成長は実は難しい

こんにちは。
皆さん元気に過ごしていますか?

今回は成長について、記事にしていこうと思います。

言葉の意味や、その物の事柄は実際に経験したり、自分の言葉で表現できないと理解が及んでないと感じる事があります。
若い人なら特にその壁にぶつかり、心が折れたり、落ち込んだり多種多様な問題を抱えてしまう事が当たり前に世の中にあります。

その中で一番大きいものは、【成長】と言う現象だと考えました。
何で成長を現象と表現したの? と疑問に感じたかと思います。

この成長は生きていくうえで、最も難しい事柄の一つであり、誰にも分からないものだと言う事だと生活してて思います。
では、その成長について少しずつ書いていこうと思います。


1.成長とは

コトバとしての成長の意味は簡単に言えば、成熟するや、発展すると言う意味を持ちます。
例えば、赤ちゃんから幼児になり、学生になり、青年になり、大人になる。
この、見た目に依存した物や、見た人の感覚によって、成長したと判断される物でもあります。
他にも食べてなかった植物が熟し、食べる事が出来る様になった、小さかった業界が大きくなった、なども成長したと言う人が多いと思います。
そんなこと知ってる! と思われるかもしれませんが、知ってる人ほど認識に差が生まれてしまうのがこの成長という事柄です。

2.成長について考えてみる

前の項目で、成長は大きくなること、という事を書きました。
では、大きくなることは具体的にどのような事を指すのでしょうか?
これを説明できる人は多分、いないと思います。なぜなら、説明をできてしまう=成長する事が決まっている、という事になるからです。
え? そんな事ないだろう! と言う人が出てくるでしょうが、ここで考えてみてください。

もし、あなたが成長する意味を知っていたら、その方法を使いませんか?

もちろん私は使います。
だって、確実に成長できるんですから。どんな事が成長として認識されるとはっきりと知っているんですから。
なので、私は成長を説明する事はできません、と言うしかないんです。
でも、確実な説明は出来なくても、成長を語った時に納得できる事柄が一人に一つ存在します。それが成長の輪郭だとここで言っときたいと思います。

では本題です。
私は周りでよく、成長しなさいと言われます。
何故言われるのか沢山考えました。現在困難な事が多く、その上で圧を掛けられたり、つまずいた時によく言われます。
日常では、成長したな、まだ成長できるって事だから、など言う人もいれば、一皮剥けたな、あか抜けたね、顔つきが変わったなどと表現する人もいます。

先ほど、成長とは、大きくなること、もしくは熟すことと書きました。
世の中では、歳をとれば成長してると言いますし、年齢によってもっと大人になれよ、とすら言われる人もいます。
この言葉、一見したら真面な意見に聞こえますが、私には先ほどの事が影響して異質に映ってしまいました。

歳を取れば大人になる、この事でです。
世の中では俺の方が上なんだから言う事聞け! と言う人がいます。
お前より長生きなんだから、敬えも聞いたことある人は居るのではないでしょうか?

これ、先ほど言った成長とはかけ離れてると感じたんです。
どうしてか? 私の中での大人と言うのは、信を持ち、しっかりしている人だからです。
皆さんも考えてみてください。貴方にとって大人とはどんな人を指すのか。
私にとっては、先ほど書いた様にしっかりしている人を成長した大人だと判断してます。
もっとわかりやすく言うと、尊敬できる事がある人が大人だと考えるからです。

歳を取っても成長してない人は沢山います。でも、見た目や年齢を元に成長してると言う人が多いのがこの世の中です。
そんな中で、成長と言う言葉一つでレッテルを貼れるのは、やはり違うと考えられますし、誰も疑問を覚えないのがまた異質だと感じませんか?

では、ここで私なりの成長をお答えしたいと思います。

成長は経験と、考えで自信を持ち、向き合えること。

これだと私は思います。

3.経験と考えで良いのが成長?

