電波戦隊スイハンジャー#70

第4章・荒ぶる神、シルバー&ピンクの共闘

秘密結社、オニ5


風の翼に乗って飛んでゆけ


懐かしい歌よ、ふるさとへ、


気が向くままにおまえを口ずさんでいたふるさとへ、


私たちもおまえもあんなにも自由だったふるさとへ。



ボロディンの「ポーロヴェッツ人の踊り」(韃靼人の踊り)の

とりこの女たちの歌が頭の中でぐるぐる回っている。


難しい旋律ではないのにさっきから何度も繰り返しバイオリンで何十回も弾いている。


他の事を考えていると不安になってしょうがないからだ。葉子はやっとバイオリンを肩から外して弓を置いた。


何やろなあ?この胸からせり上がってくるような不安な感じ。


ぞわぞわする。ルリオくんの漢方、効かへんやんか、嘘つき。


あ、「漢方は何ケ月とかけてじわじわ効く」って説明受けたやないか。


たった3日で変わる訳ないで。「思春期」って厄介やなあ…。


葉子は自室のベッドに体を投げ出し、天井の木目を睨んだ。


こういう時は、決まって「悪いこと」が起きる前兆なんや。お母ちゃんが言うてた。


いやや、うちは「予知」の力なんて持ちたくない。知らせても変人扱いされるし結局、誰も救えへんやないか。


葉子の超能力は、母クリスタから譲り受けたものだった。


人前で使うたらあかん、むやみに人様の思い口に出したらあかん。


それと、「絶対裏切らない人間にしか力の事教えたらあかん」は小さい頃からのお母ちゃんの言い付け。


人間の本性なんて心読めば分かる。ほとんどの人間はエゴイストで嘘つきやないかい。


お母ちゃんは、純粋な心を持ったお父さんとしか恋愛が出来なかったのだ。




ようこー、ええかー?と言いながら階段を上る足音。おじいちゃんや。


こんこんと乾いたノック音の後で、祖父クラウスが半分ドアを開け、ふて寝している葉子を心配そうに覗き込む。


細身の長身にTシャツとジーンズ姿。全白髪ではあるが茶色の瞳から放たれる眼差しは好奇心いっぱいの子供のよう。


世界的指揮者、クラウス・フォン・ミュラーは見かけからしてとても72歳とは思えない。


マンハッタンのビル街あたりをスニーカーで散歩しているカッコいい老俳優のよう。

こういう人はアメリカ人でも、ドーナツやカップケーキ、ピザは常食しない。


音楽業界でも有名な健康オタクで日本通。食事は毎食、栄養士のアドバイスのもとで和食中心である。



毎朝と寝る前には体調に会わせた筋トレとエクササイズをこなす。指揮者はアスリート級の体力がないとやってけない仕事だからだ。


ミュラーは最近、京都市内で連続通り魔事件が起こってからは鴨川沿いでジョギングできひん、と嘆いている。


第一発見者の定年退職者のおじさんがおじいちゃんのジョギング仲間だったそうで、可哀想にそのおじさんは「人間が恐い」と自宅に引きこもってしまった。


よほどえげつない現場を見たのだろう。


「音が乱調ぎみやったで、どうしたんや?」


クラウスは葉子の学習机の前の椅子に腰かけ、長い脚を組んだ。葉子は祖父と目を合わせたまま、答えない。


反抗しているのではなく、今の気持ちを現す言葉が見つからない。なんか言わなければ心配させてしまう。


「今更アレクサンドル・ボロディンかい?と居間でおじいちゃん、ツッコミ入れとったで」


クラウスは30年前、20歳年下の人気バイオリニスト上條孝子と結婚してその1年後に、西ドイツの施設にいたクリスタを養女に迎えて妻の実家の神戸三宮に移住した。


つまりはコテコテの神戸なまりから日本語を覚えてしまった人である。ボストン出身の彼のメンタリティは「もう関西人」なのである。


「ボロディンのファーストネーム、アレクサンドルなんかい?」


と葉子が答えるとクラウスは少しがっかりした、と言いたげにわざと下唇を突き出した。


「葉子ー、あんたプロの演奏家目指すなら主なクラシック作曲家の経歴頭に入れておかんかい。音大入ったら苦労するで。


