電波戦隊スイハンジャー#158 龍神様と私5
第8章 Overjoyed、榎本葉子の旋律
龍神様と私5
藤崎家の一階の居間のテレビの上の壁には、お兄ちゃんが「水平線」と題名を付けて掛けた、青い横線を引いただけの白いカンバスがある。
「ただの一本線じゃないの!」
と「水平線」をお兄ちゃんが掛けた時に素直な感想を言ったのは夏休みの終わり直前。
その数時間後にお兄ちゃんは、「下宿先」である菊池のお寺に、お母さんの運転する車に乗って行ってしまった…
2か月経った今ではこの絵を少しでもほめておけば良かったかな、と藤崎愛恵《ふじさきまなえ》は少し後悔している。
だって、お兄ちゃんとあまり会えなくなってしまったんだもの。
藤崎愛恵の両親は、夏休み前に離婚した。
そのため愛恵も菊池から熊本市内の小学校に転校したのだった。
原因は、お父さんが浮気をし過ぎたからだ。
やっぱりそうだったんだ…4年生の冬休みにお父さんが知らない女の人と車に乗ってたのを愛恵は目撃していた。
その少し前から、愛恵はクラスメイトから少しずつ、無視をされるようになっていた。
私は悪い事してないよね?愛恵は学校から帰るとまず、登校して六時限目が終わるまでの自分の言動を振り返った。
そして、うん、いけない事してない。とうなずき、宿題を済ませておやつを食べて通信教育の課題を済ませると、図書館で借りた「まんが日本の歴史」や動植物図鑑を読んで夕食に呼ばれるまで自室で過ごす。
以前はバドミントンが好きな小5の女の子だった愛恵は、こうして少しずつ内向的になっていった。
5年生に進級するとクラス替えがあり、無視する子たちと別れたから愛恵は少し気楽になった。
愛恵はまた友達とバドミントンをするようになった。
でも、知ってたんだ。真夜中になるとお父さんとお母さんが声をひそひそさせてケンカしているのを。
お兄ちゃんがわざとお父さんと顔を合わせないようにしていたのを。
「あのね」とバドミントン友達のアキちゃんが体育館横のポプラの木の下で、
「愛恵ちゃんが無視されてたのは、近藤院長先生が永森さんのお母さんとフリンしてたからだよ」
とこんなこと言っていいのかなあ…でも言わなきゃ!と何か決心をしたように声をこわばらせてた。
永森さんは4年生の時の学級委員長だった。家族旅行で学校を休んだ時にはよくノートを貸してくれた。
ああ、永森さんがクラスメイトの誰かに言ってしまい、いじめが始まったのかな。
と愛恵は幼いなりに「物事の因果」というものを考え始めていた。
「アキちゃんは私を無視する予定?」と普通に聞いたら「そんなことしないよ!」とアキちゃんが叫んだのでどうやら嘘ではないらしい。
だけど、あんた私を助けもしなかったよね?
とはその時言い返さなかった。言ったらまたいじめが始まるからだ。
夏休み前お父さんとお母さんから離婚するの、と告げられた時、愛恵は別に傷ついたとか、悲しいという気持ちは起こらなかった。
だけど隣に座るお兄ちゃんが、自分を守るように肩に手を置いてくれるのが頼もしかった。
ああ中三ってもうすぐ大人なんだなあ。と愛恵は改めて思ったのである。
だって最近、お兄ちゃんは彼女?というか好きな子が出来たみたいなんだもの!!
私知ってるんだ…お兄ちゃんがいつも鞄に入れている小さなスケッチブックに、同じ女の子の似顔絵が何枚も書かれているのを。
お兄ちゃんが居間のソファに鞄を置きっぱなしにしている時、たまたま口が開いてスケッチブックが落ちて、拾って見てしまったんだ。
灰色の髪と瞳をもつその女の子は、一体誰なんだろう?
藤崎光彦が、夏休み中に知り合った京都の中一の少女、野上奈緒から、
「今度の日曜、清水寺行かへん?葉子ちゃんと勲兄ちゃんのガイド付きで」
とlineが来たのが10月10日の放課後。クラスのいじめっ子だった安藤裕美たち3人の「謹慎」(別教室で授業を受けていた)が解け、安藤たちはおずおずと、体育祭を機にクラスに戻って来た。
先週の体育祭は大いに盛り上がった。部活動対抗リレーでは元ハンドボール部のエース、狩野ちゃんがユニフォーム姿で1位でゴールインし、
一体何年前から始まった行事なのか、教師たちがコスプレをしてグラウンドを練り歩く珍プログラムでは、
なんと3-1の深水先生が「あの世界的魔法小説のドS教師」のコスプレをして激似!コールを浴びていた。
担任教師、七城正嗣ことマサはジョニー・デップが演じたチョコレート工場の工場長のメイクの精度が高かったので、
アナウンスの学生が紹介するまでそれがマサとは気づかない程だった。
教師たちのメイク担当は美術の室先生《むろせんせい》だけど、マサのメイクだけ念入りだなあ、と思ったのは光彦だけではなかった。
「マサと室先生って、できてるとか付き合ってるとかいう感じじゃないけど、お似合いだとは思わない?」
とクラスのほとんどがテントの中で囁き合っていたのだ…
グラウンドでは国民的アニメの財布を忘れた主婦、サ〇エさんに扮した室先生が、こっちに向けて手を振っている。
マサと室先生、うん、悪くない。と家族でもないのに俺なにうなずいちゃってんの?
