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なぎささんのいない浅草

東京の西に住んでいた時、浅草は東京の反対側の果てにある場所だった。たまに訪れるだけなので、すべては観光地で何があるのかもよくわからない。
その場所に、「引っ越したのよ」とうれしそうに報告してくれたなぎささんのことを、この頃たまに思い出す。再婚されて、西から東に越して

この街がいかに素敵か
人付き合いがどんなに温かいか
そして、住みやすいか

とよく言っていた。当時、私はそれを聞いてもあまりピンとこなかった。心のどこかで、「下町に暮らす素晴らしさ」という、自分の人生で経験したことのない事柄に、どう共感してよいのかわからなかったのだと思う。

古い町屋を改造して、素敵に暮らしていた。
どこにいても、なぎささんスタイルは変わらず、簡潔で美しかった。
そのうち遊びに行かなくちゃ、と思っているうちに

突然
なぎささんは、いなくなってしまった。
朝、笑顔で出かけて、そのまま、神様の元へ旅立った。
バイクの事故だった。


その後、まさか、自分が浅草圏内に住むようになるとは、思っていなかった。よい物件を探して偶然辿り着いた場所だったので、引っ越し後に近所を散策したら、歩いて10分もかからない場所が浅草で、なんとまあ。びっくりした。


いま、日々の買い物をするために歩いている道には
浅草のROXがあり、木馬館や東洋館が立ち並び
人混みを厭わなければ浅草寺も仲見世も散歩圏内になった。
なにより、その周辺に広がる下町の路地は魅力に溢れていて
気がつけば私は、なぎささんと同じことを言っている。

この街がいかに素敵か
人付き合いがどんなに温かいか
そして、住みやすいか

そして、幾度も幾度も、心の中でつぶやいている。

ああ、なぎささんがいたらな。

散歩がてら立ち寄れるご近所さんだったのにな。

なぎささん、なぜいないんだ。


なぎささんとご近所さんになりたかった。
おはよう、と笑顔で会いたかった。


近くに越してきたよ、と空に向かって話しかける。
なぎささん、どこにいるのか。


なぎささんのいない浅草に、いま私は住んでいる。







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