電波戦隊スイハンジャー#123

第七章 東京、笑って!きららホワイト

グリマルティ終

もう2世紀ちかくも昔の話である。

ある医師のもとをひとりの患者が訪れた。患者の男は重度の鬱症状と医師は診断した。

「鬱の改善にはね、なにより笑うことが一番」

と医師がアドバイスした。

「そうだ、道化師のグリマルティを見るのをお勧めします。彼の演技は最高ですよ。私も大ファンなんですが…
何度か彼の芝居見に行けば症状は軽くなりますって」

うつむいたまま血を吐くような声で患者はとんでもない告白をした。

「私がその、グリマルティなんです!!」


だぶだぶの衣装に白塗りの化粧。

現在の道化師のスタイルを確立したジョセフ・グリマルティは1800年代初頭では最も人気のある道化師だった。


「最近何をしても楽しくないんだ」

と告白するのは樋口謙太郎。27才。

場所は所属事務所「トモエ芸能社」の社長室で、彼の話を聞いているのは相方の村瀬汀と、担当マネージャーの岡崎さん。

そして、窓を開けて煙草をすぱすぱ吹かしている事務所社長で劇団主宰で中堅女優の大石巴であった。

「いつからなの?」

とえんじ色のワンピースに包まれたがっちりむっちりした背中を向けたまま巴社長は尋ねた。

「半年くらい前から。最初は朝起きるのがしんどいなあとか、そういうことが続いて。でもいちいち口に出すことじゃないし
岡崎さんに愚痴ったら『あなたたちは露出している内が華なんだから』と逆にやり込められそうだし」

3年前に謙太郎と汀にやり手の女性マネージャー岡崎さんが担当に付いてから、ばんっばん仕事が来るようになった。

ネタ番組が減ったからバラエティのひな壇トーク。食レポ旅レポ。来る仕事はあまり拒まずやった。

クイズ番組では謙太郎は「けっこう勉強ができる芸人」とほんのひと時話題になった。

心霊スポット取材の後、10日間謎の肩凝りに悩まされた事もある。

でも、俺が本当にやりたいのは何だった?

