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わが家のZ世代が性差について考えている事

ある時、面白いな、と思った事を言いました。中3くらいの時の事でしょうか。
学校に海外から交換留学生が来た、という話をするので、なんとなく彼女の話の描写から「男の子なの?」と聞いたところ「性別はない」「え」「性別とかそういうのママに必要あるの?」「いや、その子が男の子でも、女の子でも何でもママにとっては別にどうでもいいんだけど、話ている感じが男の子みたいな感じだったから、男の子の話なのかな、と思って聞いただけだけど?」すると、
答えるのも面倒くさそうに

「マーク(仮称)は性別マーク(仮称)だよ」

この言い方はその後も、今もですが、お友達との間でも使うらしく、よく彼女の口から聞きます。
仲の良い男の子の話をよく聞くので、その子は男友達なのかと聞くと「太郎は性別太郎だから」という感じで答えてきます(つまりは彼氏ではなく、見た目は男友達になるのだろうが、そういうカテゴライズで繋がっている関係ではない)。

分かりづらいかもしれないのですが、要は性別などの性差、LGBT、だろうがなんだろうが、もうどうでも良く、その人の持っている「人格」「個性」でカテゴライズしているという意味と、私は理解しています。
この言い回しをとても私自身気に入っています。でも自分が自分の世代や、近しい世代の社会で使ってみても、「え?」と訝しがられるだけなのであえてもう使わないのですが、確実に娘は同世代と使いあっているようなので、性差の意識を越えられる社会はもうすぐ近くに来ているのかもしれません。

※後日このマーク(仮称)はLGBTを公言している子だったようで、その時わが娘は「この今更な質問に、答えるのもめんどくさい」という思考だったことが判明しています。


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