と中学生活最後の思い出になる1日は、少年少女たちの歓声の中、過ぎていった…
この日が終わったら、みなそれぞれの「道」に向かって受験勉強のために自分と向き合わなきゃいけない。
体育祭の代休の翌日に教室に入ると、クラスのほとんどの生徒が挨拶をすませるとすぐ、黙々と参考書に目を落とす。
大人になるってこういうことなんだなあ。
と光彦はおはよう、と言って自分の机に座り、1時限目数学の教科書とノートを学生鞄から出した。
こうして高校受験に向けてのラストスパートをかけ始めた時に、女の子と清水寺見学かあ…
いいよ。
とさりげない文面でlineを送ると、
じゃあ13日のお昼は?一緒にご飯食べてから坂を登ろう。
勲兄ちゃんがおごってくれるって。
と金髪男がウインクするスタンプを菜緒は送って来た。
実は…出会った時から野上菜緒が気になる。いや、気になるを通り越して、
これはもう初恋だよね!?
とマサか聡介に相談したかった。しかし、マサは恋愛に不得手そうだし、聡介は菜緒の叔父。相談するには恐ろしすぎる相手だった。
いや、これは…いやっほー!!誘われたぜ。とバンザイしたい気分なのだが。
さっきから文面に出てくる勲兄ちゃんって、誰だよ!?
野上菜緒、オマエの何なんだよ!?
となんか喉元からせり上げてくるむかむかを止められない光彦であった。
ま、いっか。と光彦は携帯を鞄にしまって稲刈りの始まった田んぼの中の道を、雑念を振り切るように自転車でさーっと走り抜けた。
元々「縁日」とは神仏がこの世と「縁」を持つ日とされている。
2013年6月15日、京都市左京区の百万遍知恩寺境内で二人の少女と、一人の京大生の若者が出会った。
それは、小粒の雨混じりのいたずらな風のせいで若者が配っていた「京都迷宮案内」と題された怪しげなビラが境内に舞い散ったのがきっかけだった。
丁度その時知恩寺で開催されていた「百万遍さんの手づくり市」で野上菜緒が古布のくるみボタンを手に取り、
「可愛い~、このボタン欲しい!な?」
とクラスメイトの榎本葉子の目の前に見せつける。
「買ってもええんちゃう?しかし菜緒ちゃんが手芸好きやなんてな…意外やったわ」
と葉子は赤い縮緬に千鳥模様のくるみボタンを購入して大事そうにポシェットにしまう菜緒の様子を見て、
菜緒ちゃんガリ勉なイメージだけど、やっぱり女の子やったんやな。
と改めて思った。そして、「はいこれ」と菜緒が一つの小さな紙袋を葉子に手渡す。
葉子が中を開けてみるとそれは、薄い水色の縮緬に立体的な白い花飾りをあしらった凝った作りのくるみボタンにヘアゴムを通した髪飾りであった。
「友情の証や。これから夏やし、それで長い髪をくくったらええ」
照れくさそうに笑う菜緒を見て葉子はじわじわと嬉しさがみぞおちからせり上がって来るのを感じた。
「い、今すぐ付けてもええ?」と袋を開けて葉子は手早く髪の両脇を頭の後ろで束ねて、プレゼントの飾りゴムでくくった。
葉子の黒い髪の後頭部で小さなお花がちょん、と咲いた感じになって「ほんま似合うねえ」と菜緒が誉めた時…
風に煽られた大学ノートの大きさ程のビラが、びたっ!と菜緒の顔面に張り付いたのだ。
「なんやこれは!?」とええ気分になったところに水を差しやがったビラを顔から剥がすと見出しの文字を読んだ。
京都迷宮案内、歴史あるお寺の跡取りが京都を案内致します。
椿守寺、椿勲
迷宮案内、だと?と菜緒と葉子はちょうど「?」の形になりそうなくらい深く首を傾げた。
すんまへん、ほんますんまへ~ん。と背後からがさがさとビラをかき集める音が近づいて来て、
「お嬢ちゃんほんまごめんな!」
といきなり二人の前に出てきて謝ったのは、なにやら色白でのっぺりとした顔立ちの中肉中背のいかにも大学生といった感じの若者だった。
ドラマで出てくるお公家さんみたいな顔立ちやな。
それが、野上菜緒が椿勲に抱いた第一印象であった。
「へえー、それがきっかけで椿さんと野上たちが出会って椿さんが実は担任のマサの従兄弟だったって…」
オレたち四人がこうしてテーブル囲んでいるのって、なんか出来過ぎじゃね?と思う位光彦は、
偶然の顔した必然というか、縁の糸みたいな目に見えぬ力の存在というものは、
ある日いきなり攻めて来るんだな。
と清水寺に向かう途中の茶わん坂にあるカフェの生湯葉と生麩が入った昼定食1854円を初対面の京大生、椿勲を前にぎこちなく箸を進めながら思ったりした。
えーと、マサのお父さんのお兄さんの一人息子が勲さん、ということなんだけど…
と光彦はすでに食事を終えてコーヒーを飲んでいる物静かそうな青年の顔を観察した。
よく見たら笑っちゃうくらいマサに似てなくね?違うの髪型と年齢ぐらいじゃん!
