電波戦隊スイハンジャー#174 役白専女4
第9章 魔性、イエロー琢磨のツインソウル
役白専女4
目の前で差し出されるのは
指環をはめた手、ふくよかな手、痩せて筋張った手、そして、
全てを掴もうとするかのような大きな手。
世界的指揮者クラウス・フォン・ミュラーは50年近いの音楽人生の中で一体何万人もの人々と握手してきただろう?
と振り返る。
名も知れぬ聴衆8割、世に知られた何者かである有名人。芸能人、富豪、王族、政治家等が2割。
その中で
こいつ本当に人間かいな?
と彼をたじろがせたのはただ一人。
「やあマエストロ、私は君の一番のファンただよ」
と握手する度に蕩けるようなバリトンボイスで語りかける彼の名は、
「蔡玄淵、シンガポールの富豪や。30年前からわしの公演に来てくれてる有力なパトロンのひとりや」
と、年は50を越えている筈だが黒々とした髪に形のいい眉。中国系にしては彫りの深い顔立ちに活力漲るきびきびとした動作を思い出し…
わしはなぜかいつも、好感よりも警戒を覚え、包み込まれるようにやさしく握手をされた後に必ず手を洗っていた。
やっぱりわしの勘に間違いは無かったんや。
とソファの隣で都城琢磨が
「あ、蔡一族ですか?
こいつら解りやすく財閥の皮被ったマフィアですよ。
クスリはもちろん、臓器売買、カジノ、高級娼婦を使った売春…まあ言ってみればアジアの闇です。
こないだの合成麻薬ニンフルサグ事件の首謀者、柳被告の国外逃亡を手助けしていたのも彼らです」
とノートパソコンを開いて得意のハッキングで蔡一族関連企業のサイトに侵入して説明するのを聞いてミュラーは、
つまり、玄淵が我が養女クリスタの実父で葉子の祖父で、
8月8日のあの夜、葉子に取りついて戯れに襲ってきた怨霊だったんかい。と理解し、
「吐き気がする」
と喉元にむず痒さを感じて言い棄てた。
ミュラーの言葉を真に受けた聡介は黒丸サングラスの形をした総合医療検査器具で老人をスキャンし、
「脳圧眼圧血圧は正常値だぜ」と診断すると「ジュニア、ジュニア」とミュラーは肩をすくめて笑った。
「おまえのド天然はほんま祥次郎ゆずりやな…」
いや、笑ってないと沈み込む気持ちを止められないのだ。
「蔡玄淵。1941年中国生まれ。文革後にシンガポールに渡って手段を選ばず富を築いたようですが、本名も経歴も全て謎。
でも東南アジアを束ねる権力そのもの…と。娘の紫芳が出てきたからには玄淵がプラトンの嘆きの『マスター』で間違い無しですね」
と琢磨はぱたん!と音をたててノートPCを閉じ、いっただきまーす。と来客用に出されたカステラを頬張った。琢磨は25才ながら十代に間違われる位の童顔で、彼がカステラにぱくつくその様は、部活帰りの高校生さながらであった。
「じゃあ何さ、アタシゃそんな謎めいた金持ちの娘の紫芳とチャリティイベントで握手して、その三時間後に同じ相手にぶっ殺されそうになったってーわけ?
あの慈善家のチェリスト、蔡紫芳がプラトンの嘆きのNo.2『プライム』ってわけ?」
と、ミュラーの向かいのソファに寝そべって聡介の診察を受けているのは変身解除した紺野蓮太郎。
「ちっくしょ~エセ慈善家セレブめ…何の悪さした覚えも無いのに!」
観音族に命を狙われ、咄嗟の機転でわざと観光客の多い上賀茂神社方面を走り回って紫芳の追撃を逃れたのだった。
「握手したからよ」
と破損したピンクのパワースーツを解析していたツクヨミが答えた。
全ての物質を素粒子に還元する破壊力を持つ恐るべき攻撃、
「絶対滅」を受けて無傷で逃げきれたのは、ひとえにツクヨミが開発したパワースーツのお陰だった。
「カメラの前で握手して紫芳は蓮ちゃんが戦隊のピンクだと接触テレパスで気付き、蓮ちゃんはバングルの危険人物感知機能で紫芳が敵だと知った…
闘いの火蓋が切って落とされる。それは偶発的に起こるものよ」
ふうむ、とツクヨミがピンクバタフライスーツの破損状況を確かめるなり、
「蓮ちゃん、あんたスーツ直るまで戦線離脱ね」
と宣言した。え~?と残念そうに肩を落とす蓮太郎に、
「あんた大田神社の一件で結社に完全マークされちゃったから。
蓮ちゃんあんた…ピン(1人)で超危険な観音族に相対して蓬莱ちゃんを守ってここまで逃げきったのよ、よく善戦したわ、誉めて遣わす。
