはまた想像を絶した体験をした。あまりにも美しい人を見たのだ。
親王に覆いかぶさっていたやえが目を上げた時、大きな影を見た。
それは中院義定だった。
中院義定はやえを突きのけ、懐良親王の脈を取り、息を確かめてただ意識を失っているだけと見て取ると、やえに親王を返した。
太刀をもってあしの茂みを出ていった中院義定。
それへ敵が襲い掛かってくる。一刀のもとに切り伏せた。
敵は次から次に襲いかかってきた。
落とした薙刀(なぎなた)を拾い、馬の脚めがけて振り払う中院義定。
馬がもんどりうって、騎馬武者は飛んで行った。
だが、すぐに次の武者が駆け寄ってきて、太刀で打ちかかる。
敵が組み付いてきて絡まり合い、地べたを転げ回って格闘となった。
そこへさらに大勢の敵が駆けつける。
相手が南朝の名ある勇者であろうと推量し、首を上げて手柄にしようといきりたつ。
さっき草むらに倒れ込んだのが南朝側の総帥、征西将軍牧の宮、懐良親王であると気付いた者もあって、目を血走らせて殺到した。
中院義定は組み合った相手を鎧どおしで刺し殺し、さらなる寄せ手に相手の太刀を握り取って体当たりを食らわせ、親王をかばって仁王立ちとなった。駆けつけてきたのは頼氏だ。 だが、武人ではないため息が上がり、ふるう太刀に力がない。
それでも必死に親王と敵の間に割って入って中院義定に助力した。
中院義定は頼氏をもカバーして体で敵の太刀を防ぎ、別な敵の首っ玉を掴んで抱え込み、また別な敵を足蹴にした。しかし、動きは鈍り、そこへまた殺到した敵が斬りつけ、太刀で斬撃してくる。意識を失いかけながらも、なお義定は立ち続けた。
その足元の草むらで、懐良にかぶさりながら、やえはぽうと頬を上気させていた。
顔の気品とまとった鎧の見事さから明らかに宮方の高貴な将軍であるとは見て取れた。
守りたいと思った。恩賞を考えたわけではない。やえは衝撃を受け、感動していたのだ。
この世にこんな美しく高貴な人間が存在する。奇跡に出会えた気がして、この人が死ぬなどと、あってはならない、と瞬間、神に仕えるようにこの方をお守りしたい、と願ってしまっていたのだ。その一心で重傷の親王を見つめ、胸元の矢を引き抜いた。
血が迸(ほとばし)ってやえを朱に染めたが、やえは手で押さえて止血しようとした。
仁王立ちで中院義定は立ち続け、五条良氏は敵に太刀を構えたまま覚悟した。
親王を守り切れない、ここで共に死ぬ。それならそれで良い。
腹が座って前進してくる敵の太刀を睨み据えた時、声を聴いた。
「宮さま!中院さま!」
「良氏殿!」
呼ばわりながら駆けつけてくる一隊を、中院義定と五条良氏は見た。
新田勢だった。武光が指示してなんとしてでも親王だけはお守りせよとの密命を受けた武士たちだ。駆け寄りざま、敵将士や雑兵たちに襲い掛かった新田の武士たち。
北朝勢はたちまち斬りたてられ、切り伏せられ、惨殺され、逃げ散っていった。
親王とやえを守り通して、力尽きて腰を抜かした中院義定と頼氏だった。
「親王さまは、親王さまはご無事か⁉」
中院義定がやえを振り向いて叫び、やえは親王の息を見て、中院義定に頷いて見せた。
 
「世尊妙相具、我今重問彼、仏子何因縁、名為観世音、具足妙相尊、偈答無尽意
 汝聴観音行、善応諸方所、弘誓深如海、歴劫不思議、侍多千億仏、発大清浄感
云々」
 
と、読経の声はまだ響き続けている。
正観寺の境内で必死に祈る美夜受や群衆たちだった。
そして大方元恢和尚。慈春尼も祈る。
菊池の民百姓たち。観音経が読み上げられる。
その声は怒涛の勢いとなって菊池中に広がっていった。
 


《今回の登場人物》

〇菊池武光(豊田の十郎)
菊池武時の息子ながら身分の低い女の子供であったために飛び地をあてがわれて無視されて育つ。しかし父への思慕の思いを胸に秘め、菊池ピンチの時救世主として登場、菊池十五代棟梁として懐良親王を戴き、九州統一、皇統統一という道筋に菊池の未来を切り開こうとする。
 
〇懐良親王(かねながしんのう)
後醍醐帝の末子。南朝巻き返しの最後の希望となって征西将軍とされるも流浪の果てに菊池武光に迎えられ、やっと希望を見出す。武光の支えで九州を統一、やがて東征して皇統を統一するか、九州王朝を開くかの岐路に立たされる。
 
〇中院義定(なかのいんよしさだ)、持房親子
公卿武士、侍従。

〇五条良氏(ごじょうよしうじ)
懐良親王侍従。
 
〇池尻胤房、坊門資世
侍従たち。

〇宇都宮孝房(うつのみやたかふさ)
南朝方武将。
 
〇大方元恢(たいほうげんかい)
博多聖福寺の僧だった時幼い武光をかくまい逃がした。
後、武光が聖護寺を菊池一族の菩提寺として建立した時開山として招かれる。
 
〇美夜受・みよず(後の美夜受の尼)
恵良惟澄の娘で武光の幼い頃からの恋人。懐良親王に見初められ、武光から親王にかしづけと命じられて一身を捧げるが、後に尼となって武光に意見をする。
 
〇城隆顕(じょうたかあき)
菊池一族の別れで城一族棟梁。抜群の軍略家で有能。最後まで武光に夢をかける。
知的な武将。
 
〇赤星武貫(あかぼしたけつら)
赤星の庄の棟梁。菊池一族の重臣で、初めは武光に反感を持つが、後には尊崇し、一身をささげて共に戦う。野卑だが純情な肥後もっこす。
 
〇慈春尼(じしゅんに)
武重の妻、息子の武隆を一五代棟梁に望み、様々に画策する。
 
〇慈春尼の娘・重子姫
懐良親王の妻となる。

〇やえ
流人から野伏せりになった一家の娘。大保原の戦いに巻き込まれ、懐良親王を救ったことから従者に取り上げられ、一身に親王を信奉、その度が過ぎて親王と武光の葛藤を見て勘違いし、武光を狙う。

〇伊右衛門
武光の家来
 
〇弥兵衛
武光の家来
 
 
 

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