沢の水や水道水はいつまで飲める?
山に登ると水の有難味が良く分かります。
山では、歯磨きや洗面でさえ、出来ないことが少なくありません。
山小屋は、多くの場合、人の歩く尾根に建てられますが、
どこの尾根でも建てられるわけではありません。
山小屋は、たいてい水が得られやすい場所を選んで建てられるんです。
場所によっては、雨水を貯めている小屋もあります。
この雨水を天水と呼ぶのは、天から降ってくる水と言う意味でしょう。
でも、それだけでなく、「天から恵まれた水」という意味もあるような気がします。
我々が山で得る沢の水は、その起源は雨水です。
沢の源流に行くと、岩や土から水が染み出て、草の葉っぱ等を伝ってポタポタと垂れていたりします。
雨水が滴り落ちて一筋の水になり、成長して、沢になるということが良く分かります。子供が小さいころに、一度見せてあげたい光景です。
こうやって集まった水の一滴が細い沢を作り、それらが集まって太い沢になって流れ下り、川になって下流でダムになる。
そして、これが水道水になる・・・これは当たり前の話です。
しかし、私はこの当たり前のことが、そのうち出来なくなるのではないか?という心配をしています。
その原因は太陽光パネルです。
太陽光パネルには重金属などの有害物質が使われていると聞きます。
そして、この太陽光パネルが全国に広がっているのを写真でよく見ます。
このパネルの耐用年数が尽きたらどうなるのだろう?
使用できなくなったパネルから、有害物質が漏れ出し、土壌汚染を起こすのではないか?
パネルは高山には設置されていないかもしれない。
そうであれば、高山に登った登山者が沢の水を飲んでも大丈夫かもしれない。でも、低山はどうなるのか?
パネルを設置した低山の土壌は汚染される。
その汚染された土の上に降った雨水は汚染水です。
その汚染水が沢や川に流れ込んで、それを我々が使ったり飲んだりするとどうなるか?
そういう問題がそのうち起こるのではないかと危惧しているんです。
太陽光パネルは今すぐ設置をやめて撤去するべきだと思う。
太陽光パネルは、一部の人間の金儲けの道具になっていると思う。
そして、国民はその費用を払わされている。
国民は金を払わされて、将来自分たちの生活を脅かすものをせっせと設置していることになる。
このままだと、設備を取り除き、汚染された土壌を回復するコストまで、国民は払わされてしまう。
このパネル設置の理屈として、カーボンフリーなどともっともらしい説明がなされるが、これに一体どれくらい科学的根拠があるのか疑わしいと思っています。
金儲けの口実に使われているだけではないかという気がしてなりません。