電波戦隊スイハンジャー#108

第六章・豊葦原瑞穂国、ヒーローだって慰安旅行

野上のかばね1

以降は、七城米グリーン七城正嗣が大学時代にまとめたレポート「野上鉄太郎の生涯」を参考にして話が進行する。

興梠葛生は、この赤ん坊を「阿蘇の神からの授かり物だ」と養子にして籍に入れ、大事に育てた。

が、4年後に突如、東京神田の柔術家である真鍋廣一《まなべこういち》に鉄太郎を託すことになる。

「何で?願掛けしてまで授かったと思って育てた子供を何で手放したんだべ?おらだったら、絶対手放さねえ」

隆文は妻の美代子のお腹で育っている我が子の事を思って言ったので、ついきつい口調になった。

聡介は一口大の小狸まんじゅうを口中に放ってぬるくなったお茶で流し込んだ。そして、昨日の午前中に皆で掃除した庭を遠い目で見つめた…

「やらかしちまったんだ。とじいちゃんは、言ってたよ…ガキの頃の俺と同じ失敗だな。

じいちゃんも俺と同じように、3才過ぎてから怪力が発現して気が付いたら家屋を破壊していたそうだ。

興梠のひいじいさんは相当手を焼いたんだろう。手放したくはないが、このまま本宅に置いとけば『荒ぶる神の子』として一家ごと村を追われるかもしれん。だから、真鍋氏に託したんだろうさ」

甘かった養父の手から鬼のように厳しい養父の手へと不思議な幼児、鉄太郎は渡された。

(それから毎日さ、早朝から夜遅くまで柔術とあらゆる古武術漬け…

真鍋の親父は海軍の教官だったからよ。そりゃあ厳しかったぜ。親父も自分の技を継いでくれる強い子供を欲しがってたのさ)


鉄太郎の幽霊は、2番目の養父で最初の武術の師、真鍋廣一との初対面の時をついこの間のように思いだす。

五十を2つ3つ過ぎた、小柄だが引き締まった体つきの中年男だった。

よく日焼けした髭顔に、目だけがぎょろり、と鉄太郎を値踏みするように見ていた。鉄太郎が手に包んだ石を力を込めて握ると、石は砕かれて砂と化した。

じーわじわじわ、とアブラゼミが鳴いていた。神田の家の窓から差し込む陽光が眩しかった。真鍋氏の数分の沈黙が、2時間にも3時間にも感じられた…

やがて、無表情だった真鍋氏が「ぼうず、いい面構えしてるじゃねえか」と相好を崩して鉄太郎の頭を撫でた。


真鍋廣一は、武術以外は小粋で洒落っ気のある江戸っ子で、鉄太郎に読書を奨励した。「神田に住んでんだからただで読みまくれるだろ」という理由からだった。

いろんな本をどんどん読め。知識が偏ったら人間、石頭になる。石頭な大人になっちゃいけねえよ…と廣一は繰り言のように言った。

廣一はすでに死別した細君(奥方)との間には子が無く、鉄太郎が学校で良い成績を取ると、人目の無い所で頭をぐりぐり撫でて可愛がってくれた。

気が向いたら落語や歌舞伎見物にも連れて行ってくれた。

鉄太郎が15の頃廣一が「海軍では新しい体術が流行っている。こないだ演武を見たが、あれはお前の荒ぶる力を調整するきっかけになるかもしれんよ」と当時は特権階級しか習う事が出来なかった、後の「合気道」の指導者にコネをつけてくれたのも廣一だった。

鉄太郎が帝大予科である一高の合格報告をした時、廣一は死の床にあった。風邪をこじらせて重症の肺炎になったのだ。

「お前、よくやったもんだね、将来は官吏かい?」

「出来ればそうなって、親孝行したいと思います」

養父のすっかり白くなった顎髭を見てああ、この人は年を取った…と喉の奥にに鉛を詰め込んだような重苦しさを感じた。

「思えばお前、興梠の家と縁切らなくて良かったよ」

枕元で往診に来た医師が喋らないように、と養父に注意したが「最期だろ?喋らせてくれ」と突っぱねた。

確かに、興梠の家とは年に一度の夏季休暇の度に里帰りするのだから里子に出された身なれど、家族とは親密にしている。

「いいか、鉄。アタマ堅ぇ大人になっちゃあいけねえよ…そんな奴らばかりが偉くなって、世の中駄目にする」

語尾が細く消え入り、そのまま養父は息を引き取った。

「それからじいちゃんは一高に進み、2年次の夏休みに自ら鞍馬山に登って大天狗こと小角の修行を受けたそうだ。小さい頃に聞かされた時は作り話だと思ったが、まさか俺が大天狗と戦う破目になるとはねえ…」

