電波戦隊スイハンジャー#54
第4章・荒ぶる神、シルバー&ピンクの共闘
そうだ、京都行こう4
京都四条八坂神社の近く、「日舞喬橘流本部稽古場」と看板を掲げた日本家屋のお屋敷の前に聡介と光彦は居た。
聡介はいつもは着ないような、ブランドものっぽい黒のサマースーツ姿。抹茶色の風呂敷包みを小脇にかかえている。
呼び鈴を鳴らすとすぐに玄関ががらりと開いて浴衣姿の、歌舞伎の女形みたいな顔立ちをした青年が出てきた。
あれ?なんか見た事ある顔、と光彦が思ったと同時に青年は
「きゃーん、聡ちゃん逢いたかった~!!」
と走り出して聡介にがっしり抱き付いた。
こ、この人オネェ?
サイフ代わりの元カノじゃなくて、元カレ?
じゃ野上先生って…
「光彦、思った事口に出していいぞ…」聡介はげんなりとした顔をした。
誤解されるからやめろ、とキレそうになる口調を抑えて聡介は青年を風呂敷ごと押し返した。
「はい、野上先生はゲイもしくはバイですか?」
中学生の口からなんという単語が、と聡介は思った。
「いいえ、違います。私の恋愛対象は女性です。ついでにこいつも言動オネェだが中身はバリッバリに『男』だ」
「じゃあノンケという事でいーですか」
「はい、その通りです。ノンケも知ってるのか?最近の中学生って情報入りすぎだよ」
「まあ学校の女子がケータイのBLやTLの話題する時は正直引くけどね。こないだ隆文さんから『野上先生に押し倒されたべ!』ってlineが来た時はびっくりしたよー」
隆文め…後でシメてやる。あの時は勝沼にも見られたし、それならメンバー内で俺は誤解されてるかもなあ…聡介は天を仰いだ。
青年が光彦に「見学希望の子?」と聞いたので光彦は聡介と示し合わせた通りに「はい、見学させてください」と頭を下げた。
「日舞喬橘流師範、紺野蓮太郎です。よろしくね」
撫で肩で細面の青年は、地声は意外に低かった。日舞師範、あ、だから帯に扇差してんだ。蓮太郎は光彦の顔や体つきをじぃっと見た。
「入門するかはどうか別の話だけどサ、女舞いの振り付け仕込みたくなるねぇ。可愛い子じゃない」
と聡介に囁いて脇腹を小突いた。
聡介と蓮太郎、この2人はよほど気のおけぬ仲なのだろう。
紺野蓮太郎。紺野蓮太郎…あ!
「右衛門之佑のCMの人?」
ペットボトル緑茶CMに出ている大奥総取締の女装をした人だ!
去年1月の放送当初は歌舞伎の女形じゃないあの青年は誰だ!?とマスコミの間で話題になり、つられて緑茶「右衛門之佑」も売れに売れた。
それがメーカー勝沼酒造の宣伝戦略なのだが。
ぴんぽ~ん、と蓮太郎は光彦を指さした。とことん仕草がオネェな人なのである。
「あれ以来時々頼まれて俳優もしてるわ。CMの反響でお弟子さん増えたしねー。営業営業!まあお入んなさい」
蓮太郎に案内されて入った練習場はひんやりとした板敷の、20畳ほどの部屋だった。
聡介は風呂敷を持ったまま練習場隣の部屋に消えた。
光彦は部屋の隅で奥村さんという40前後の女性師範を紹介され、練習場の隅で彼女と共に聡介を待った。
「野上先生は何やってるんですか?」
あらまあ、と奥村さんは手の甲を口に当ててほほ、と上品に笑った。
「聡介ちゃんは坊《ぼん》に何も言うてまへんの?まあそこがあの子らしいけど…」
「え?」
「日舞の道場に来たら、稽古付けてもらうに決まってますやろー?
聡介ちゃんは6歳から日舞やっとって今は喬橘流の名取や」
なんですと。野上先生が日舞!?
