【鑑賞日記】小金沢健人×佐野繁次郎ドローイング/シネマを観に行った
小金沢健人×佐野繁次郎ドローイング/シネマ @神奈川県立近代美術館 鎌倉別館
素描って、油彩水彩等々のガッチリ描きあげられた作品よりも魅力的にみえると、いつも思っています。
思うに、素描は描き込み度合いがあまりなく、いい意味で手が抜かれて描かれている(観念的な)余白が多い作品なので、鑑賞者はその描かれていない隙間部分を無意識のうちに脳内補完しながら観ることになる。
結果、自分がもっとも理想的な線をそこに当てはめたものが作品として認識することになるわけで、それはどうしても自分好みの作品になってしまうわけです。
さらには、作品を単に受容するのではなく鑑賞者自身が無意識のうちに補完という創作行為をしているため複層的な鑑賞となり、それが心地よい鑑賞につながっているのではないか、と。
で、本企画は、素描を真正面から捉えることを狙ったインスタレーションとなっていました。
中心となる作品は、佐野氏のドローイング。佐野市の洒脱な素描は横長い展示ケースにラフに並べられています。ラフということは隙間が多いということ。つまり上述のような素描の持つ特性を展示においても表現しているわけです。
そして、佐野氏の作品の間隙に、小金沢氏のイラストとも落書きともつかない異形の存在(仮にカレと呼びましょう)が顔を出すように紛れ込んでいます。
なるほど、正統派の素描とそれを換骨奪胎するようなカレのイラストとの対比によって、作品の持つ魅力を強く浮き彫りにするようなインスタレーションとなっているのかな、と思いました。
が、この展示をアニーメーションに変換した作品を観て、その印象が変わりました。
小金沢氏の描くカレは単なる狂言回し的役割ではなかったんだなあ。
アニメーションではカレはまばたきをしながら佐野氏の作品の中を歩いていくという作品です。このまばたきをするというのが重要で、つまりカレはいきものとして描かれているということなのです。
だからカレが佐野氏の作品、それは風景であったり、人の営みを切り取った情景であったり、そういった世界を旅するように歩む。
そう、カレが歩むという行為があることで佐野氏の素描は、2次元的な絵というものから3次元的で実存を持った世界へと再構築された。
これによりわたしたち鑑賞者は佐野氏の作品の世界に、より深く没入することができた、と思ったのでした。
さらにぼーっと観ているうちに、カレは単なる異形ではなく、実は小金沢氏自身なのではないかと思えるようになったのです。
佐野氏の世界をみてまわっているのは、小金沢氏自身。小金沢氏が佐野氏の作品をみて感じた驚きや喜びをのこのような作品として表現したのではないか。そんなことも感じたのでした。
ひとりの作家の作品を、さらに別の作家によってあらたな視点が提示される。そのような面白い気づきがあった企画でした。