電波戦隊スイハンジャー#15

第二章・蟻と水滴、ブルー勝沼の憂鬱

水を司る者

勝沼生命化学研究所主任の西園寺真理子は、実験データが書き込まれた分厚いファイルを手に上司で研究所長である勝沼悟の所へ歩いていた。


午後3時に悟が居る場所といえばひとつである。


本社ビルに隣接するガラスの温室。


その中央には、樹齢150年という驚異的な長寿を誇る葡萄樹が淡いグリーンの実をつけて、葡萄棚にもたれるように長い蔓を伸ばして鎮座している。


この樹から勝沼酒造の最初のワインが生まれ、勝沼家と西園寺家に繁栄をもたらしたのだよ。

と亡き父から、亡き祖父から、そして社長秘書として今も活躍する母から聞かされ続けていた。


温室のガラス越しから覗く梅雨の空はどんより灰色で今も泣きそうである。


残念、この樹はお日様の光に照らされてこそ美しいのに…真理子は立ち止まって、思った。


その葡萄樹の根本に古ぼけた厨子ずしがある。


ポール・スミスのシャツの上に白衣を引っ掛けて、長身を折り曲げた悟がそこにうずくまっていた。


拝んでいる訳ではない。いつもの如く、地面の蟻を観察しているのだ。


社内ではいつも憮然とした表情をして、「優秀だが気難しいご子息」と評判の彼がこの時だけは和やかな顔をしている。


この方、こうしてればなかなかの美男子なのに…


「あの…所長」


ためらいがちに真理子は悟に声を掛けた。


およそひとつき前、


「とある事情」で開かれた『勝沼家緊急家族会議』で悟への想いをどさくさに打ち明けてしまってから、


悟の真理子への態度は、実にぎくしゃくしたものになってしまった。


仕事上の会話はなんとか成立している。が、まともに真理子の目を見れなくなってしまった。


悟は真理子が傍に寄ると緊張で震えて実験用のシャーレを割りまくり、

「所長、しばらくラボに入らないで下さい!!」と副所長に釘を刺されるていたらくである。


まさか、自分が8歳の頃


「わたしサトルさまのお嫁さんになりたーい」

と無邪気に母に告げていた事を、母君枝は真に受けてしまっていただなんて…


秘書の報告を受けた悟の父である社長も、


「なるほど、勝沼家と西園寺家は長い付き合いだけど、縁組は無かった。

合併目当てによその旧財閥系のお嬢さんを嫁にもらうよりもいい話なのかもしれない」

とかなりえげつない本音を洩らすついでにあっさり婚約を承諾していただなんて…


一番驚くのは、8歳の頃から初恋を貫き通している自分にである。


どうも勝沼家と西園寺家の人間は、思い込みの激しい性分かもしれない。


でも思い込みが強くなければ、創業したワイン屋を150年かけて国内No.1のトップメーカーに育てる事もなかったであろう。


穏やかな顔のまま悟は顔を上げた。


「…見てください。蟻が水を飲んでいます」


真理子も悟を真似て、彼のそばにしゃがみこんだ。


厨子の中には、小さな薬師如来の木像が葡萄の房を持ってにこやかに座っていた。その手前には夫婦揃った道祖神の石像がある。


この厨子は、創業者である勝沼家の4代前の先祖が造ったものだと聞かされている。


今なら分かる。この薬師如来にも、小さな夫婦にも、先祖は信仰していただけではなく実際に会っていたのだ!!


厨子には毎朝花と水が供えられていて、水の入った小さなお茶碗のあたりを指して悟は言ったのだ。


なるほど、お茶碗の縁には黒い小さな蟻が3、4匹、水を求めるように群がっている。


こうしていると子供の頃にかえったみたい…悟のうなじから石鹸のいい匂いがした。


昼休みに社屋ジムで体を鍛えてからシャワーを浴びてきたのだろう。


真理子が彼を好きな理由は、恐くない男性というか…


そばに居ると、一番落ち着く男性だからだ。


学生時代、真理子に言い寄る男も何人かいたが、いずれも「私、好きな人がいますので」と突っぱねてきた。


この方は、私をどう思っているのだろうか?


というか、最近の彼の行動を見てると、信じられない話だが「異性や恋」に関心を持たずに今まで来たのか…


でも、ここまで近距離に寄せてくれるのは憎からず思ってるからよね?


