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ラジオと3.11と伊集院さんと私

リモートワークでラジオを好きなだけ聞けるようになったせいでラジオ愛が止まらないみなさんこんばんは。radikoとタイムフリーに感謝して今日も生きています。

この季節なのでラジオ目線で3.11を振り返りたいと思います。


小学生の頃に父のラジオを譲り受けて以来、他の人からは姿が見えないラジオが自分だけに与えてくれる楽しみが好きだった。
関東のラジオは大学生になってから。課題に取り組みながらラジオ深夜便と共に幾夜も明かし(エリア関係なく日本全国で聴けるのってNHKだけだなと気付く)、よく通ったバイク屋の影響でJ-WAVEを聴くようになった。最新の洋楽中心で日本語の少ない中、ピストン西沢と秀島史香も好きになった。
AMラジオの面白さに気付いたのは遅く、学生生活が終わり東京に来てから。テレビは映らなくてもラジオはずっと一緒だった。イラストの専門学校の信頼できる友が引用元としてよくTBSラジオのJUNKやTOP5の番組名を挙げていた。学校の先生も「ラジオ聴きながら来た」「ラジオ…FMですか?」「違うわよ他人のリクエストなんか聴いてどうすんのよ!光浦(靖子)さんの話が面白いのよ」と言っていた。今思えばゴールデンラジオリスナーである。芸人さんのラジオを聞き始めたのはこのあたりからで、TBSラジオが独自にやっていたPodcastでまずJUNKを聴き始めた。深夜番組本編終了後に新たに録ったアフタートークや番組本編のディレクターズカット版がアーカイブされていた。Podcastに関してはTBSラジオはかなり先駆けていたと思う。私はバナナムーンのアフタートークから入ったが、それがめちゃくちゃ面白かった。日村さんが芋けんぴでずっと設楽さんに言葉責めをされている。パーソナリティや回によって収録時間は15分とか2時間とかバラバラで、それも自由で良かった。おぎやはぎは10分ぐらいまったり喋ってすぐ帰っていたが、めがねびいき本編を聴いたらとんでもなく面白かったので、「そりゃあれだけやった後ならすぐ帰るさ」と納得した。バナナマンが異常なのだ(褒め)。JUNKではないがライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフルも特集のPodcastから入りリアタイするようになった番組だった。
でね。
2011年3月11日。
東日本大震災。
その夕方から日常は止まり、不穏な報道を目にし、毎朝祈るようにテレビを付けどんどん明らかになっていく惨状が流れる。そんな日々が数ヶ月続くなんて予測もしてなかった。
この期間に確実に私を救ってくれたものは、地震から数日経ったある日から伊集院光さんが後輩芸人たちと配信を始めたPodcastだった。ほぼ毎日、毎回15分程度で、数話にわたって若手芸人が全然自己紹介させてもらえないとか、にゃんこまつりとか、本当にくだらなくて説明できる内容なんてほぼないんだけど、「なんなんだよ!」とゲラゲラ笑い、同じく聴いている友人と「聴いた?」と話題にし、「なにこれ」とまたゲラゲラ笑った。
そしてその日は来た。
キリのいい日だったから震災から一年経った日だと思う。
伊集院さんが「震災で社会全体あんな空気になってる中で、くだらない、馬鹿なことを、短くていいからできるだけ毎日届けるということをやってきた。けど、そろそろみんな大丈夫かなって」と言ってPodcastのほぼ毎日の更新の終了を告げた。
そう言われて初めて、1年間毎日伊集院さんとオテンキの3人や河野かずおくんや桐畑トール氏に支えられていたことに気付いた。優しいことにも気付かせない。粋だ。

そんなこんなでずっと『深夜の馬鹿力』を聞いている。朝の番組も聴いてた。
いわゆる自粛期間中は多くの芸人さんのラジオ番組に救われた。その中でも特に伊集院さんの粋は、こう、ちょっと書いとこうと思った。

こんな風に救われたリスナーは全国にたくさんいるよな。ラジオはいいな。


あれもミモザの季節だった

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