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嵯峨野の月#86 ある隠遁人の死

第4章 秘密

ある隠遁人の死

本当にふらり、
といった感じで和気広世が比叡山寺を訪れたのは弘仁2年の正月の行事が一通り過ぎた頃である。

「それが、最澄和尚はあいにくお留守でございまして」

と詫びる円澄に広世はなあに、気まぐれで寄ったのだから構わない。と微笑んでから「ところで泰範は?」といきなり問うので円澄は
なんだ、お目当ては最澄和尚ではなく泰範のほうだったのか。と内心驚いた。

ほどなく、少し足を引きずってはいるものの寺での作務をこなせる程回復した泰範が広世の待つ部屋に現れ、

人払いを命じられたのでそれからの広世と泰範の会話の内容は解らない。

しかしあの時の二人の会話が…
この後すぐ師の最澄に降りかかる苦難の発端になったのではないか?

と後になってそう思わざるを得ない事態が起こり、無常にも過ぎ去ってしまってから円澄は度々この時のことを思い出し、それは最澄の死後二代目の天台座主となり、最澄の生涯の夢であった

天台宗のための戒檀の設立、

という偉業を成し遂げても自らの胸を灼いて苦しめた。

程なくして広世は病で倒れた。

彼は自ら床の上で裸の胸を開いて顔の下半分からきれを垂らした息子二人に診察をさせると、
どうだ?と目顔で尋ねると息子たちは帳張から出て顔を見合わせ、

「畏れながら父上は、がい(肺結核)でございます」

と二十歳の長男、真菅が不治の病であることを父に宣告し、元服して間もない次男の宗世が泣くのをこらえて震えているのが帳張ごしにも伝わる。

そうか…と広世は枕頭で目を閉じてから、

「お前たち、よくぞ父の病を言い当てた。我はお前らに医術の全てを伝えてきたつもりだ。政なんて叔父の真綱に押し付けていいから培った技術で善く人びとを助けよ」

これが、和気広世の我が子たちへの遺言であった。

やがて広世は床に手を付いて這うように角盥に顔を寄せてから、

もう堪え続けなくてもいいんだな…と大量の喀血をして意識を失った。


誰かに手を引かれて広世は畑の間を歩いていた。

おかしいな、黄泉に向かうにしては足裏で土を踏みしめている感覚が妙に生々しい。

それに自分の手を引いているのはやけに背の高い人物だな。と顔を上げると、それは若かりし頃の父清麻呂だった。

「もうすぐ着くからな」

と清麻呂は歩き疲れた広世の頭を撫でて畑の奥の庵に立ち、申し、申し!としつこいくらい何度も大声を張り上げた。

堪り兼ねた庵の主が戸を開けながら「んだよるっせえな!」と和気親子に向かって荒い言葉を投げつけた。

言動は粗野だが白く抜けた肌に青い目をした年齢不詳の美しい僧侶に広世は一瞬にして惹き付けられた。

「弟子は取らないって言ってるのに何度も何度も…って今度は元服前の童か!?」

角髪みずらを結った広世を見下ろして入口でのけ反る。

「倅の広世だ」

「…あんた、備前(岡山県)の豪族あがりでもいちおう貴族なんだろ?自分の倅を医術の弟子に差し出すなんて本当にどうかしてるぜ」

と僧侶は頭を抱えてしばらく考え込んだが、

「ここで断ってもまた連れて来るんだろ?」と僧侶が聞くと、

「当然だ」

と清麻呂が言ってのけたのでもう13回目の来訪に辟易していた僧侶実忠は
「童、これより弟子とするから俺の言うことはいちいち聞くこと。いいな?」
と清麻呂のしつこさに根負けして広世を即弟子にとった。