それとも、子供の頃からの「慣れ」かしら?


「小さな神様」の片割れ、松五郎とメール交換してから、毎朝一通、励ましなのか小噺なのか分からないメールが彼から来るようになった。


しかし今日のメールは、返信に困るものであった。


「憎からずは好きのうち。さっさと押し倒せ。よいやさ」


一応「体格差で押し倒せそうにありません(困)」

と返信しといたが。


私、一番アテにならない相手に恋愛相談してるのかも…でも他にいないし…


いつもは悟が独り言めいた話を始めて、真理子が黙って聞いているパターンだが、自然に真理子から言葉が出た。


「先程会長のお見舞いに行かれたのでしょう、お加減いかがでしたか?」


「うん、お祖父様すこぶる元気が良かったよ。とても転移性の膵臓がんとは思えないよ。主治医も『信じられない』と言っている」


「勝沼記念病院の赤羽先生の口から『信じられない』ですか?先生はがん治療の世界的権威ですよね?」


病院スタッフは知らないが、先月勝沼邸に住み着いたインド系少年、ルリオが悟の祖父に自作の薬を処方しているのだ。


薬の力か当人の気力か、勝沼酒造会長はすっかりベッドから起き上がれるようになり、趣味のテニスをこっそり楽しんでいるらしい。


まあ、ルリオの正体「薬師如来」の作った薬ならデータ不能の薬効があるのかもしれない…


「我が家のカネと力にあかせて集めた優秀なスタッフと、最新設備です。そのおかげもあるでしょう」


悟は皮肉めいた笑みを浮かべた。


そうなのだ、この人は「勝沼のぼんち」に生まれたご自分の立場に、将来は本社「勝沼酒店」か系列会社「勝沼フーズ」か「勝沼ホールディングス」を継がなきゃならないご自分の運命にいつも憮然としていらっしゃるのだ。


「それより、お祖父様からシフォンケーキをいただきました。一緒に…食べませんか?」


デッキテーブルの彼女のために用意されたティーセットに、真理子は初めて気付いた。


悟は、体力を使うことと音楽以外は「何でも出来る」青年だった。

料理も専属の料理人仕込みで何でも作れるし、とりわけドリンク類にかけてはどの店のバーテンやバリスタよりも美味しく作れる。と思うのは真理子の贔屓目だろうか?


「オレンジ・ペコーです。真理子くん、好きだったよね?」


ミモザが描かれた白いティーカップに、薄い琥珀色の液体が注がれる。


ミモザは真理子の好きな花であるが、それを悟が知っていたなんて…それに1週間ぶりに会う悟が、自分を前に「まったく緊張していない」ことに真理子は驚いていた。何かあったのだろうか?


「ところで、『パレートの法則』を君は知っていますか?」


太らない体質なのをいいことに、悟はシフォンケーキにたっぷり生クリームを付けて子供っぽくほおばりながら言った。


「経済用語ですわね。『売上の8割は、全顧客の2割が生み出している』…別名『働きアリの法則』…あ」


「うん、2対6対2の法則とも言うよね。100匹の蟻を観察すると、よく働く蟻が20匹、普通の蟻が60匹、働かない蟻が20匹である


…会社組織に当てはめて語られる事もあるよね?まあ、うちで調査してみたいところだが、父さんに止められるのが目に見えている」


真理子は紅茶をひとくち飲んで、本当に美味しい、と思った。


「ところが、ある大学の実験で怠け蟻を減らしてみたんだ。どうなったと思う?」


「私は生物学者ですよ。知ってます。残りの普通の蟻が、怠け蟻になって労働効率変わらなかったんでしょ?」


「そう、リストラしても、労働効率が上がらなかった。どこかのリストカッターな某企業に当てはまって実に面白いじゃないか」


「怠け蟻も、集団の中では必要だったって事でしょうか?」


「身内に頼りないのがいたら、『あ、自分頑張んなきゃな…』と思う心理が働き蟻と普通蟻を発奮させるんじゃないか?という結論だったがね…


大きな会社では許容範囲だが、いまの中小企業では、少しのロスが致命的なんだよ。どこも自転車操業だからね…そして、蟻ならぬ、肉食のスズメバチみたいな悪意を持った敵が内部にいたらひとたまりもない」


