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献立を考える力の根っこにあるもの

仕事がら地方に出かけることが多いのだが、根が食いしんぼだから、旅先でうまいものにになんとかありつきたい、と考えてしまう。
  
だからタクシーや土産物屋で「ここは何がおいしいの?」「どのお店がオススメ?」なんて聞いてみる。するとたいていの場所では、こんな風に顔を輝かせて答えてくれる人たちが必ずいる。
「土佐のかつおのタタキはね、ぜひ塩で試してみてよ。あとガシラって魚がいてさ、これが揚げて食べると実にうまいんだなあ」
「鯖の塩焼き食べました? あれはね、しょうが醤油がポイントですよ。あ、日本酒のお供にへしこも食べてよ。福井が誇る保存食だから」。

日本は狭い島国だけれど、そこには実に多様な食文化が根付いている。地元で取れる食材は、そこに暮らす人にとって大きな誇りであり、暮らしを支えている大切な財産なのだ、としみじみ思う。

 さて、と東京に戻って考える。この場所で「うまいものを教えて」と言われたら、私はなんと答えるのだろう。有名なレストラン、手ごろなチェーン店。確かに情報はたくさんあるけれど、顔を輝かせて自慢できる食材がない場所に、自分は暮らしていることに気づく。
 仕事で主婦にアンケートを取ると、首都圏では特に「毎日の献立を考えるのがとても苦痛」と答える人が多いのだ。何でも手に入る場所に暮らしながら、何を食べればよいかわからないという不思議。

 地方で市場を歩けば、あれこれ献立に迷わなくても、季節ごとに食材のほうから「蒸してくれ」「焼いてくれ」と話しかけてくる。その意味では、一年中なんでも手に入る大型スーパーで買い物をしながら献立を考えるのは、実はとても難しいことなのかもしれない。

 今、自分が暮らす場所で採れるものを愛し、その食材を顔を輝かせて自慢できるこころが、日本のうまいものを生んできたのだと思う。もう少し年を重ねたら、私も自慢できる食材がある場所に住みたいと切に願っている。食いしんぼにとってそれは、最高に贅沢な人生の選択肢なんじゃないだろうか。


ー過去に仕事で執筆したものを再編集して掲載しています
(c)Izoomi Momose

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