アレクサンドル・ボロディン。本業は医者と化学者。作曲は片手間やった。


でもお前が今弾いとった『イーゴリ公』はじめ良作を生み出した。


ボロディン反応、で化学に名を残しとる。


元々はジョージアの貴族の子だったが、認知されずに農奴の名を与えられた。親は罪滅ぼしのつもりやろか?最高の大学教育を受けさせて、息子は医学と化学を修めた…

ところで、祥次郎ジュニアに会ったんやて?孝子から聞いたで」


いきなり野上聡介の事を聞かれて葉子は赤くなって枕に顔を埋めた。


憧れの祥次郎サマの生き写しが、あんなに口も性格も悪いおっさんだったなんて…


ちくしょう、うちの初恋を返せー!と葉子はのけ反って叫びたい。


は、は、は、とわざとらしく笑ってクラウスは椅子から立ち上がり、本棚の上に飾ってある野上祥次郎のCDジャケットを手に取った。


「忠告した通り、性格ねじれとったやろー?


誰にでも好かれた祥次郎とは正反対や。聡介は小さい頃から叔母の祥子からバイオリンの英才教育を受けて高校生まで九州地区のコンクール荒らしやった。


父親と同じバイオリニストになると期待されていたが…高2の春に『医学部行く』言うてな、当然祥子とは大ゲンカ。


鉄太郎じいさんが『医者は人員が不足してるが、演奏家は大勢いるじゃねーか』と孫の肩持ったんで聡介は医学部に入った…」


惜しい話や!とクラウスは舌打ちしながらCDの写真の祥次郎の顔をなぞった。


医者で芸術の才能を持つボロディンと聡介を重ねたのだろうか。そんなん月とスッポンやないんかい?おっちゃんの演奏聞いてみんと。


「おじいちゃん、『あの』聡介おっちゃんとすんごい知り合いみたいな言い方してるな。祥次郎サマと親友だったんは聞いたけど」


「野上祥次郎。東洋のパガニーニ。我が莫逆の友」クラウスは呟いた。


「28年前に祥次郎が癌で死んでから、わしは子供たちを遠くで見守って来た。


京都の花街の地方さん(三味線奏者)、植芝美禰代うえしばみねよとの子、啓一。


オペラ歌手、アデール・ボードゥアンとの子、沙智。


そしてピアニスト敷島緋沙子との子、聡介…」


「全部母親違うん!?」


祥次郎サマ、実は女とっかえひっかえ?葉子の中の祥次郎像に小さなひびが入って広がり始めた。


「祥次郎はおなごにはもの凄うモテてな、ほとんど女の方から言い寄って来るんだが…

世界一の女たらし、『アルフィー』と社交界で呼ばれた」


「ギターの3人組のおっさん?」


「ち、がーう。ジュード・ロウのモテモテ男の映画知らんのかい?わしの時代の頃はマイケル・ケインだったが」


ジュード・ロウねー。イケメンやけど生え際危ない俳優さんや。それぐらいの認識と興味しか葉子にはない。


死ぬ間際の祥次郎から子供たちの内、誰かが音楽の道を目指すのなら将来を頼む、と遺言された。とクラウスおじいちゃんの一人語りは続く。


「長男の啓一は、母親の美禰代ががっちり離さんで育てて建築家になった。

真ん中の沙智は世界の歌姫の子でも音楽的才能は無し。


残るは聡介ひとり…祥次郎の実家に寄る機会があっては、あいつの成長する姿を陰から見ていた。発表会やコンクールで演奏する姿をこっそり撮影依頼して何度も見たり、本当に祥次郎そっくりで…」



あれ?話がなんかストーカーっぽくなってきた。冷房の利きすぎではないのにさぶいぼ(鳥肌)が立つ。


「どうして実家の玄関から訪問せんの?」


「鉄太郎じいさんから接近禁止命令喰らったからや」


両手を広げてオチを発表するスタンダップ・コメディアンの如く開き直った仕草で世界の巨匠は答えた。


「聡介坊が5歳の時に道端でチョコあげようとしたら、鉄太郎じいさんが誘拐と勘違いしてな。

一瞬後にわしは武神、野上鉄太郎の当身を喰らって気絶した。

全く、動きの速すぎるじいさんやった!」


半分話に補正がかかってるな、と葉子は気づいた。


なに子供誘拐未遂した事澄ましてゲロってんねん!