担任教師の正嗣が戦隊ヒーローに変身した瞬間より驚いたかもしれない。
がらっと襖が開いて長身を薄鼠色の浴衣に包んだ聡介が登場した。テレビの歌舞伎で見た助六みたいにいなせで…かっこいい。
奥の文机に座っている蓮太郎に相対した聡介、折り目正しく正座し舞扇を手元に揃えながらお辞儀した。
「お師匠さん、よろしくお願いします」
「ほな始めましょ」直前までにこやかだった蓮太郎の顔つきが人が変わったように厳しくなった。
蓮太郎さんは中身は男、なるほどね。全国に6000人の弟子を持つ日舞喬橘流次期家元、紺野蓮太郎、「仕事」開始。
長唄の曲に合わせて聡介はゆっくり立ち上がり、舞扇を広げた。
こんちきちきこんちきち…
サキュパスとの戦いから2週間以上も経つが、宵山の祭りばやしが耳から離れない。
髪の毛を触手の如く操る異形の怪物、サキュパス。「敵」は、なんの目的があってあんな恐ろしい生き物を作ったのだろう?
天使どもは「殲滅しなければいけない存在」と言っていたが…
「辛気臭い顔よ」と蓮太郎がコーラのペットボトルの底を、聡介の頬にわざと押しつけた。いきなりの冷たさに驚いて目をむく。
「なんかあった?また女に振られたとか」
「あれは4月」聡介はペットボトルを受け取ってぷい、と顔を背けた。
3か月付き合った2才年上の、久留米に住む皮膚科の女医に急に街のスターバックスコーヒーに呼ばれ、
もう終わりにしようと別れを宣言された。
どうして?と聞くと
「あなたとの将来が思い浮かばない」と彼女は言った。
その1か月後、彼女は眼科の開業医と結婚した。要は二股をかけられていたのだ。
なるほど、俺はあの女にとって「都合のいい男」じゃなかった訳ね、とその夜はめちゃくちゃ落ち込んだ。ちくしょう、最悪の花見だったよ。
ピンクの花びらがモノクロームに見えるなんてな。そこでやっと、自分は多分彼女が好きだったのかもしれないと気づいた。
人として男として欠陥があるのは、俺の方なのだ。
俺は知らず知らずの内に、縁を切りやすい女性を選んで付き合っていたのだから。
友人のオペナース、狩野瑞樹にこの事を話したら「野上、あんたは馬鹿か…」となんか哀れむようなため息を漏らしたものだった。
瑞樹は優秀な看護師で、オペの介助は彼女との相性が一番だと聡介は思っている。でも決して2人は恋愛関係になることはないな、というのが互いの結論。
同い年の対等な友人関係は変わらないだろう。凛々しくて、美人といえなくはないが。
「あの時は愚痴聞いてあげたけど立ち直ってないようね」
蓮太郎が勝手に解釈してくれたので聡介はほっとした。
まさか自分が噂の変態5色戦隊に加入させられて、人外の化生と戦っているなんてこいつには絶対言えない!
京の夏は油照り。祇園八坂神社の境内には風もなく、参拝客も少ない気がする。ああ、今日は行事が無かったな。
「祇園祭りもあと4日で終わりか…」額に汗を浮かべて聡介が言った。
「明日は四条大橋で神輿洗いだよ。素戔嗚さんもお疲れさん」
じゃらんじゃらん、と鈴を鳴らして蓮太郎と聡介は柏手を打って拝礼した。
聡介は「祀り」の力で結界を破ってくれてありがとうよ、と深い感謝を込めて。
そう、祇園祭はこの八坂神社の祭礼なのである。主祭神は、素戔嗚尊と、その正妻の櫛稲田姫命 、他、素戔嗚の子八人。
7月31日の疫神社夏越祭を持って、祭りは終わる。
少し歩こう、と蓮太郎が誘った。散歩に十分過ぎるほど境内は広い。
幼い頃、踊りの稽古が終わったらよく2人でこうして散歩したものだった。
6歳の6月6日、聡介は祖父に京都に連れてこられ喬橘流稽古場で初めて舞扇を持った。
芸事始めには縁起がいい日という謂れがあるからだ。そして当時の家元の孫、紺野蓮太郎と一緒に稽古事始めをしたのだ。
きっかけは、家元である蓮太郎の祖父がかねてより聡介の祖父、野上鉄太郎の合気道の弟子であり、柳枝流の京都支部を設立したい、と申し出たからである。
鉄太郎は最初は難色を示した。道場を増やす、という考えが彼には無かったからである。