もう35年も前の事だがあの頃の私はやれ強者を見極めて寝返る天才だ、政治巧者だと陰口を叩かれていた父清麻呂が…

大っ嫌いだった。

せめて貴族たちの誹謗中傷が届かぬ施薬院で教育を受けさせたほうが倅の将来の為になると父は思ったのだろう。

私は師、実忠和尚と出会い医の道に入ったことで、政で人を貶めるのではなく人を生かし人を救う生き方が出来て結果的に父に感謝している。

しかし…

「広世、お前はがいである」

と死病の宣告を我が師実忠から受けたのは平城帝に引き立てられて五位を賜った頃。皮肉過ぎる運命だ。とその時は思った。

そういえばやけに空咳をする老僧の診察をしたのは三月前だったか。

「和気の家を継いで叙爵したばかりなのに引退は無理です、実忠さま。私はあとどれ位生きられます?」

「家に籠ってなるべく家人とも接触を避け、滋養のあるものを食していれば5、6年は生きられる。今のお前の身分と財力ではそれが可能だ」

「解りました、そのように致します。それから…頼まれてお調べになっている宮中の供物の中で強毒の疑いあるものは全てこの広世に送って下さいませ」

その時、

「広世、お前という男は」

と我が師の青い瞳から涙がこぼれたのを見届けただけで我が人生、他に何も要らぬ。という心持ちにさせてくれた。

心中してもいいという位の務めが自分にはあるという事と、
はっきりとした命数を告げられたことで我はもう何も思い煩わなくてもいい、自分が自分であることをいつやめてもいい。という、

死にも近い安らぎを得たのだ。


意識を取り戻した広世は誰かの手の温もりを自分の右手に感じた。目を開けると涙を流しながら最澄が我が脈を取ってくれている。

おいおい、病人を前にお前は反応が分かりやす過ぎる。でも…

坊さんにしては情に厚すぎるお前のそういうところが私は好きだったのだよ。

「最期にお言葉はございますか?広世どの」

広世は深い眼差しでしばらく最澄の目を見つめると…無言で目を閉じてわずかに首を振った。

そしてごぼごぼ、と泡沫音のする息を10回程すると口の端から血を流してそのまま息切絶えた。

和気広世病死、享年44才。

この国で一番と平城帝に医術の腕を評された彼の死を貴賤を問わず数多の人びとが惜しんだ。

最澄と天台宗に最初の危機が訪れたのは広世の弔いが終わって七日後の事である。

和気の家督を継いだ真綱からいきなり今後一切の支援を絶つ。と一方的に言い渡された。

「すでに和気の家と天台宗とは、兄広世と最澄和尚の友誼ひとつでしか繋がっていなかった。ゆえに兄亡きいま、お前と和気の家の関わりはない」

な、何!?と真綱にくってかかりそうになる義真を肩を押さえて制止し、

「やはり高雄山寺のことなんですね」
と過去に真綱を怒らせたのなら、それしか身に覚えのない出来事を口にした。

真綱は冷たい目で最澄を見返し「そうだ」と断言した。

あれは高雄山寺での空海阿闍梨との初見の時、講堂に掲げられた両部曼陀羅の前に立つ密教の正統継承者、空海阿闍梨の姿を見て…

ああ、私が唐で成し遂げられなかったことをたった半年でやってのけた少年のように美しいあの方になら、
この寺を差し上げてもよいと決意した。

それは若い真綱にとっては父が最澄の為に建てた高雄山寺を、最澄自身の独断で別の僧に譲渡された恩知らずの行為と思えてはらわたが煮えくり返った。

もう2年近く前の事だがそれを深く根に持っていた真綱は最澄の親友であった広世の死を契機に、この際だから天台宗から空海の密教に乗り換えよう。

とかねてから思っていたことを実行しただけのことだ。
この時代、貴族の寝返りなんて不義理でもなんでもない。
今の情勢を見極めて近い将来、勝者に味方する行動の早さも貴族が生き残るための最も重要な能力だった。

「仕方ありませんね、ならばこれまで」

と和気の邸の門をくぐった最澄は帰りの牛車に揺られながら、

まさか、広世さまが死ぬ間際に何も仰らなかったのは…

和気の一族の長として我を謀っていらっしゃったのか!?

貴族たちを一切信じるな。たとえそれがどんな善人に見えても。

とふと脳裏によぎったのは唐の明州で息絶えた遣唐副使、石川道益の最後の言葉だった。

弟子を次々と奈良の徳一和尚に引き抜かれている上に和気の支援を失った今はどうすればいいのか…

目の前がぐらり、と揺れて最澄はそのまま車の中で気を失った。

次に最澄が目を覚ましたのは物売りの呼び声がし、貴族家の従者やら職人やらが日用生活品や食料品を購う東市(現在の七条猪熊の北から西本願寺の地あたり)の商家の一室であった。

「おや、お気づきになられましたようで」と唐人の薬屋の店主が安心したように眉を開いた。
ここの薬草は内海を経由して直接大陸から運ばれて来るので質が良い。最澄も山を下りた際には度々買い付けに来ていた常連の店だった。