ケーキを紅茶で流し込んで、もう一杯自分のカップに注ぐと、悟は据わった目で紅茶の表面を見つめた。


「悪意…横領などの裏切り行為でしょうか?つい数日前、墨田の町工場で『不思議な事件』がありましたわね…」


その『事件』には、悟が深く関わっているんじゃないか?と真理子はネットの『都市伝説サイト』を見た時から疑っていた。


「白状します。僕たちの仕業です」


カップの水面を見つめたまま、悟はうなずいた。


やっぱり…真理子はため息をついた。


「あのう…サトルさん、所長がなさることには意見しませんが、松五郎さん達はあなた方に『何』をさせたいのでしょうか?」


かたかたかたかた…


悟のカップの中の、薄い琥珀色の液体が左右に大きく揺れた。


当然、地震など起こっていない。


真理子は驚愕して、次の言葉が出なかった。


悟の紅茶が30センチ程宙に浮き上がり、球体になって真理子の眼前に迫ってきたのだ。


紅茶球は、再び悟のカップの上で静止し、ぱしゃっ!!と音をたてて白く薄い陶器の中に落ち込んだ。


思わず真理子はのけ反った。


「サ、サトルさん…」


「おかげで僕は、『水を操る力』を水神から授かった…エレメントは、『水』。お話しましょうか?」


真理子は心の準備をしてから、無言でうなずいた…


約ひと月ぶりに会う牡蠣助の格好は、上下黒のレザーのツナギにレイバンのサングラス。『網浜一家』とペイントされた黒ヘルメット。


…なんというか、ハーレーにでもまたがりそうな格好であった。


「(((^^;)(^-^ゞ(*^-^*)!!」


「今は兄さんへの的確な治療と活躍が認められて、網浜の姐さんの所で若頭見習いをしてやす!!しかし、なんであっしを一目で分かったんで?」


通訳した正嗣は、琢磨の怒りの波動を読み取って、ちらっと牡蠣助を睨む琢磨の方を見た。


ゴゴゴゴコゴゴ…


うわぁ、変なスタンド出そうなくらい、怒ってる、怒ってる…琢磨に施した治療って、ひどい荒療治だったのだろう。


琢磨は旧知の小人の体をむん!!と掴むとぎりぎり!と力をこめ始めた。


「『匂い』で分かるよ…僕に極度の苦痛を与えた相手のはね…さあ、何が出るかな?何が出るかな?…」


琢磨が凶悪な薄笑いを浮かべて、愉しげに唄った。


「(゜ロ゜;(;´д`)(/\)(/\)」


「えぇっ!?お、おたすけおたすけおたすけおたすけ~っ!!」


「やめな」


投網子が指先から何かを放つと、琢磨の右手の甲に当たった。モデルガンで撃たれたような鋭い痛みである。


「痛っ…!」琢磨は痛みより、驚きで手を開いた。牡蠣助の小さな体がカウンターの上にぼてっと落ちる。


琢磨が手の甲を見るとが水で濡れている。何だ?今の技は。


「ちょっと、水滴を放たせていただきやした。可愛い部下がリアルに絞られるのはいたたまれないんで…」


「(;´д`)(/\)m__)m」


「すいやせん、すいやせん、黄色い兄さん!!いずれちゃんとした師匠に付いて、医術を身に付けやすんで!…あのー、そろそろ通訳、疲れました…って、えっ?外科医のアテあるの?」


「(*^-^*)(募集中です!!)」


「まさか人間の医者?無理だろ?」


正嗣と牡蠣助の会話をちらっと横目で見て、投網子が説明した。


「牡蠣助は『あまくん4兄弟』の中でも、

気が利いて、口も固くてねえ、あたしの側近見習いに付けやした」


「いやいや、口が固いじゃなく、コミュニケーションが成り立たねえべ!!そして琢磨おめえ、やりすぎ!ダークサイド見ちまったべ」


隆文が咳き込んでいる牡蠣助の背中を人差し指で撫でてやった。


「すいません、あの夜のトラウマ思い出してつい…しかし、さっきの力は何ですか?けっこう痛かったです」


投網子は琢磨の方を見ずに、カウンターの奥で眠そうな顔をして眼鏡を磨いて座っている悟の方に向き直った。


「あたしが用事があるのは、そちらのノッポの青い兄さんで」


「僕かい?話には聞いたけど、天草の海の精霊が何を?」


投網子は、店内に5人以外いない事を確認してから口を開いた。


「まず、自己紹介パターン2をさせて下さいよ。あたしは天草に拠点を置いてますが、この季節になると梅雨前線に乗って、あちこちに雨を降らせるお役目がありやす。作物を育てる為にです」