正嗣が蚊取り線香に火を付けて、縁側に置いてくれた。

「ねえ先生、鉄太郎さんが昭和15年にヨーロッパ入り出来たのは、政府の調査派遣だった。ってのは本当なんでしょうか?」

「その話、じいちゃんから聞いた事がある。永世中立国のスイスが一番臨戦態勢だった、って。位置的にどの国からでも攻められ易いからな。

永世中立の意味は自分の身は自分で守るって事なんだよなあ、一家に一台核シェルターを持つ国なんだから。じいちゃんの見解では、当時ヨーロッパ各国も、

それぞれの思惑で戦っていたんだってさ。じいちゃん、出張先でばあちゃんかっさらって、よく帰国できたもんだよなあ…」

「かっさらったって、やっぱり駆け落ちなんですか!?」

きららが食いつき気味に話に参加した。

「だって、フロールばあちゃんは大手スイス銀行の令嬢だぜ。一族は日本人と結婚するって聞いて大反対よ。じいちゃんも出張期限が迫っている…2人は夜中に落ち合って逃げ出したんだって」

(実際は、フロール付きの家政婦のお嬢ちゃんの手引きで夜中に屋敷に侵入してよ…
フロールをおぶって2階から飛び降りて、全速力で走って逃げたのさ。
おれが本気出したら自動車よりも早えからよ)

正嗣の横で鉄太郎が若かりし日の武勇伝を思い出し、思い出し笑いした。

(あんたはルパンか!よくそのご時世でヨーロッパから脱出できましたね)

(むしろ日本の役人とその妻として、堂々と逃げた。娘を返せ!と抗議の手紙が来た時にはもう東京で結婚した後だからなー)


昭和16年から終戦まで、大蔵省をクビにされた野上鉄太郎は故郷の阿蘇産山村に戻り、沈黙を続ける…6月、第一子祥次郎、聡介の父親が誕生した。

「軍部に嫌われたんなら、腹いせに前線に送られそうなものなのに。どうして阿蘇にこもっていたんですか?」

悟が軽く小首をかしげると、聡介は「内地勤務で後方支援に就いていたんだ。まさにこの家で。70年以上も前だから何度か改装してるが、かまどはこのまんまの筈だ」と正嗣さえ知らない事実を明かした。

「え?阿蘇で何するの?」

「食糧調達班。阿蘇で農業と、狩りをしていたんだ。そこで襲って来た熊をうっかり素手で殺してしまったらしい」

武道家野上鉄太郎の「熊殺しの鉄」伝説はこの逸話から生まれた。

「伝説作るほど強いのにどうして内地勤務になったんですか?」

「じいちゃんは検査結果で丙種。ここからは身内しか知らない事だけど、じいちゃんには目の病気があってね」

鉄太郎が帝大卒業間近のある朝、それは起こった。

何だい、まだ夢かい?下宿の天井も、黄ばんだ襖も、本の背表紙も、みんな白黒。おいおい、まるで活動じゃないかい。

鉄さあん、ご飯ですよう。と下宿のおかみさんが階下から呼んだ。違う、夢じゃない!

「ある日起きたら、世界は全部モノクロだった。じいちゃんはどんな気持ちだったんだろうな…極めて稀な症例らしい」

いち役人の自分の報告では開戦を止められず、仕事を追われ、妻は外国人。故郷の興梠の家は、何も言わずに鉄太郎夫妻を受け入れてくれた。

興梠の家は養父の三女で義理の妹のフクが婿養子を貰って継いでいた。フクは身ごもったばかりのフロールの山暮らしを支えてくれた。

この家しかもう帰る所は無かったのだ。フクの夫も大陸に出征して、学友や同僚の戦死の報も滅多に届かない山の中で、おれはただ妻を守り子を育て、畑を耕し、狩りをする事しかできなかった。

終戦後、フクの夫が痩せこけて帰還した時は、抱き合っておいおい泣いた。

おれが、あの時の何を言えようか。

敢えて過去を語らない選択をした者の人生には、語らないなりの重さがあるのだ…

という事を6人の若者たちは改めて知った。

「腹が減りましたね」

琢磨がわざと明るい声で言った。

時刻は夕方5時前であった。

おお、そうだべ!と隆文が持参したリュックの中から出したのは、米の入った袋だった。目分量で2キロぐらいだろう。

「隆文、お前の荷物やけに多いな、とは思ってたけど…」

「そう、実家で作った魚沼産コシヒカリを、ここのかまどで炊くべ。つまりこれは、新潟と熊本のマリアージュ!」

出た。安易にマリアージュ、(フランス語で結婚。詩の表現で調和)って単語濫用する最近の若者…

せめて美味しく炊いてから言ってほしいものだな!と聡介は思った。

「晩飯はおらに任せろ!」

とコシヒカリレッドが、コシヒカリをかまどで炊く、というプリミティブな行為自体に隆文はテンションダダ上がりして腕まくりした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?