家元はしつこく食い下がった。いいえ、合気道の型や技だけではない、鉄太郎先生の武道や人生に対する哲学を若い人に広めたいのです、と。
人を育てる。
25年前、バブル景気に浮かれて素人が平気で株取引をする時代だった。
若者が贅を覚え馬鹿になってきている。このままではこの国は破綻する、と二人は共通の危機感を持っていた。
武道を通じて健全な精神を持った「人」を育てる事が鉄太郎の人生の目的だった。
そうだ、儂《わし》は、鞍馬山の天狗と約束したではないか…
教壇に立つだけが、人を育てる事ではない。
「いいでしょう、やってみましょう」と鉄太郎は80近い高齢とは思えない力強い声で言った。
「ではその代りといってはなんですが…」
儂の孫でいずれ後継者になる聡介に、できるだけ格安で日舞を仕込んでやってくれないか?と条件を出して、快諾されたのだ。
身に着けた日舞の「型」を、この孫は自分の武術に昇華させる事が出来る、と鉄太郎は聡介の武道の才を見込んでいたからだった。
京都支部を皮切りに、合気柔術柳枝流は全国各地に支部が広がった。
聡介も週1は自宅から一番近い喬橘流の師範の元で日舞を習い、月に1度は京都本部の家元に見てもらう。25年習い続けていつの間にか名取になっていた。
「そろそろ師範も取ったら?」と代替わりした現家元の蓮太郎の父から言われてるが、日舞の師範の資格は…正直言ってカネがかかる。
だから医師の仕事が忙しいのを理由にやんわり断ってきた。本部に行くのも2か月、3か月に1度になっていた。
そんな時に、蓮太郎から「一緒に遊ばない?もちろん稽古の後で」と電話がかかってきたのだ。
「よくここら辺で遊んだわね」と蓮太郎が懐かしそうに辺りを眺めた。
「そうだな…昔ここで喧嘩しなかったっけ?」
そうよぉ、と蓮太郎も思い出して笑った。
「アタシは最初は踊りが嫌で嫌でねー、無理矢理家を継がされるって思ってたから。よくここで聡介ちゃんに愚痴言ったり言われたり。
とうとうマザコン聡介にキレて甘ったれが!って言ったのよね…」
「そう、俺カーッとなってお前をぶん殴ろうとしてたんだ。
そして着物姿の綺麗なお姐さんに止められて、しこたま叱られたんだった。あんなに稽古嫌がってたお前が今や女舞いの名手なんだからなあ」
八坂の聖域で争いするなんて!お姐さんは10歳だった2人を引きはがして叱った。でもその後近くの茶屋で団子をおごってくれた。
あの時、10歳といえども本気の俺が蓮太郎を殴ったら…骨を砕き、あるいは死なせていたかもしれないのに。
俺を力でねじ伏せた姐さんは一体…
聡ちゃん、と耳元で蓮太郎が囁いた。
気づかないまま聡介は左右を蓮太郎の両手で塞がれていた。背中には建物の壁。
え?この状況は…
「野上聡介、やっぱり君が好きだ」
蓮太郎の乙女の如く赤らんだ顔が目の前にあった。
し、しまったー!
光彦稽古場に置いてきちまった、俺は、こいつと2人きりにならないように光彦連れてきたのにー!
俺って馬鹿…
そうなのだ。20才を過ぎたころから蓮太郎の自分への思いがライバル心から、憧れ、そして恋心?らしきものを持っているらしいと気づいて、聡介から距離を置いてきたのだ。
聡介は踊りからじゃなく、蓮太郎の自分への思慕を避けてきたのである。
た、たすけてくれ!という聡介の心の叫びが聞こえたのか…
「あ、あのー」
とあどけない顔立ちをした巫女さんが困ったように2人に近づいた。
「お取込み中悪いんですが…我が主がお二人に用があるとかで…」
聡介と蓮太郎は、怪訝な顔で釣り目の巫女の、化粧っ気のない顔を見た。
「もう少し様子見ても面白いなーと思ったんだけど、聡介ちゃんの心のSOS聴こえたからネ」
心のSOS?
2人の壁ドン中の青年は巫女の後ろから出てきた白地に金の稲穂模様の着物姿の女性を見て、同時にあっ、と声を上げた。
「あの時の姐さん?でも全然年とってない!」
やっぱり、姐さんは人間ではなかったのだ。
「聡ちゃん、蓮ちゃん、大きくなったわね」
涼やかな顔で、姐さんは笑いかけた。
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