と表面では畏まって、内心では失礼な事を考えて光彦は「でも」と途中で箸を置き、
「なんか意気投合したんだろうけど、中一女子二人が初対面の大人に付いて行くって不用心じゃね?」
「大丈夫、有名なお寺の息子さんってことで身元確認して家族に写メ送って許可得てから付いてったから」
「用心深っ」
「当たり前やん」と葉子が生麩入りのお吸い物をすすってから言った。
「今時は用心深すぎるくらいでないと生き残っていけへんで」
今日の榎本葉子はいつもは垂らしている長い髪を珍しくゴムとヘアピンで束ねているので少し大人びた印象だ。
「で、その後勲さんに何処に連れて行かれたの?」
京都っ子さえもあまり知らないマニアックな名所の観光案内をするサークルの主催、椿勲に少女二人が連れて行かれたところは…
「歩いて行けるところに祇園甲部歌舞演習場があるんやけどな」
「芸奴さんや舞妓さんが稽古したり踊りの発表会する会場だろ?普通じゃん」
「…その真裏の崇徳院御廟に連れて行かれた。御廟ってお墓のことや」
「崇徳院って百人一首に出てくる歌人の?確か祟り神になったって有名な人!?」
「そや、いきなり祟り神のお墓参りや。で、その後左手100メートルぐらい先にある安井金毘羅宮に連れてかれた」
「誰々と縁切りできますように、って書かれたすごーいお札の束が獅子舞みたいに巨大化してたで。写真撮ろうとしたら勲兄ちゃんから『んなもん撮ったらあかん!』ってガチに怒られた」
当たり前や、と勲は清水焼のコーヒーカップを静かに皿の上に置いて「いいか、これは試験に出るぞ」と忠告する塾講師のような真剣な口調で言った。
「心霊スポットでぎゃあぎゃあ騒いでその後体調悪くするアホと同じ行為や。
人間は、繋ぎたいと思って出会った縁が時を経て色々あって切りたい、という悪縁と思うようになり、思い詰めて思い詰めて寺社仏閣に祈願するんやで。
そんなどす黒ーい想いの詰まった紙のかたまりをむやみに撮るもんやない。参拝者に失礼や、
それに僕は、崇徳院は祟り神になるような悪い人じゃないと思うている」
「出た、椿勲の御霊信仰講座」と菜緒はくすくす笑った。
「確かに崇徳院は平清盛と同じ時代に生きて、政争に敗れて流刑先の讃岐で亡くなったお人や。
しかし、祟り神扱いされたんは死後のことやし、
父親の鳥羽上皇と弟の後白河がとことん崇徳院を貶めたネガティブキャンペーンを実施したからや」
「なんで実の父親が息子をそんなに貶めたの?」
「鳥羽上皇は長男の崇徳院を生涯自分の子ではなく祖父の白川院の子と忌み嫌ったからや…公然と叔父子と罵り続けた」
「大人げねぇな、鳥羽」
と光彦が言うとその通りや、と勲はうなずいた。
「政争に敗れて死んだ不幸な人は、必ず祟るから神様にして鎮めてしまえ。
っていう御霊信仰が始まったのは平安の初めからやけど…菅原道真さんを追い落とした藤原家然り、早良親王さんを廃太子にした桓武天皇然り、
追い落とした相手を祟り神として死後崇めるのは、為政者の後ろめたさから発生するものなんや」
「結論から言えば、そうやって崇めるのは、為政者に身に覚えがあった証拠ってことやろ?