あんたは戦いの事忘れて白拍子花子に集中する。解った?」
あっそうだ。アタシの人生の大舞台、娘道明寺まであと半月しかないんだった。
「そうね、舞台の上での戦いに集中するわ…それに」
蓮太郎はあの杜若の池で自分を狙い撃つ紫芳の嗜虐的な嗤いを思い出し、
「私の中の花子がこれで完成しそう、だって、ほんものの『魔性』に出会っちまったからね」
と女かと見まがうような美しい面に
お父ちゃまから家元の座をもぎ取ってやる。
という野心に満ちた笑みを浮かべて見せた。
「ここからは聖域だ」
と六人部菅生が持っていた松明を小角に渡し、
「…魔王に喰われちまっても知らないぞ。本当に行くのか?」
と菅生は長年の友がここ鞍馬山の奥の聖域に踏み込もうとするのを腕を掴んで止めようとするも、小角は優しく笑ってそれを振り払う。
「いいんだ、俺は俺の目的があって会いに行くんだから」
さて、ここからは人ひとり通れるほどのけもの道。
「案内感謝する。俺なんかの帰りを待たなくていいぞ」
と菅生の肩を抱くと、小角は前方の闇に向かって松明を掲げた。
山道は細く険しく、方々から狼の鳴き声がする。それに、奇妙にねじくれた木の枝が前方を塞ぎ、何度も体を屈めてくぐらないといけない難路である。
常人なら怯えて引き返す祠への道を、菅生から教えて貰った鞍馬の掟の通り、
草木一つ傷つけてはならない。
一瞬でも怯んではならない。
後ろを振り返ってはならない。
さすれば遥か古からこの山に棲む魔王に食い殺される…。と心を完全に「空」にして奥へ奥へと突き進むと、急に平地が開け、松明の明かりの奥に古びた祠が見えた。
あれだ!逸る気持ちを抑えて小角は祠に入り、蜘蛛の巣が張る室内を照らした。
と、そこには…巨大な黒いの羽根の塊のようなものが天井に逆さ吊りになってわずかに羽根が開き、間から紅く輝く眼が小角を捕らえた。
(…我の眠りを妨げるものはお前か?)
「俺の名は、役小角。ヤマト以前の王、ニギハヤヒの末裔なり。今宵は魔王どのに願いがあって来た」
ニギハヤヒ…と魔王は咀嚼するようにその名を呟き、
(遠い昔、この星の外から来た高天原族に戦で負け従属を強いられた誇り高き一族ぞ。まだ末裔が生き残ってたとはな!)
と感動して声をあげると真っ黒な羽根を全開にして屋根から飛び降り、小角の前にすとんと着地したのは黒い髪に黒い眼をした年の頃まだ15、6の少年であった。
「俺の母が作った雉の燻し焼きだ」
と小角が持ってきた朴葉の包みを羽根の生えた少年に渡すともう待ちきれないといわんばかりにそれを開き、黒い爪の生えた手で雉肉の燻製を掴むと、
「このような馳走は何十年ぶりか…うまい、うまいぞ!」
と噛んで味わいながら鞍馬山の主は馳走を食べ終えた。
「…さて、馳走と引き換えだ。願い事をひとつだけ叶えてやる。お主、何が望みだ?」
と少年は脂のついた指をしゃぶりながら問うた。
このような人外が棲む異界まで来てくれ、馳走をくれた人間の願い事を一つ叶えてやるのが魔王と人との決まり事であった。
「俺を不老不死の体にしてくれ」
少年は何もかも見透かしているくせに敢えて尋ねた。
「相当の覚悟があっての事だな。訳を聞かせてもらえまいか?」
天智天皇元年(662)年、このとき小角36才。ツクヨミ来訪から既に10年が経っていた。
「どうしても会いたいひとがいる」
と語り始めた。
それは長女の比奈が15で婿を取り、結婚の祝いの宴の最中に起こった出来事。
花嫁になった比奈は同い年の婿の前で少しはにかみ、賀茂一族から来た婿である少年は微笑んで比奈に寄り添っていた。
役一族の人々は年寄りから子供に至るまで焚き火を囲んで皆歌い踊り、
これで一族も跡取りが出来ましたぞ、良かったですねえ、白専女さま。
とすっかり老いた翁が小角の母、白専女に涙目で語りかけると、
「ああ、そうだね。ここまで来れたのはウズメさんのおかげだよ」
とことし54才になった白専女は息子の嫁に最大限の感謝の意を述べると、出会った頃と全く変わらない若々しいウズメは、
「いいえ、渡来人である私を受け入れて下さった小角さまと役一族の方々のおかげで私は人生で初めて幸せを見つけました」
というウズメの言葉を聞いた一族の人々は、
