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母の家を片付ける その8 大量の食器、柳行李に収まって第二の人生へ

廃品回収業者引取り→行政の粗大ごみ→友人がまとめて引き取ってくれる

と、短期間のうちに目まぐるしく運命を変えた大量の布団。打ち直したあとに圧縮袋に入りきれいに保管されていたので、引き取ってもらえることになったのはとてもありがたい、ありがたい。

と、ほくほくしていたところ、引き取り手の方から「ほかにもリネン類や食器などもあれば、なんでも引き取ります」との言葉が。

食器か! あるぞ、食器。

食器、食器。

ということで、翌々日に迫った布団引き取りに合わせて、急遽食器の片付けに実家にすっ飛んでいく孝行娘ひとり。

食器棚に詰まった思い出を整理する

食器については、以前からなんとかしたいと思っていたんだった。というのも、実家の食器棚はむちゃくちゃ高い場所にあって、とても危険。さらに、経年劣化で棚のビスが弱まっていて、一度食器ごと落下したこともある。なるべく早急になんとかせねば、と思っていたのです。

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上の段のものはかろうじて移動させて、いちどかなりの数を減らしたけれど、それでもこの3倍ぐらいのスペースに食器がまだいっぱい入っている。

今日はこれをやっつける!

こういうのは、めちゃ得意だ!

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脚立に乗って片っ端から出していき、仕分け分別していく。

昔よく使っていたけれど、母が一人暮らしになってからとんと使わなくなっているカレー皿のセットのようなものは、いったいどうしたらこんなに汚れてしまうのだろう、というぐらい汚れている。

お皿って不思議だ。

使わなければ汚れないはずなのに、たぶん、洗い残しの汚れなんかが、時間の経過で浮き出してくるのかもしれない。子供の頃、いつも使っていた食器がひどく汚れた状態で保管されているのを見るのは、なんだか切ない。

ああ、これは小学生の頃よくほうれん草のおひたしなんかが入って出てきた鉢だ。こりゃなんだ、そうか、正月のお雑煮が入っていたお椀か。

私の母はあまり料理上手な人ではなく、家庭の味の思い出がさほど多いわけではないのだけれど、それでもやっぱり実家の食器棚の整理は、ちょっと感慨深い。そして、ちょっと切ない。

出るわ出るわ、一人暮らしの食器棚から大量の食器

ま、センチになっていても仕方ないので、ガシガシと行く。

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どう考えても使わない皿が、発掘される。

それで思ったんだけど、やっぱりこの世代が皿を大量に抱えている背景には、結婚式だの、なんかのお祝いだの、さらにはスーパーや商店街の景品だの、とにかくなんやかんやと皿がセットで送られてくる機会が、今より圧倒的に多かったんじゃないかと思う。

もちろん、自分で買ったお皿もたくさんあるんだけど、その場合、お皿が5枚か6枚でセットになって買われている。なんつうか、皿というのはセット販売がデフォルトだったんだな。

今は、あまりそういう買い方をしないし、バレンチノだとか、KENZOなんてロゴの入ったお皿やコーヒーカップをドカンとセットで送りつけるという無粋なことをする人も減ったように思う(まだいたらごめんなさい)。

というわけで、出るわ出るわ、大量のセット食器。

使ってくれる人がいるなら、捨てるよりずっといいので、まとめて写メして送ってみたら、全部引き取ります、と返信が来た。

父が結婚の時に衣類を入れて持ってきた行李も第二の人生

どうやってもっていってもらおうと考えていたときに、ふと目に止まったのが柳行李だった。

母によると、これは父が結婚するときに衣類を入れて持ってきたものだという。でもね。これは今の家の構造の中では、どうやっても使いみちがない。
親不孝娘は、これを粗大ごみに出すつもりで押入れの片隅に放置していたんだけど、もしかしてこれに入れて持っていってもらえばよいのでは。

ということで、65年ほど経った年季ものの柳行李のひとつに、布団用のカバーやシーツ、枕などを詰め、もう一つに食器を詰めてみたんだった。こんな感じ。

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今日はここまで。11時にサンドイッチを買って実家に行って、ガシガシに食器を片付け、汚れた食器をガンガン洗い、行李に詰めたところで14時になった。食事含めて3時間でここまでできた、我ながら偉い。

まぢで、職業にできそうな気もしてきた(しないけど>笑)

食器を「捨てる」のは、思った以上に難しい

食器の整理はさほど疲れなかったけど、洗うことと、箱詰めは疲れた。あとは明日布団と一緒に持っていってもらうのを待つのみ。お疲れさまでした。

ちょっとした懸案だった食器の片付けが、思いがけず布団のついでにアクセルかけて終了できたので、気分がよいぞ!

今回ここまでアクセルかけて整理できたのは、その先に「全部まとめて引き取ります」と言ってくれた人がいたからだと思う。

だって、この量の食器を「捨てる」のは、やはりちょっと勇気がいる。衣類と違って、食器類は耐用年数がとても長くて、割れたり欠けたりしない限り「まだまだ使える」状態だからだ。さらに言えば、引出ものや贈答のセット食器は、「ほとんど使われていない状態」で発掘されてもいる。

新しくて箱に入っていれば「売る」こともできるけれど、数回使われた名もなき食器の価値はとても中途半端なので、売れるかどうかも不明だし、その手間を考えるのも面倒くさい。結果、積まれた状態で放置されて、数がほとんど減っていかない。実家の食器も、そんなふうに長いこと積まれていたものが多い。

食器ってさ、ほんと、手放すのがとっても難しいたぐいのものだよね。だからこそ、本当に気に入って使いたいと思うもの以外は、家の中に入り込まない努力をしたほうがいいし(景品とかなるべくもらなわい)、もし使うあてのないものが入ってきたらこまめに手放していくのがいいと思う(贈答品が来たら、箱に入った新しい状態のうちに、売ったり寄付したりしちゃう、みたいな)。

だから今回、物の価値とか、売値とか、そういうこと抜きで「全部使います」って言ってもらえるのは、本当に気がラクだった。喜んで引き取ってくれる人がいることで、手放す気持ちもラクになる。おもろいなーって思う。

そして、ここらあたりで、なんとはなしに、母の変化にも気づくようになった。

前ほど、片付けて手放していくことに抵抗しなくなってきた。

以前なら、考えられないことだったこの大量の食器を、「手放せた」ことで、ちょっとひとつのハードルを超えたような気がした今日でした。母も、なんやかんやで前に進んでいるんだな。

3時間の食器棚の片付けだったけど、ちょいいろんなことを考えた一日でした。

明日はいよいよ布団と食器の引取だーい。

続きはまた。

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