電波戦隊スイハンジャー#136

第七章 東京、笑って!きららホワイト

劇薬2

神田神保町の路地に、昭和30年創業から続く名店「鮨や さぶらふ」がある。

店名は初代店主の敷島三郎の名前からもじったものだ、というのが通説であるが、

本当は三郎が子供の頃、近所に住む友達の野上鉄太郎に付いて回っていた時に

「おい三郎、お前は暇があるとおれの後を付いて回る。そういうの『さぶらふ』って言うんだぜ」

と言われたからである。

「さぶらふってなんて意味だよ?鉄ちゃん」

「武士が主人の傍に付いて回ることだ。侍の語源とも言われる」

「へぇー、さむらいってぇ意味かい?なんか恰好いいな」

鉄太郎は12才で尋常小学校6年。三郎は11才の料亭の使いの小僧だった。

大正12年の、秋の始まりの頃だった。

それから年月が経って

40過ぎて三郎が自分の店を持った時、真っ先に思いついた店名が

さぶらふ、だった。

この店は戦後再会した鉄太郎と三郎が生涯友情を温めた場所でもあり、

鉄太郎の息子、祥次郎と晩婚で生まれた三郎の娘、緋沙子が出会った場所でもあった。

20年後に二人は結婚して、野上聡介が生まれた。


9月26日の午後1時前、聡介は菓子折りを持って「鮨や、さぶらふ」の入口に居た。

先週のはじめ、現店主で聡介の叔父にあたる敷島史郎から突然電話が入った。

「よう、噂じゃおまえ、谷中あたりでちらちら目撃されてるらしーじゃねーか」

どうしてバレた?江戸っ子の情報網恐るべし!

汗ばんだ手で聡介は受話器を握った。

元々容姿のいい男は芸能人でもない限り、居るだけで自分が目立つという事をほとんど意識していない。

まさか自分が戦隊ヒーローの一員でで、戦隊のたまり場が根津にあるからです。と決して言えない聡介であった。

「どうしてうちに遊びに来ねえの?」

「それは…」聡介は言葉に詰まった。

「おまえ三郎じいちゃんが死んでからなかなか来ねぇし、
それって冷てぇじゃねーか。冷てぇよなあ?近い内に東京に来たら必ず来いよ、な?美味い寿司握ってやっから」

と押しの強い江戸訛りで一方的にまくしたてて叔父は電話を切った。

という訳で仕事休みの今日、9か月ぶりに「さぶらふ」の暖簾をくぐって引き戸を開けると…

「らっしゃーい、おっ!聡ちゃん来たな」とカウンター内から史郎叔父が屈託の無い笑顔で迎えてくれた。

敷島史郎は今年50才、半白髪の髪をオールバックにした苦み走ったいい男だ。

「久しぶりだね」と史郎の後ろで史郎の息子、吾郎が酢飯を仕込みながら声を掛けてくれた。

この25才になる聡介の従兄弟は、厚かましくお節介の父親とは正反対の、控えめで大人しい性格をしている。

聡介は「叔父さんリクエストの『武者返し』だよ」と言って菓子折を史郎叔父に渡した。

パイ生地の中に餡を包んだこの和洋菓子は、「おいこりゃ、このパイとあんこの『こらぼ』がたまんねえな!」と絶賛するほどの史郎叔父の大好物であった。

ちなみに史郎叔父にとって『こらぼれーしょん』(共同制作)という言葉は、「とにかくなんでも一緒にやっちまおうぜ!」という意味でしかない。

聡介はいつものように「江戸前盛り並、1人前半」を注文した。

「奥の座敷席に行きな」と言われるままに座敷席の障子を開けると、母親の敷島緋沙子がかんぴょう巻きを今まさにつまんで食べようと口をあんぐりしている所だった。

「そ、そ、聡介!?」

「か、母さん!?」

慌てて緋沙子はかんぴょう巻きを盛台の上に戻した。

史郎叔父め。

あんのバカ弟め。

謀りやがったな!