「俳優志望だったのはわかっている。売れてからやりたいことやればいいじゃない」

と言われるのはこの業界の常。

分かっている。どの業界だって売りたい人間は売るためにおためごかしを言うのだと。

小5の時

クラスメイトの汀くんは休み時間にドッヂボールにも参加せず教室の隅で自由帳にネタを書いていた。

はじめはすかしてやがるな、こいつ。と奴から自由帳を取り上げてからかうつもりであった。

2B鉛筆で書かれたコントネタを読んで

「おもしれーな、これ!」と思わず叫んでいなかったらコンビ結成どころか、汀くんをいじめのターゲットにしていたかもしれない。

「実は…謙太郎くんをモデルに書いたんだ。一緒にコンビやらない?」と汀くんは自由帳を後生大事に抱きしめて言った。

それから放課後はネタ合わせの時間となり休み時間の教壇は俺達のステージになった。

16年間、俺は相方の当て書きの役を演じてきた俳優の、つもりだった。

でもそれが勘違いだと気づいたのは

俺が実家の寿司屋で仕込みの手伝いをしていた時だった。

大御所芸人の藤迫悦郎がファッション誌の編集者や無名のモデルなどの若い取り巻きを10人ほど連れて入って来た。

今まで何度か来店したらしく親父の対応は慣れたものだった。

「いつものお品ですね?」とお袋がアガリ(お茶)を出す。老コメディアンは小声でうん、とうなずいた。


「ちょっと待て。おまえ悦ちゃんに会ったのか?どうして僕に言わなかった」と汀が話に割って入った。

「話したくなかったんだ」

子供の頃から大好きだった悦ちゃんには全然オーラが無くて、ただ若い衆たちにたかられているだけの生気の無い年寄りだった。

ブログではリア充な記事を更新してるのにさ。

なんだよ、やっぱり事務所スタッフに書かせている嘘かよ。

俺はこの人がかなり昔の雑誌のインタビューで言ってた「芸人はお客さんを笑わせてこそ。人生を笑われたらおしまいだよ」った言葉が好きで

それを励みに仕事こなしてたんだけど

今の悦ちゃんは

人生を笑われてブログネタにして日銭を稼いでいるじゃないか。

悦ちゃんだけじゃない

俺たち若手芸人だって自作ネタよりプライベートの失態や毒舌炎上ネタの方がマスコミの食いつきがいいからそれを利用して芸能界にぶら下がってるじゃないか。

「藤迫さんの今の取り巻きは、よくないねぇ…」と親父が暖簾をしまいながら呟いてた。

芸人たちや業界人たちが笑われた方が手っ取り早くカネになる事に飛びついてしまったのか

それとも笑う人びとが

嘲笑って溜飲を下げる人々に変わっていってしまったのか

そう時代が変わってしまったのか


何をやっているんだ?俺は


と失望と共に自分に問いかけた3か月前の夜から少しずつ、俺の味覚は鈍くなっていった。

「寿司職人にとって味覚は命です。芸人で無くなることより料理人で無くなることの方が俺には恐い。それが、俺が出した結論です」

「病院に行こう」

汀は謙太郎のジーンズの膝を掴んだ。

そういえば謙太郎は食レポの時にわざと味の濃いものを選んで食ってコメントしてなかったか?

元々表情を出さない相方だったけど、喜怒哀楽を出す気力も無くなっていったんじゃないのか。

そうした相方の変化に気づかなかった自分って…

「勿体無い!今休業とか解散とかになったら業界はすぐ忘れ去るのよっ」

と岡崎マネージャーがソファから立ち上がって叫んだ。

この35歳になるシングルマザーのマネージャーはコンビにハッパをかけるつもりだったのだろう。

「あなたたちは将来MCになれる才覚だってあるのに…」

「いや自分らMCになるつもりないし」

謙太郎と汀は同時に右手をひらひらさせた。はあ?と岡崎マネージャーは毒気を抜かれた顔をした。
ゆとり世代ならぬさとり世代芸人ってこんなものか?

「そこまでにしときなさいよ岡ちゃーん」

3本目の煙草を持っていた灰皿できゅっと揉み消して巴社長がやっとこっちを振り返った。

つけまつ毛を2枚貼り重ねた濃いアイメイクに、カメリアレッドの口紅と58才の女性にしては派手すぎる化粧。

巴社長の職業が女優でなかったら地方都市のスナックのママさんにしか見えない。

何売れかけてんのに逃げようとすんのよ!

と叱責を喰らうと思って謙太郎と汀は首をすくめた、が、社長は厚化粧の下で慈母のほほ笑みを浮かべて「今すぐ休みなさい」と言った。

「病院はあたしが紹介するし、後々の仕事の埋め合わせも何とかするから」


「検査結果、脳神経系には異常なし。やっぱり鬱病だったかあ」

いくつかの検査を受けて最後心療内科のドクターから「それ、鬱ですね。あなた今まで忙し過ぎたの」とあっさり診断された謙太郎は思ったより少なく出された薬を袋を開けて確認していた。

「少しづつ味覚が戻ればいいな」

相方の汀は内心かなりショックを受けていた。今の言葉もこいつの慰めになっているのだろうか…

「マスコミにも事務所の公式ブログにも『家業を継ぐ事に専念します』って発表するから」

と岡崎さんが車のハンドルを指先でとんとん、と神経質に叩いて言った。

今の彼女の頭の中は謙太郎が抜けた後のスケジュール調整で一杯なのだろう。

「さっきの病院は芸能人御用達で口も堅い。名前は言えないけど大物クラスの俳優やモデルも通ってる」

「え?」汀は後部座席から身を乗り出して岡崎さんの話を聞いた。

「アルコール、薬物、ギャンブル、性的な依存、いろいろよ。大手事務所は火消しに大変だと思うよ」

そういえばスタンダップコメディなどの喜劇で成功したハリウッドセレブたちも実は深刻な心の病を抱えていた、って話よくあるな。

表参道で渋滞にひっかかり、車はのろのろと前身していた。後部座席左側にもたれていた謙太郎は雨粒がついた車窓を開けた。

晒されて、笑われて名声を得る道化の心の中は、案外地獄なのかもな。

薄鼠色に曇った空の下、前後左右の運転手の苛立ちを肌に感じながら謙太郎は思った。


面白うて やがて哀しき道化かな


後記
調剤薬局の待合で三年ぶりに見たテレビのワイド番組の芸人さんたちに抱いた印象、

老けたな、やつれたな。そして笑わせるパワーが無くなってしまったな。


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