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「年をとったらシワができるのは当たり前」

数年前、フランスの小さな田舎町を歩いていたとき、タバコや新聞などを売る小さな商店の前に1枚の新聞記事が張り出されていた。しわがいっぱいあるおばちゃんの写真だった。

こんなしわくちゃなおばちゃんの大きな写真ががなぜ新聞の一面に? と思って近づいて記事を読んでぶったまげだ。
ブリジット・バルドーと書いてあった。

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一世を風靡したあのBBの今のお姿じゃった。うわー!

そう思った私は、一緒に散歩していた同年代の友人(フランス人女性)を手招きして興奮気味に新聞の写真を見せた。
「ちょっと見て、これ! ブリジッド・バルドーだって! いまの!」

呼ばれて写真を見た彼女は、表情一つ変えず、
「え、だから? それがどうしたの?」と言う。

えー、だってあんなにきれいだった人が、こんなになっちゃってー。年齢って残酷だねー。

そのときの答えが、タイトルの通り。
「年をとったらシワができるのがあたりまえ。そのシワが生きてきた証で、私はとても美しいと思うけど?」

ぐうの音も出なかった。
そのとおりだ、と思った。


日本でよく聞く「ババア」とか「オバサン」という女性の見方は、フランスではあまり遭遇しない。円熟したものに価値があるという文化があるからだと思う。10代の若いマドモアゼルもいいけれど、40、50代以上のマダムの魅力もちゃんと評価されるところがある。
だから、アメリカのハリウッド女優に比べて、フランスの女優さんは美容整形を敢えてしないという人もいるのだそうだ。どんなに年を重ねても女性として価値があると扱ってもらえるのは、20代後半からすでに会社内で「おばさん」と呼ばれて来た私には、うらやましい限りだと思うことがある。

日本なら間違いなく「ババア」(涙)と言われてしまいそうな写真を、「美しい」と言える文化って、なんだか素敵だ。

ほんでも、そうして「いくつになっても女」として見られるのは実は大変で面倒くさいんじゃないの? と言う友人がいた。
「私は20代後半で結婚して、そこからはもう社会に対して女の役目をしなくてよくなって、ものすごくラクになった。カアチャン、オバサンで生きていくのはラク。逆に、死ぬまで現役で女でいなくちゃいけないなんて、疲れるから私は絶対イヤだね」

日本の女性は、ちょっと太るとデブと言われ、ちょっと年をとるとオバサンと言われ、いろいろな意味で生きにくいと思ってきたけれど、もしかしたら早々に「オバサン」となってしまえば、あとはなにかに守られるような感覚で、逆にラクなのかもしれない。まあ、それは結婚して子供も生んで、社会の中でカアチャン+オバサンの地位を得た人の特権かもしれないけれど、カップルが結婚という制度にあまり依存しておらず、離婚も不倫もパートナーとの離別もいつも人生と隣り合わせという世界で女として生き続けるよりは、こっちのほうがずっと居心地がいいぜという人の気持ちもわからなくもない。

ほんでもそれ、どうなのよ。

シワは生きた証、美しい
って。
そう思える社会って、素敵だなと私は思う。

そして、そのシワが美しくあるように、いくつになってもやっぱり、清潔で凛として美しくいるための習慣を持つことは、男も女も大切だと思うのでありました。
オバサンでいるほうがラクでしょ、でもなく。かといって「実年齢より若く見られたい」なんていう美しさの尺度でもなく。
「しわは美しい」と思える大切さの一方で、「美しいしわ」を重ねていくための生き方というのは、やっぱりある気がする。

最後に、以前フランスのおばあちゃんが言っていた素敵な言葉。

「いくつになっても美しくいようと努力することは、自分自身と、そして自分の周りにいる人達への敬意なのよ」

自分にも、外の世界にも、敬意を持てば
オバサンなんだからもうどうでもいい なんて言葉は生まれない。
「美しさ」の概念について、私達はもうちょっと成熟しないといけないのかもしれないです。

こちらは数年前にフランスのブルゴーニュで撮った写真。
こんなおばあちゃんに、私はなりたいです。

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