「雨を司る者?あなたは…雨童子(アメワラシ)?」


正嗣が豊富な知識が、昔より伝わる妖怪の名前を言った。


「妖怪は1ランク下なんですけどねえ…これでも水神のつもりでんすよ」


八百万やおよろずの神の一柱か!」


正嗣が彼女を指差し、身震いした。道理で木霊たちの中で彼女だけ顔が違うはずだ。


「ひとはしらって、なんですかあ?イケニエのことお?」


きららがのんびりした口調でエグい事を言った。


「きららさん、日本の神様は、何人、ではなく何柱、で数えるんですよ…すごいな、松五郎より格上じゃないか…」


やっぱり自分たちをヒーロー戦隊に仕立て上げたのは、八百万の神々が動いてるのだ。


この国に、世界に一体、何が起こっているのだ!?


正嗣の不安を無視して投網子は戸惑う悟に向けて、小さな両手のひらを蓮の花のように広げてみせた。高さ2センチくらいの青いしずくがその中に現れた。


見た目はしずく型のサファイア。周りは黄金色の光が包んでいる。


しずくはゆっくりと、のけ反る悟の眼前を下がり、彼の胸の中央で静止すると、衣服を、皮膚を、胸骨を突き抜けて胸の奥に収まった。痛みはなく、温かいものが胸に宿った感じであった。


「エレメント・水。水を操る力を、ササニシキブルー、勝沼悟に授けます」


投網子は厳かに宣言した。


「…んー、何とも感じないなあ…こんなものかい?」何の感慨もなく立ち上がった悟は首をひねった。ついでに眠くてあくびも出た。


「勝沼さん、おめえさん、少しは感動しろよ!『魔法』授かったんだぞ」


「ドラ○エみたいに効果音も聞こえないしなあ…で、水神さま、僕は何が出来るの?」 


「水や液体を、イメージしただけで自在に操れますよ。試しにさっきあたしがしたように、水滴飛ばしてみなさい」


やってみる、と悟がガラスのコップに入ったウイスキーの表面に人差し指をかざした。


かたかたかた…とウイスキーが細かく揺れ、他のメンバーが息を呑んだ。




悟がむん、指を上げると同時に、直径3センチ程のウイスキーの球体が浮かび上がった。そして…


「えい、みずでっぽう」


と言って隆文の額めがけて思い切り球体をぶつけた。隆文にとっては、人生で一番痛いデコピンである。


球体は、隆文の額の上で砕け散った。


「お見事!」


投網子が拍手を贈った。


「初めてでもこんなにうまくはいかないもんですよ…練習すれば、もっと大きな水を自在に動かせます」


「大きなって、どれくらい?」


デコピンに成功した悟は満足げな笑顔を浮かべた。


「そうですねえ、那智の滝ぐらい」


「ええっ!?す、すごいなあ…」


「こらあっ!!勝沼さんは、いちいちおらに含む事でもあるべかあっ?」


「いえ、あなたの休日の過ごし方が少し『|爛(ただ)れている』ように見えたので、冷やしておきました…」


悟はかっこつけて自分の前髪をいじった。


「彼女なしのヒガミだべ!!」


「ちょっと、二人とも話を元に戻しましょうか!?」


小学生男子のようにやりあう二人の間に、正嗣が割って入った。


「それと、さっき出てった奥さんには手下の木霊を見張りに付けました。社長さんが妙な動きした瞬間、知らせが来る筈です」


網浜の投網子は、日本各地に独自の木霊のネットワークを持っている。


「ぬ、ぬかりねえなあ…」


「とりあえず、各自帰って寝ようじゃないか。明日その会社を訪ねてみようよ…」


時間は午前1時を過ぎている…


「明日10時、カジュアルな格好で集合」


「グラン・クリュ」マスター、勝沼悟は、もうひとつ大きなあくびをした。


強大にすぎる力を授けられた事を知らず、呑気なお坊ちゃんである。



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