と母と息子は同時に思った。

でもまあ、今更いいか、とも思った。

「体の方は大丈夫?」と先に聞いたのは緋沙子だった。

先月会った時、聡介は高熱を出して寝込んでいたのだ。

熊本でのリサイタルを終えた直後、その知らせを受けて駆け付けた緋沙子が介抱してくれた。

そこで母子は、初めて本音で話が出来たのだ。

「ああ、朝起きたら熱引いてたよ」

聡介は後手で障子を閉め、母と向かい合わせに座った。

「仕事が仕事なんだから無理するんじゃないわよ」

「うん」

あの時は俺が弱ってたからあまり話が出来なかったが、今はちゃんと会話が出来てる。


28年間離れて生きてきた「溝」が、こうやって少しずつ埋まっていければいい、と聡介は思った。

「でもまあ聡介が来て良かった。ちょっとくさくさしてたから」

緋沙子は偏頭痛でも起きたかのようにに軽くこめかみを押さえて顔をしかめた。

「何かあったの?」

「実はね…」

「姉ちゃんはさっき保険の営業レディををすっげえ剣幕で追っ払ったんだぜー、」

障子ががらっと開いて、寿司の乗った盛台を片手に史郎が入って来た。

「史郎!」

「いやー塩撒いて追っ払うなんてとこ、親父そっくりだったよ。
やっぱり姉ちゃんは神田生まれのちゃきちゃきを地で行く女だ」

勝手に得心した史郎は腕組みしてうんうん、とうなずいた。

え、母さんってそんな人だったの?

塩持って撒いて嫌な客の背中に「おとといきやがれ!」と吐き捨てる母親の図が、聡介にはいまいち想像出来ない。

いや、そういうこと平気でするキャラは…たぶん俺の方だ。

今まで自分と会っている時、母はいつも「しおらしいピアニストの母親」を演じて猫を被っていたんじゃないか?とすら思う聡介であった。

弟に本性をバラされた緋沙子は頬を赤くしながら早口で聡介に説明した。

「まったく、保険の説明聞いてやってたらさ、段々と敷島さんは50過ぎてますよねー、高血圧とか更年期とか体に色々出てきますよねーなんて健康の話になってさ、

段々と怪しい健康食品のセールスになってきたのよ。

あ、これはマルチ商法だな、って思ったら段々ムカムカしてきて…気が付いたら史郎から塩壺もらって生保レディ追い出してたわ」

「マルチ商法?」

なんかちらっと聞いた事はあるが…

「あー聡ちゃんは知らねえか。80年代ごろに流行った悪質セールス商法だよ。
健康食品とか洗剤とかをなん十万かで売りつけて、これを他の客に販売すれば会員ランクアップして儲かりますよーって言って被害者を引き込む訳さ。

買わされた客は元取りたいし儲けてぇ欲もあるだろ?

バイト感覚でビジネス出来ますよーって客をたらしこんで被害者をネズミ算的に増やしていくからねずみ講って呼ばれて

けっこうな数の業者が捕まったんだぜ」

「口コミだけで宣伝するから別名ネットワークビジネス。海外では普通にやってる業者多いけどね」

と緋沙子が苦々しそうな顔で呟いた。

「サンプルとパンフレットだけ置いてっちゃったわね…史郎、あとで捨てといて」

と座卓の上に置かれたのは若い女性と中年女性の母娘がテニスウェアで微笑むいかにも健康食品的なパンフレットと、

SAMPLEと黒インキで印字されたビニール袋の中に入った緑色の三角形の錠剤。

…ニンフルサグ!?

無意識に鼓動が早まっていくのを聡介は感じた。

「なんか、このサプリを飲むと3か月で疲れ知らずになるって調子のいい話してさ、妙にハイテンションだったのよ」

流通経路が不明って帚木警視は言ってなかったか?

ネットワークビジネス…口コミでしか広がらないなら関係者たちの口は固い。

サプリのサンプルと言われたら、簡単に口にするわなあ。

パンフレットをぱらりとめくって記載されている本社の東京港区の住所を確認した。

「母さん、このサプリとパンフ、捨てるんだったら俺にくんない?」

「いいけどどうして?」と怪訝な顔で緋沙子は聡介を見た。

「医学的興味だ」と言うとあっさりと納得して渡してくれた。

「ありがと母さん、次会う時は絶対飯おごるから!」

寿司を半分も食わずに立ち上がる聡介に史郎叔父は折詰を2つ用意して残りの寿司と、もう1人前分を握って詰めてくれた。

店を出た聡介はiphoneで世を忍ぶ戦隊の仮の溜まり場、「安宿したまち@パッカーズ」に電話した。

「もしもし隆文、そこに勝沼いるか!?」

「はい、野上先生…?」

受話器の向こうの悟に、聡介は興奮気味に話した。

「もしかしたら例の錠剤のルート掴んだかもしれねえ。おまえにも調べて欲しいことがある」

安宿一階のグラン・クリュを目指す聡介は、次第に早足になっていった。

やっぱり江戸っ子のお節介は、サイコーだぜ!

後記

ひょうたんから出たまこと。ならぬかんぴょう巻きから掴んだ手掛かり。

敷島緋沙子、神田生まれのちゃきちゃきピアニストはやっぱり聡介の母ちゃんだった。

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