見出し画像

事情を運ぶ。

教会長になるのに【お運び】という
通過儀礼がある。
正式には【事情運び】というようだが。

これは、願い出てお許し頂いたが
何らかの理由により存続できなくなった
事情を運び
改めて許しを乞う。
という意味があるようだ。

たとえば
先代会長が出直した場合。
信仰的には115歳が定命で
それより先は心次第でいつまでも
置いてもらえる。
加えて
たいしょく天のみことの守護により
出直しのとき、息を引き取る世話を頂く。
これ、あくまで【世話】であるから
出直しというのは自ら選ぶのである。
という訳で先代会長の出直しというのは
人間の都合(事情)で辞退し
人間の都合で事情を運ぶのである。

よく
『会長の理のお許しを頂いた』
という会長がいるが。

国々名称の理をおろしてある、教会/\、一名称、しんといふものあろ、ようきゝわけ、そのものから心わかりてくれ (明治33年10月31日)

おさしづ

会長といふ、会長ありて下、下ありて会長、おれといふがという理はそはんによつて、此順序からをさめるなら、みんなをさまるで(明治31年10月26日)

おさしづ

という訳で。
なんか係長から部長にでも昇格したように言う人がいるが、そういうことではないし【会長の理】という【理】はないようだ。
だから【会長のお許しを頂いた】で良いのではないのか?と思う。
おさしづが出たので言っときますが【講元】の件があるからと仰せになりたい方いると思いますが、それは【講元】の話ですからね。

私の祖父は長年、教会の役員をつとめた。
今の自教会の会長の事情運びをした際
沿い願いをした。
後日談で祖父は『この者を○○分教会の会長にしたいので、お許しください』という気持ちであったという。

で。
私が講習を受けたときの話。
「僕は家が教会ではないんですわ」
という人がいました。
『私もですわ~』なんて話しながら
クラスの80%は教会後継者でした。

私は思います。
多くの者は教会長にならないです。
たとえ全国に約16,000ある教会で
無担任教会があっても
一般信者に白羽の矢が立つことは少ない。

ただ。
その多くの者は
教会長にくらべ
何かが劣っている訳でもないし
役職が下という訳でもなく
未だ事情を運んでないだけなのです。

そして。
教会の月次祭の並びを見てほしい。
座り勤めの並び。
多くの教会は、てをどりの芯に会長夫妻が並ぶ。
だが、それ。
会長夫妻だけ飛び出てますか?
道の先頭に立ってるのではなく。
中心に座っているのです。

この意味
わかります?


*ごめんなさい。勝手なこと言いましたが
アンチコメントはいらないのでスルーしてください

それでも書く人いますが。
そうやって最後まで人の話聞けない人にならないようにしてくださいネ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?