「…という訳でだ。近い内に祥次郎ジュニアを食事に誘いたいなーと思って。葉子が偶然に奇跡的に知り合ってくれたのならー。予定は聡介坊に任せるしー」


意中の人物に近づくには、まず親戚や知り合いを利用する。血は繋がっていないがこの祖父と孫娘はよく似ている。


3日前にアドレス交換した聡介に一応葉子は「マエストロのお誘いメール」を送った。


「菜緒ちゃんも招待したいです」と殺し文句をつけて。


お昼の1時にメールしたけど、3時ごろ聡介から返信が来た。3時にやっと休憩とは、外科医は忙しいな。


「俺の友達も何人か招待したい。さすれば行ってやらんでもない。8日の夜7時以降なら」


行ってやらんでもない。の文面から「しつこいジジイ」という聡介の気持ちが読み取れる。誘拐未遂を根に持っているようだ。


なんか近い内にどえらい事が起こりそうな気がするんだけど、心配させるから言わない方がいい。


「予知」には大抵ろくなものはないからな。



と葉子はよく通るソプラノの声で「とりこの女たちの歌」を口ずさんでみた。窓向こう鴨川は、午後の光を受けて穏やかに流れている。



ここ2日間は公安調査庁での隠の会議は無かった。5日と6日に事件は起こらなかった。


「3日続けてリンチしたら1日は休むかもしれない。憑依体の神経が持たないからだ。脳の記憶は都合よく消されていても、肉体は、覚えている」


「先輩の言う通りになりましたな」


安宿バー「グラン・クリュ」閉店後の店内。すでに支配人の柴垣さんは帰宅していて、今夜はオッチーさんこと小角が当直。


隣には前髪長めのカジュアルな服装の美少年。「現世人」に変装した空海である。


宿のお客は2階で寝てるか、旅の余韻冷めやらず同室の客とお喋りしてるかだ。何かトラブル発生した時のための当直。


実に暇な仕事である。


1階は、男2人がひそひそ話するのにちょうどよい環境になっている。


以前は隆文が柴垣さんと交代で当直してたが、隆文がつい最近めでたく入籍したため、「新婚だから」って理由でオッチーが隆文の当直を半分受け持つ事になった。


実は隆文は実家の新潟からここ東京までテレポート通勤しているのだ。


もちろん、一般人柴垣さんは何も知らない。単にオッチーが仕事に慣れたから。隆文くんが近くにアパート借りたから、と思い込んでいる。


「俺は常に、もし自分が犯人か憑依体だったらどうするか?って考えてるよ」


「やはり、鞍馬山の大天狗はんですな」


オッチーが淹れてくれたコーヒーをうまそうにすすりながら空海が答えた。


「真魚、何を隠している?」


不意の質問に空海はコーヒーを気管に入れてむせた。


「東寺での事件以来、お前が妙に大人しいのは責任を感じているんじゃない。怨霊の正体をお前が知っているからだ。昔から演技が下手だな」


テレパシー能力はないオッチーだが、人間を見る目は鋭い。


「無駄に心にブロックかけてるのは疚しい秘密があるからだ。…さあ二人きりだから話せよ」


「言えません」空海が冷たく言葉を被せた。


「俺にも言えない相手なのかよ…」


ダメ元で聞いてみたが。1000年以上の付き合いの後輩から拒絶されるのは結構ショックだ。


2階の客が何かノー!!とヒステリックな大声で叫んだ。女性の声だ。


イギリス人のカップル客がいたが痴話喧嘩だろうか?


「やれやれトラブル発生、っと。とにかく俺達は犯人を追う。お前も近い内に、


本当の声を聴かせておくれよ♪」


と歌いながらオッチーは階段を素早く上がって行った。



急にブルーハーツネタは古いでっせ。と空海は心底呆れた。


「今夜は泰安寺に帰って寝るか…」


聡介はんの言う通り過労を引きずっているようだ。

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