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マサコさんと幻の二世帯住宅

一人っ子だった私は、20代になるとマサコさんから頻繁にこう言われるようになった。「あんたどうすんの。この家二世帯にすんの、しないの?」
外壁の塗替えとか屋根の修理の機会に言われることが多かった。
「あんたがそのうち二世帯にすんなら、いまやっても無駄になるから」。

そんなん、当時独身のオレに言われてわかるわけがねえ。
「相手も決まっていないのに決められるか。大丈夫、絶対出ていくから」と言うと、マサコさんはたいてい「なによ!」と不満げな顔をした。
あれは不満であり、悲しみでもあったように思った私は、結婚した時ではなく、離婚した時に彼女が待ちに待ったであろう、こんな提案をした。

「この家を二世帯に改装して住もう。費用は全部私が出す」。

父、マサオさんは泣きそうな顔で喜んだ。「なんてありがたい娘からの申し出だ。なあ、マサコさん」。
視線を向けた先のマサコさんは、むくれていた。そしておもむろにこう言った。

「ってことは私たちの住む場所は今の半分になるってこと?」

結局、マサコさんは最後までクビを縦に振らなかった。理由は、「今より狭くなるのはやだ、改装では隣の家に引けを取るからやだ、隣より立派にしてくれるなら考えてもいいけど、でも工事のために荷物を整理するストレスがやだ」。
マサコさんの仏頂面を前に、私はもう親の顔色を伺うのはやめようと思った。んで、実家から10分ほどの場所にローンで中古のマンションを買って、10歳の息子と住むことにした。近居で十分、親孝行をしたつもりでいた。

1年後。マサコさんから電話がかかってきた。
「あんた、この家どうすんの。二世帯にすんの、しないの?」

え“??? 

「外壁の塗替えしませんか、って言われてんの。あんたが二世帯とかなんとか言ってたから、それするなら無駄になるでしょ。どうすんのよ」

あのさ、二世帯やだっていうから、ローンを組んでマンションを買ったばかりだよ。もうこの先もお金ないよ。私を何だと思ってる?

マサコさんは不機嫌になって「なによ、ふん」と電話を切った。何なんだよ、意味不明だと思った。やるせなかった。

でも、今思えばマサコさんの気持ちはなんとなくわかる。やっと手に入れた自分の家を将来売られたくないから、二世帯にしたかった。でも、実際にそうなったら、自分の場所が減ることに気づいた。マサコさんは「手放す」ことが大の苦手なのだ。

その家に、マサコさんは今、一人で住んでいる。「誰もいなくて寂しい。あんたの部屋片付けるからそこ住めば」とたまに言われる。いまだにあの家で一番狭いあの部屋だけが私のスペースなのか。ああ、まだまだマサコさんは長生きできそうだな、としみじみ思う。

結局、マサコさんは正しい選択をしたように思う。一緒に住まないほうが、たぶんお互いのために良かった。
今日はそんな、マサコさんの幻の二世帯住宅のお話。

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