夜が明けたらまた戦の地獄がはじまり、兵として駆り出される若者もいる中でせめてこの時だけは、と幸せに浸るのであった。
小角の友で今は朝臣の小野毛野から
「唐が新羅に冊封(異国間の従属的関係)を迫っている。
反対していた百済は滅ぼされ、朝廷は逃げてきた百済からの渡来人を保護しているが…それが戦の元になるだろう。お前らの一族からも兵が駆り出されるだろう」
という政治状況を聞かされ、
この国をまとめるために従わない豪族を力で制圧し、逆らうものは従弟の有間皇子でさえも殺した。
やり方は何もかも強引なのだけれど、俺と同い年の天智天皇の周辺諸国を見た予測は今の情勢からして、的中していたのだ。
唐からの冊封要求を拒み続けて程よく周辺諸国と付き合ってきたこの国にも、逃げられない時が来たということか…
「やれ御偉方は百済を復興させるといきまいていなさるが、甘いね。
どうせ百済は地続きの大国に助けを求め、
所詮海を隔てた小国でしかない日の本など、
裏切るに決まっているだろうが…
危機に瀕した奴らというものは自分可愛さにどんなことでもするからな。ところで」
「何だよ毛野」
と灯火を挟んで真夜中の寺の中で小角と毛野は見つめあった。
「お前の次女の比留女どのを我が息子の嫁にくれないか?」
「命の危険には晒さない。幸せにする。と約束するなら」
「それは保証する。この毛野、生涯比留女どのを宝物として扱う覚悟だ」
頼む!と自分よりはるかに身分は上の毛野に土下座されて小角はこの場で承諾したかったが、
「まずは妻に相談してからだ」とこの縁談を一旦は引き取った。
小野氏の男が後に「猿女」と呼ばれるウズメと猿田彦の娘たちと積極的に婚姻したのは、彼女らの異能の力と、高天原族の強い生命力を欲したからかもしれない。
やがて宴も酣、という時に異変は起こった。
突然、目も眩むような光に村中が包まれたのだ。
敵襲か!?と腕で眼を隠しながら男たちは身を構えたがすぐに発光は収縮し、光が小角の家から発せられている事にウズメは気付いた。
ああ、幸せの絶頂でこの光が来るなんて…ウズメは自分の意思ではない力に動かされて走り出して家の奥に大事に保管していた革の袋から平べったい餅の形状をした輝く鏡を手に取った。
それは小角がツクヨミ王子から聞かされていた別れの合図。
ウズメは亡きイザナミ王妃の変わりとして生まれさせられ、
イザナキ大王の細胞から生まれた三人の王位後継者、ヒルメ、ユミヒコ、オトヒコ
(成人してアマテラス、ツクヨミ、スサノオと改名)
の母がわりとなり、次期王位に就いた天照女王を永久にお支え続ける宿命の女だから、どんなに愛しても生涯添い遂げられない。
「いい?幸せは長くは続かないと覚悟すること。鏡が光るまではウズメと一緒にいられる…」
とツクヨミ王子は最後に小角と子供たちに憐れみの眼差しを送り、円盤に乗って去って行った。
鏡が光るのは、この星の自然の理にご自分のお体を合わせて人と同じ寿命を生きては死にを繰り返し、自己転生を繰り返す天照女王さまの転生の合図。
私はこの国の何処かで幼児の姿でいらっしゃる天照さまをお探しせねばはらない…
こうして御鏡を掲げている間にも愛する家族と過ごした日々が記憶から消えていく…せめて今の内に。
家から出たウズメは初めてこの村に来た時と同じ白い頭巾で顔を隠し大きな革袋を背負い、光る鏡を胸元に抱きながら宴の輪の中に入り、
「さようなら、役一族。小角さま、比奈、比留女、宇奈利、そしてお母様…私は行かないと」
と優雅な動作で一礼すると足早に村から去って行き、その姿たちまち夜の闇に消えた。
母様ぁ…!という比奈の叫びが虚しく母を追ったが無駄だった。
「よりによって高天原族王宮女官長ウズメと結ばれていたとはね…訳は解った。その願い叶えてやろうじゃないか」
「魔王、おまえの本当の名は?」
「燭天使ルシフェル。訳あって弟のミカエルにこの山に幽閉されている。我を魔と呼ぶのはやめてほしいな」
とルシフェルは立ち上がり、黒い翼を広げた…
後記
明かされるラスボスの名。
堕天使ルシフェルと小角との邂逅。
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