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母性 感想
いよいよ今月23日に公開される映画
母性
主演 戸田恵梨香 永野芽郁
原作 湊かなえ
好条件が揃いにも揃ったこの映画を先日
東京国際映画祭『母性』ジャパンプレミア
で舞台挨拶と共に観てきた。
↓ここからはネタバレを含む部分があるかもしれません。
この物語は
娘を愛せない母 ルミ子(戸田恵梨香)
母に愛されたい娘 さやか(永野芽郁)
の2人の2つの視点から動く。
まず私が言いたいのは、こんな物語を実写映像で成立させることができたのがすごい!
どのようにして2つの視点から物語を描くのだろうか?とずっと疑問に思っていた。しかし、
母の視点、娘の視点、母と娘の真実
この3つから同じ場面を描き、何を思っていたのかのナレーションがあることで2つの視点が成立している。難しいと感じることなく、2つの視点から見ることができるのは本当に素晴らしいと思った。
舞台挨拶の時に戸田恵梨香さんが
『この映画は世代や性別で見え方が違う』
と言っていた。見るまではそうなんだ。くらいにしか捉えてなかったが、見終わった時、誰もがこの言葉に共感できると思う。
私は、この作品を 娘 さやかの視点からしか見ることができなかった。それはわたしがさやかと年が近いからなのか、それとも母になったことがなく娘だからかなのか。理由はわからないが、ルミ子にも他の人にも全く共感できなかった。なんかかわいそうな人たちと冷たい目で見ていたのではないかとすら思う。映画を見ていたときの私は、ひたすらにさやかを信じていた。
結論からすると、ルミ子の証言が間違っていたので、さやかを信じたことは正しかったのだが、それが本当に正しいのか疑問が残る形となった。
その原因はおそらく、私が母にたいして持っている"私を愛して欲しい"という欲にある。
母に愛して欲しいと子供が思うことは、極当たり前のことだろう。私もその一人で、今ならあのときはしょうがなかったとか、充分に愛してもらっていたと気づくことができるが、幼かった私にとって、自分よりも年下の弟や亭主関白の父を私よりも優先していることに不満を持っていた。不満を持っていたというのは、そのときの私の気持ちではなく、『母性』を見たことによって気づいたあの時の私の切実な欲望である。思ってはいけないことだと判断し、心の奥底にしまっておいたこの感情が、欲が、映画を見ることでえぐり出されたのだ。
だからこそ、さやかの気持ちが痛いほど理解することができ、結果として私は、さやかを信じたのだと思う。
でも、ルミ子からすると愛能う限り娘を愛したのだから、さやかが100%正しいとはいえないのではないかとも思った。
さやかを信じていた。さやかが正しかったのに何を言っているのか?と思うだろう。
私でも思っている。
でも、そうさせないものがあの映画にはあったのだ。
私が思うに、戸田恵梨香さんの芝居がそうさせているのであろう。
私が思う戸田さんは、『愛に溢れている人』
である。
それが、映画のなかでは目に光がなく、愛情が微塵も感じられないのである。
永野さんの言葉を引用する形になるが、
戸田恵梨香は怪物なのだと思う。
舞台挨拶が先にあり、キラキラしてて愛に溢れた戸田さんを見た後、『母性』のルミ子をみると頭が混乱する。それほど憑依しているように見えるのだ。戸田さんの芝居が素晴らしい。それは、誰もが知っていることだと思うし、私なんかが言うのがおこがましいことは、充分に承知している。それでも、この映画を見たら、確実にあなたは戸田さんの芝居に脱帽すると思う。
「私が間違っていました」
そうルミ子が言うのに、ルミ子が間違っていることも、娘を愛していなかったことも分かっているのに、悪者にできなかった。それどころか、私はルミ子を抱き締めたいと思った。
それだけ、戸田さんのルミ子の芝居が戸田さんの思いが素晴らしかったのだと思う。
総体的に
どの立場にいるのかで見え方が違うし、
客観視の大切さに気づく
そして、時間をおいて何度も見ることがこの映画を知る鍵になるだろう。
1度見ただけでは、全てを理解することができない。だから、公開したらまた必ず見に行こうと思う。
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