謀殺した後、死後に悪い評判をわざと広めたり歴史書を都合よく書き換えたり、と」
「瀬を早み 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ…
こんな美しい歌作る人が、大怨霊になる、と宣言するほど心に闇を育てるのだろうか?
と僕は思うんやけどね」
引率する子供たちが食後の黒豆ロールケーキを食べ終わるまで待って、勲は席を立って会計を済ませてからりと晴れたった茶わん坂こと清水新道を歩き出した。
「しっかりついて来て、離れんようにな」と勲が注意するくらい茶わん坂は他県から来た観光客や修学旅行生、外国人観光客などでひしめき合っていた。
「言っておきますが、清水寺は入ってから本堂までが、長い…」
と約二時間後、音羽の滝から奥の院まで物見遊山しながら辿り着いた一行の中で一番息切れをしているのは案内人の椿勲であった…
「勲兄ちゃん体力ない」
「ヘタレだな」
「それでもハタチなん?」
と引率の子供たちの遠慮ない罵りがぽんぽんと勲の汗だくの白い顔にぶつかって来る。
「えーい黙らっしゃい!君たちも二十歳を過ぎてここに来れば僕の気持ちが分かるから」
「それって老化ってことやろ」
と榎本葉子がとどめの一撃を刺した。
あのー、そもそも君のコンクール前の息抜きのためのレクリエーション活動なんですけど。
と勲は言いたくなったが、そこは生まれながらの京都人。
いまの葉子の発言を「聞かなかったことにして」にこやかに受け流した。
「さて、今から秘仏のご本尊がある奥の院へ参りまーす」
「ヒブツって何やの?」
「一般に公開されない仏像の事や。お寺さんの都合で厨子に納めたままの絶対秘仏や、期間限定で公開する秘仏もある。ここのご本尊は33年に一度の公開や。
確か、4年前に特別開帳されて僕も拝観したんやけど、なかなかスタイリッシュな仏像やったで」
「へへーん、うちも家族と見に行ったんや」
と菜緒が自慢げに話すのを見て葉子が素直に「ほんまうらやましいわぁ」と両手を合わせる仕草を見て、光彦は、
やっぱり榎本はお嬢様なのだな、と葉子の美しい仕草についどきりとし、教室内で足を広げてくっちゃべるクラスメイトの女子たちと比べてしまう…
いかんいかん、女は中身だ。よな?
その榎本葉子の左腕に、ちらりと銀色に光る腕輪を見つけた。
「榎本、それ時計?」と光彦が聞くと葉子はああ…と少しばつが悪そう表情で、
「友達のカヤちゃんの落とし物なんやけど、可愛いからつい付けてきたんや」
「見ていい?」「うん」
と菜緒が葉子の左手を取り、腕輪をしげしげと見つめる。
「変わった造りやね、三つのアーチを組んではめる腕輪って初めて見た」
「そうなんや、カヤちゃんまた家に来た時に返すつもりなんやけど…」
(なあ、カヤちゃんって『人間じゃないほう』のお友達か?)
と菜緒に囁かれて葉子はぎくりとした。勘が鋭っ!
(そ、そや…いきなり窓辺から今晩は、されてな)
菜緒は戦隊や霊感とは全く無縁の一般人である椿勲を一旦見て、
(その話はあとでしよ!参拝終わって勲兄ちゃんと別れたら、な?)
「この本堂の最奥部の厨子に秘仏の観音像が安置されててな、清水型という独特の形で…どうしたんや!?」
とおっとり系男子の勲が珍しく大声を張り上げた時には事態はもう起こってしまっていた。
葉子の左手首の腕輪がいきなり強烈な光を放ち、菜緒は見えない腕に胸を突き飛ばされるような衝撃を感じ、本堂の床に尻もちをついて光彦に助け起こされた。
PiPiPi…と腕輪がアラーム音を鳴らし次いで
「対象の、次元移送の準備のために障害物を排除致しました」
と機械合成のような女性のアナウンスが腕輪から流れると共に、腕輪がひとりでに3つのアーチに空中分解され、
その3つの金属は葉子の足元の直系1メートルの床上に降りて、葉子を正三角に取り囲む形になった。
「次元転送、開始」
足元の正三角の奈落に、葉子の体が吸い込まれて落ちて行った。
午後四時前、清水寺奥の院で一人の少女が消失した。
「南無三…」と蒼白な顔で呟いたのは、寺の息子だけど霊感もなく直感力もふつうで、
人生を大過なくやってきた椿勲であった。
葉子が消えた跡には腕輪もどきが元の形できらきら光っている…
後記
清水寺は本堂まで結構歩くんだよなあ。
すわ、葉子消失⁉︎
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?