誤解のない様に言いますと、経験と考えで向き開けると言うのは、自我を押し通すと言う事ではありません。
自我を押し通す、それは意見の押し付けでしかありません。
この意見の押し付けに関して、皆さん一番わかりやすい、しかも経験があり、必ず目にしている期間の人を知っています。
そう、赤ちゃんですね。
赤ちゃんは、コトバを話せないが故、感じたことをそのまま泣き声と言うコミュニケーションを取ります。
それは、母親が寝て疲れて様が、公共の場だろうがお構いなしに自分の感情や感じたことを周りに押し付けています。
赤ちゃんは泣くことが仕事では? と言う人もいます。そうです、それは大切な事ですので否定してはいけません。
しかも、赤ちゃんはその時点では経験も無ければ、考えも及ばない状態です。その状態を、意志疎通が可能な人と同じ扱いをすること自体がおこがましいとさえ思います。

では、なぜ赤ちゃんを出したのか? それは歳を取ったとしても、自分の考えのみが正しいと押し通してしまう人が沢山いるからです。
つまり、相手の事を見ていないと言う事ですね。
見ていないのに、気に食わないから怒鳴る、殴るは子供の時から成長していないと思う人がいると思います。少なからずああならない様にしたいと考えるのではないでしょうか?

でも、怒鳴ったり、殴ったりする大人に対して、いい歳なんだからと言う言葉も聞く人もいるのではないでしょうか?

精神的に幼稚とも言う人すらいます。

そんな中で、成長と言う物を考えた時、それが間違えでも、向き合えることが成長なのではないか? と感じました。
他人が困ってたら助けなければいけない。そう教えられたから実行する。これは成長したと本当に言えるのでしょうか?

私は違うと思います。
理由は、助けると言う事を知らないからです。
成長とは、何かが起きた時に向き合い、経験を元に模索し、自信をもって他人に言え、指摘された事柄に向き合える事だと考えます。
これを、人は器が大きくなった、と表現するかと思います。
この器が大きくなった事こそが、成長という事なのではないでしょうか。

経験を積む事も成長になります。
それは扱える武器が増えるからです。
元から持っている感情と言う武器以外に使えるものが増える事も、成長と言うのではないでしょうか?

赤ちゃんの時には感情でしか意思疎通できません。
幼児期には、コトバを使おうとします。
小学校に上がると、言葉の意味を知り、感情以外で伝える術を学習します。
青年になると、周りの人との違い、自分と言う存在に向き合う方法を学びます。
そして、大人になると他人を導く方法を学んでいきます。

それは、伝え方や感情の創造、考え方の相違や他人との距離など知らないうちに分かるようになっていきます。
これを全てひっくるめて【経験】と言う事になり、同時に成長していると誰でも言えるのではないのでしょうか?

4.最後に

私にとって、成長は、経験と考えを元に向き合うことだ、と言いました。
これは困難に遭遇した時に目に見えるものです。
もともとプライドが高くて、教えを請えない人がいます。その人が教えてほしいとお願いできれば、それは成長したと言えるのではないでしょうか?
当たり前だろ? と言う人もいるかもしれません。
当たり前のことをして何が成長だ! と考えるかもしれません。
そう考えられたのでしたら、それは成長と言う物に触れたと言う事です。
つまり、成長とは【当たり前のことを当たり前にこなせるようになる、もしくは他の人が出来ない事を自信をもってやれるようになる過程】だと言う事ですね。
分からなかった人もいるかと思います。
その分からないと言う事こそが、成長する第一歩です。その事こそが成長だと考えてくれて構いません。
分からない事をどう対処するのか? それを考えて、悪い結果を残さない事、良い結果を出せ、その方法を他人に胸を張って言えれば、それは成長したと言えます。
俺はそうしてきた、だから正しい、は幼稚な考えです。これを否定している時点で私も成長してないと言われそうです。
でも、私が同じ立場に立った時、私はこう考えてます。それが正しいと思ってやってきました。でも違うならそれでもかまいません。そう考えます。
経験とはその人だからこそ培えるものであり、同時に同じ経験をしたとしても絶対に同じことを学べるわけでもないです。
俺はそうしてきた。この事を聞いて幼稚だと感じてしまうのは経験です。私はそう見えてしまうと言う事を今ここで発信してします。
それは、私以外にもそうみる人がいるかも知れない、そうみられた時、貴方はどうしますか? と聞いているに等しいのです。

私に、これは間違ってる、暴論だ! と言う人が居たとしてもそれは正しいです。間違えではないと感じます。
なので、そう感じた方がいるのでしたら、どうしてそう感じるのか教えてください。そう思う理由を知りたいと考えます。

人は止まることはないと言いますが、それは単に全てを知ることは出来ないと言う事で、成長が止まることが無いと言う事でしょう。

なので、一言に成長しなさい、と言う事は意外に難しく、成長と言う事自体も軽々しく言える事でもないのです。
そして、人は言葉で言い表せない時に、成長しなさいと言うのではないか、と感じました。

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