「過労でお倒れになったのですよ」

と薬屋の主がそう言い、どうぞお体が温まりますゆえ、と作ってくれた薬湯をひと口飲んだ最澄は久方ぶりに体中に血液が巡る感覚を覚えた。

思えば私も広世どのと同じ四十半ば。いちいち外出するのにも気力を要する年齢になってきたのだ…ここで回復したら比叡山寺に帰って、何も考えずに休もう。

と店主に礼を述べ再び横になって目を閉じる師を見届けた義真は表で薬草を注文する客の声が…
厚かましい程に張りがある聞き覚えのある声だな、と思って少し戸を開けてこっそり店頭を覗くとそこには柿色の僧衣を着て私度僧に化けた空海阿闍梨が唐語で店主と

ここの薬草は質が良くて値も適正だ。商人が貴族の家に売り込む薬なぞは定価の4、5倍の値段で売りつけられるのだ。あまり薬に詳しくない貴族たちは言い値で買わされる。唐の商人はこの国に来てもしたたかだな。

と、とても僧侶らしからぬえげつない会話をしていた。僧侶が空海だと解った途端、義真の中で何かが弾け飛んだ。

義真は乱暴に戸を開けて店先に飛び出し、

「この…このっ、広世さまを唆した奸物のくそ坊主め!」
と押し倒した空海の上にのしかかって何度も拳を下ろすも全て笑顔で躱され、

「あんたはんは確か、最澄さまの弟子の」

と五度目の拳も空海の掌で受け止められて義真は、
「そうだよ義真だよっ!」

と空海の胸に突っ伏し、公衆の面前で声を上げて泣いた。

「実は広世さまは病でお倒れになる前に高雄山寺にも参詣しておいででした。
けれどもわしがご意見申し上げた医薬書の編纂のことでお礼に来られただけで特にこみ入った話は」

「そうでしたか、いや弟子が誤解して失礼の極みを致してしまい誠に申し訳ありません…」

と床の上起き上がった最澄が両手を付いてい丁寧に謝罪した。

「事情は解りました。それにしても真綱さまはなんと人もなげな振る舞いを…わしも腹が立ちます。しかし、広世さまが知ってて最澄さまを謀った、というのは誤解やと思います」

「それはどういうことですか?」

と最澄が身を乗り出して問うと空海は、
「広世さまは初めての参詣者向けの密教講義をお受けになられたのち、両部曼陀羅をしばらくご覧になって、こう仰ったのです…

言葉にすれば全てが嘘になってしまうな。

と」

言葉にすれば全てが嘘になる。

…しかしこうして死を実感している今、貴族の人生なんて全て幻だと解ったのです。

貴族とは出世と保身のために嘘を吐き続け、虚構の世界で力尽きるまで羽ばたき続ける蝶々のようなものです。

貴族とは、呼吸する度に嘘を吐くこの世で最も哀れな生き物。

ああこの最澄、愚鈍にもいま道益どのの最期の言葉の真意、今解りましたぞ。

広世さまはもう、
一切嘘は吐きたくない。
私に何も言わずして死ぬことが、貴方の真実であり誠実だったのですね…

「広世さまの一言でわしは思うところがありまして、さて、仏の言葉を掲げて衆生救済を唱えるわしら僧侶は、

一体何をやっているのでしょうか?

所詮、わしも曼陀羅という布きれで宇宙を包むと唱える大嘘つきだ。と広世さまに指摘されたようでずっと心に引っ掛かっているのです」

それではお疲れのところ長々と失礼致しました。この際ご養生なさりませ。と挨拶を述べて空海が店から去り、翌日回復した最澄が比叡山寺に帰ると傍付きの泰範さえ自室に入れるのも拒み、

数日間は引きこもって十数年のあいだ友誼を結んだ同い年の親友の死を悼んだ。

時々師がむせび泣くのを背後の戸越しに聞いていた泰範は、
どんなに私なりに尽くしても尽くしても、広世さまには敵わへんのかい…と血が滲むほど唇を噛みしめ激しい嫉心に駆られた。

和気広世。和気清麻呂の長男であり天台宗最澄の最大の支援者でもあった。

人柄温厚で厭世的でもあり、貴族以外のもう一つの顔である医師として生きたかった男であった。

後世、広世の子孫たちは彼の遺言をよく守って政の表に立つ事は無く医道を貫き、

広世は医官としての和気家の始祖となった。

後記
最澄の不運の一つが支援者広世の早逝であるとも云われる。

言葉にすれば全て嘘になる。と思ってないとこの喧騒の世やってらんない。













































































































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